第1章 白銀に揺れる証
第1話 闇に燃える赤
頬をなでる風は冷たく、湿った土と枯れ葉の匂いが重くまとわりつく。
目を開けても、そこにあるのは深い闇。頭上を覆う枝葉が月の光さえ遮り、足元すら見えない。
……音がない。森の中なのに、虫の声も葉擦れも何ひとつ。
耳に届くのは、自分の呼吸と鼓動だけだった。
……ここ、どこ……?
どうしてここにいるのかも、自分が誰なのかもわからない。
胸の奥がぎゅっと縮み、思わず誰かを呼びたくなる――けれど、呼びたい名前すら浮かばなかった。
闇の奥で茂みがざわりと揺れた。
パキッ――踏みしめられた枯れ枝が、乾いた音を立てる。
振り返った瞬間、黒い闇の中に二つの赤い光が浮かんだ。
血のように濁った赤が、じっとこちらを射抜いている。
低い唸り。
土を踏みしめる重い足音。
生臭い風が頬をかすめ、背筋が冷たく震えた。
――“魔物”。
逃げろ、頭の奥で本能が叫ぶ。
踏み込むたび地面がぐしゃりと沈み、背後で枝が鋭く裂ける音が重なった。
枝を押し分け、石を踏み何度も転びそうになりながら、それでも前へ――。
「だれか……!」
喉が裂けそうなほど叫ぶ。声はかすれ、夜の森に溶けて消えていく。
その瞬間――左腕が熱を帯びた。
「……っ!?」
脈打つ熱が胸の奥へと広がり、視界が揺れる。
一瞬、世界の気配がすべて遠ざかる。
鼓動も足音も魔物の息遣いも――水の底から響くように。
闇の奥で空気が裂けるような気配が走る。
――“赤が揺れた”
茂みを裂いて飛び出した影――腰まで届く赤髪が魔物に宿る赤い光を反射し炎のように煌めく。
深緑の瞳がまっすぐこちらを射抜く。鋭さの奥になぜか温かさが宿っていた。
革鎧に赤いマントを翻し彼女は迷いなく駆ける。
土を蹴る音、風を裂く気配、剣を握る腕の確かさが闇を震わせる。
「下がって!」
その声と同時に、一気に現実へ引き戻された。
銀の刃が一閃し、魔物がうなり声を上げる。刃が生む閃光が一瞬だけ闇を切り裂き、湿った土と鉄の匂いが混ざり合った。
――気づけば震えは止まり、その背中に釘付けになっていた。
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