第4話 夢の中の主役

週が明けてからの千夜の周囲は、まるで柔らかな光に包まれているかのようだった。


昼休み、廊下で顔を合わせた営業部の男性社員から「ランチご一緒しませんか?」と声をかけられたとき、千夜は咄嗟に「他の人と間違ってるのでは?」と思ってしまった。


しかし、彼の視線は真っ直ぐ自分を向いていたし、そのあとも何人もの男性社員が、まるで彼女がオフィスの“ヒロイン”であるかのように、話しかけたり、資料を運んでくれたりするのだった。


以前なら、誰も自分の存在など気に留めなかったのに。


葵の態度も変わっていた。

以前のような「私は私」な距離感ではなく、少し遠慮がちに、どこか敬意すら込めたような口調で接してくる。


「浦部主任、今日のそのブラウス、すごく素敵ですね。清楚で……似合ってます」


それはきっと、過去の葵なら決して使わないような言葉だった。



木曜日。


会社を出たあと、千夜は近くのカフェにひとりで立ち寄ってみた。

昔からこの店はあったが、仕事帰りに寄る気力などなかった。


窓際の席に座ってスマホを開くと、SNSのフィードはさらに変化していた。

再生回数が高い動画には、どれも「地味めな」女性が映っていた。

眼鏡をかけたスーツ姿のOLが、シンプルな食卓で晩ご飯を食べるだけの動画に「癒やされる」「守りたくなる」とコメントがついていた。


まるで自分自身を見ているかのようだった。


(……私って、今、この世界の“主役”なのかもしれない)


その考えが頭をよぎったとき、背中にふわりと薄紫色の蝶が舞うような感覚があった。

幻覚ではない。

けれど、現実でもない。


千夜はスマホをテーブルに伏せて、アイスコーヒーに口をつけた。

氷の当たる音が、妙に心地よく響いた。



金曜の夜。

自宅のベッドに倒れ込むと、全身に疲労が広がったが、それを上回る満ち足りた感覚があった。


 (こんなふうに、毎日がスムーズに進むなんて……)


誰かにちやほやされること。

感謝されること。

価値を見出されること。

今の世界では、自分の「普通」が褒められ、求められている。


――葵に嫉妬したり、同期の予定に気を遣ったりしなくてもいい。

――誰かの代わりに無理をしても、きちんと報われる。


「……夢みたいだな」


そう呟いたとき、部屋の片隅にふたたび、あの紫色の蝶がふわりと舞っているような気がした。


そして千夜は、再び静かに眠りへと落ちていった。


翌朝、いつものように洗濯機を回し、タブレットを開く。


が、そのとき千夜はふと、画面の“違和感”に気づく。


(……あれ?)


昨日まで、フィードの最上位に表示されていた「堅実系」「ナチュラル系」インフルエンサーたちの姿が、ほとんど消えていた。


代わりに、きらびやかなネオンを背景に、髪を巻いた女性たちが有名なカフェの新作ドリンクを片手に笑う動画が並んでいる。


SNSだけじゃない。

動画サイトも、広告も、急に“もとに戻って”いた。


(……いや、戻ったんじゃない。入れ替わった?)


スマホを手に取る指先が、わずかに震えた。

千夜はベッドに腰を下ろし、無意識に唇を噛んでいた。


「……これ、どういうこと……?」


それは、夢が覚める予兆のようだった。

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