ダメ人間、出勤!
私は仕事ができない。
どれくらいできないかというと、一度も怒ったことがなくて菩薩様とまで言われていた上司の口角が引きつって痙攣をおこすレベルである。
5年間働いた会社を退職した私は異業種への転職を決めて、あらゆる企業の説明会に参加して情報を集めた。なるべく長く働きたいと思っていたので、業績が右肩上がりの会社や今後の社会で必要になるであろう業種を探した。その結果、8社ほど入社意欲が湧いた会社を見つけたので片っ端から面接を受けた。異業種への面接で学歴も前職も大したことなくて、うまく話せなかった私はことごとく落ちたが最終的に1社だけ内定をいただくことができたのだった。
退職を目前に控えていた私は焦りもあり、内定連絡を受けたときに二つ返事で内定承諾した。採用担当者も思わず笑ってしまうほど何度もお礼を言った。
そして今、入社してから3ヶ月目にして私の教育期間は終わった。
ついに一人でクライアントの対応をするようになって、営業の恐ろしさが毎日毎日襲いかかってくる。
いままでまともに人間と会話してこなかった私にはあまりにもハードルが高かった。私の同期たちはどんどん顧客を増やし、営業成績を伸ばしていく。その中で私は完全に置いてけぼりになっていた。
クライアントと楽しく会話することも、商品の良さを売り込むことも上手にできないのだ。自分に自信がなくて常に不安でおどおどしてしまう。
きっとそれがクライアントにも伝わっているのだろう。
不安そうな相手を信用することはできない。
当たり前のことだ。
「長田さん、この前対応した田端様の件で話があるから15時に会議室に来てくれる?」
「はい! 承知しました!」
実務が始まって2週間目、私は上司に呼び出された。
以前私が対応したクライアントの件で話があるとのことだった。
あの日は先輩が別のクライアントの対応をしていたときに突如やってきたクライアントの対応を任された。私自身難しそうとは思わなかったし、変な対応はしていない。クライアントの要望を聞いて、いくつかの商品を提案した。お客様は納得して1つ商品を選んでくださったのでマニュアル通りの手順で処理を進めた。
そして、何事もなく対応が済んでクライアントが帰ったあと先輩は処理に間違いがないかチェックして、更に接客のフィードバックまでしてくださった。
反応は良好であった。
私は今、息苦しさで卒倒しそうだった。
「田端様から、長田さんへのご意見のお電話をいただきました」
ご意見という言葉にこもった負の感情がひしひしと伝わってくるようで体が固くなる。渡されたA4のコピー用紙にはコールセンターから届いたメールがそのまま印刷されていた。本文はクライアントから頂いたお言葉をそのまま文字起こししたもののようだ。
『この前対応した社員の処理がおぼつかなくて、不安でした。高額な取引であるからこんな新人に対応されるなんてびっくりしたし、もし今後も新人が対応するなら御社のことを信用できないです。聞いてることに対しても説明してくれたけど、帰ってから考えたらやっぱり納得できないし、そもそも新人の言ってることがどこまで正しいかなんて知れたもんじゃないと思い直したので、契約を破棄したいです。』
頭を鈍器で殴られたような心地だった。
クライアントと会話する中で、細かいことまで考える人だとわかったので言葉にも、説明内容にも細心の注意を払って対応したお客様だったからよく覚えている。
覚えきれない商品情報や知識をまとめて作った自分用の資料を見ながら間違えないように細かく説明したし、選択肢で迷ったときに助言もした。
処理も間違えないようにマニュアルを確認して機械操作をした。
それなのに、その慎重さがお客様の不安感を煽る結果になってしまったのだ。
「会社の信用を落とすような対応をしてしまい、申し訳ございません。」
文章を読んだ私は胸が張り裂けそうな思いだった。
頑張ったけど、報われなかった。そんなこともある。でも、クライアントに不快感を与えてしまったことや会社の信用に傷をつけるようなことをしてしまったことに罪悪感があった。
「いいえ、あなたの落ち度ではありません。ちょっと難しいクライアントでしたね。これから先、業務をこなせば自然と実力はつきますからあまり落ち込まなくていいですからね」
上司は私を咎めなかった。あの日一緒に出勤していた先輩も私の対応に過失はなかったと報告していたそうだ。それでも、その一件は私の自信を失わせるには十分すぎた。
毎日出勤してクライアントがやってきたら対応するが、うまくヒヤリングができなくなった。踏み込んだことを聞いてはいけないとストッパーがかかるし、聞かれたことに対する答えにも自信がもてないのだ。
「いやー、うまくいかないなぁ! 成約率も悪いし! ガッハッハッ!」
ひとりきりのオフィスで大きな声でおじさんみたいに笑った。
落ち込んではいけない。まだこの会社では新人なんだ。中途とはいえ全くの未経験だから、これから知識と経験を積み重ねていけばいい。
だから、今までできていたクライアントとの会話ができないスランプもいつか克服できる。
「ま、大丈夫でしょ。大丈夫、大丈夫。」
声が震えないように、お腹のそこから声を出して、今日も報告書に契約数0件と記入した。
道は長い。そして、険しい。
自分は他人より劣っているし、成長速度も遅くてたくさん迷惑をかけてしまう会社のお荷物だけどもうちょっとだけ頑張ってみようと思う。
今できないことも、経験を重ねればできるようになるかもしれない。
私はまだ、仕事ができない。
僕の人生はインスタント 布施 透 @usagi014
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