僕の人生はインスタント
布施 透
私は好きなんだもん!
「いやだ! 別れたくない!!」
「嫌じゃない! もううんざりなんだ!」
通行人が振り返る。若い男女が大きな声で言い争っていた。女の方は男の腕を掴むがすぐに振り払われて距離をとられる。その距離を埋めるように女はまた一歩男へ足を踏み出す、いじらしい行動にも見えるが男の顔は恐怖にひきつっていた。
「どうして? なんで別れるっていうの? 私のこと一番好きって、愛してるって言ってくれたじゃん!!」
「頼むから、お落ち着いて俺の話を聞いてくれよ!」
「いや! 別れない! 私はまーくんのこと好きなんだもん!」
大騒ぎだというのに、一向に警察はやってこない。誰も彼もが無関心なのだろうか。否、そんなことはない。こっそりスマホのカメラで撮影している野次馬もちらほらいるようだ。
「ユリが俺のことを好きかどうかじゃない! 俺はもうユリと別れたいんだ」
「嫌! 別れるくらいなら死んでやる!」
「そういうところが嫌なんだよ! 気に入らないことがあったら自分の命を盾にして言う事きかせようとするの、やめろよ!」
男の声は先程よりも怒気がこもっており、周囲の地面を揺らすのではないかと思うほどの叫びがあたりに響き渡った。撮影していた野次馬も一瞬ビクリと方を跳ね上げるほど迫力があった。
「なんで、そんなひどいこと言うの? そんなことしてないじゃん! 別れたら辛いから死んだほうがマシって……。」
「それで、俺に一生罪悪感持って生き続けろって? それとも、女の子傷つけて追い詰めて自殺させた極悪人はこいつです。みなさん、晒し上げてリンチしてくださいって?」
男は恨めしそうに女を睨みつけた。女の方は言葉に詰まって俯いてしまう。しばらく無言でブルブルと震えている女の表情はわからない。怒りなのか、恥じているのかはわからないが女は無言で耳まで真っ赤にして体中に力を込めているように見えた。
「ち、違う! もういい、死んでやるんだから!」
ふと、女は顔を上げると車道に向かって駆け出した。
数歩遅れたが男は女を追いかけて、あっという間に腕を掴んで引き止めた。
「やめろ! どうしてわかってくれないんだ!」
「わかってないのはまーくんでしょ? ユリはこんなにまーくんが好きなのに!」
腕を掴んだまま男は女の目をまっすぐ見つめて言った。
「ユリ、俺はユリの事好きだったよ。でもさ、もう疲れたんだ。ユリはさっきから俺のこと好きって言ってるけどさ、本当に俺のことが好きなの?」
「そうだよ! 好きだから別れたくないの!」
「ユリの感情はユリのものだから、俺が勝手に解釈するのは良くないってのはわかってるんだけどさ……。」
一呼吸置くと男は幼子に話しかけるような声音でゆっくりと女に話しかけた。
「ユリは俺が好きなんじゃなくて、『言うことを聞いてくれて、優しくて、いつでもそばにいてくれる彼氏』が好きだったんじゃないの?」
女は何を言われているのかわからずにポカンとしていた。
そこに畳み掛けるように男は言葉を重ねた。
「俺とユリは育った環境も、価値観も似てるところもあれば全く違うところもあるよね。俺の思う好きって感情は、そういうところもひっくるめて相手のことを受け入れることなんだよ。だから、相手に対するイライラやモヤモヤをうまく発散したり、話し合いで解決するのが大事。それが良好な人間関係だと思うんだ。もちろん、本音とかを相手に伝えるのも大事だけどさ、人は人、自分は自分。他人を自分の思うままに動かすなんてできないってこともちゃんと覚えておいてほしい。」
男は言葉に詰まりながらもなるべく丁寧に噛み砕いて言い聞かせていた。
女は呆けた顔のまま男を見ている。
「……帰る。」
女は不機嫌に呟くとさっさと駅の方に歩いていった。男は複雑そうにその女の背中を見ていた。
――後日、SNSにある動画が投稿された。
投稿主は「男さん、正論パンチでメンヘラ女黙らせてワロタ」と文字を付け加えていた。
コメント欄には「バカ女にはこれくらい言わなきゃわからない」だとか「男ひどすぎ、女の子の話は聞いてあげないの?」だとか皆さまざまな主張がひしめき合っていた。
当事者たちの外側で好奇と無意識の悪意が渦巻いていく。
これだけ話題になったのに「ユリとまーくん」のその後の話を誰も知りはしなかった。
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