簡単で分かりやすい感動

西しまこ

泣けるは死、溺愛で幸せ、運命の番とかとか

 カク友さんが、死が「泣ける材料」として安直に扱われていると嘆いていた。

 確かにそういう側面がある。

 もちろん、そういうのは好きじゃないし、ほとんど読まない。


 だけど、わたし『四月は君の嘘』という漫画、すごく好きだなあと思う。もっとも、最初からあのラストは予感出来ていたから、泣きはしないけれど(わたしは物語でほとんど泣いたりしない)。でも、あの漫画、すごくいい漫画だと、わたしは思う。


 わたしが思うのは、安直な感動の安売りは恋愛の面でもあるな、ということ。webで漫画をチラ見していても、「溺愛されたら、今後の人生安泰」とか「運命の番に会えたから、永遠に幸せ」みたいなものが多くて、ときどき本気で怒っている。

「せっかく男女平等の世の中になってきたのに、女子は、貧乏でも、イケメンでお金持ちに愛されて幸せになればいいとかいうの、やめて!」とかね。でも、もちろん分かっているよ。男尊女卑の思想はまだ残っているから、女性が貧困に陥りやすいことも。だから、「いつか王子さまがたすけてくれる」的な物語が好まれることも。現実をどうにかするのは難しいから。

 運命の番も同じ。

 相思相愛の相手を見つけるのって、どうも今の社会では難しいらしい。だから、分かりやすく「運命の番」だと安心出来るんだよね。


 わたしは恋愛は、つきあうところから始まると思っている。

 つきあうまでは、ただの妄想であって、ほんとうのその人を見てはいない。つきあってから、その人の奥に入り込んで、初めて恋愛になるのだと。

 そして恋って、頭でするものじゃなくて、どうしようもなく落ちてしまうものだから、「年収が」とか「学歴が」とか考えているうちは、なんか違うよね、とも。ああ、「どうしようもなく落ちてしまう」と考えると、それは「運命の番」に通じるも のはあるかもしれない。ただ、それは「運命の番」みたいに、永遠ではないけれど。

 恋愛は続けることが難しい。


 今の若者は即物的で、すぐに「答え」が欲しいように見える。

「調べる」という工程があまりにも簡単だからだ。生まれたときからネットがある世代はそれはもうどうしようもない習性のようなものかもしれない。

 ただ、その即物的な感覚を、人間関係に当てはめてしまうと、恋愛は出来ないような気がする。恋愛に「答え」はないのだから。


 同じように、人生にも「答え」はない。

 何をすればうまくいくか。

 それは自分で経験して失敗を繰り返し、掴みとること。

 ずっともがいたままかもしれない。


 そういう苦しさが、安直な感動を求めるのだろうか。

 或いは「死=泣けるもの」という方程式が絶対だからだろうか。

 即物的に「答え」を求めながらも、生きづらさを脱出する「答え」がないことを薄々分かっていて、でも、その思考を言語化したくないから、分かりやすく感動したいのだろうか。分かりやすい感動に触れることで、自分の人生の暗闇が一瞬晴れるかもしれない。


 わたしは、死は生とともにあると思う。

 分かりやすい死よりも、死とともに生きることの方が、よほど泣ける。




 ねえ、それでも生きていくんだよ。




 それでも、わたしは思う。

 感動の安売りは、いつか飽きられるって。

 わたしはわたしがいいなと思う物語を、いつだって紡いでいたい。


 全然うまく書けないけれど。





       了

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