特急列車、秀才少女と夢の中
佐藤太郎
第1話
桜の花びらがひらひらと落ちる様子を見て、私はふと彼のことを思い出した。あの日以来、言葉を交わしていない彼のことを一日たりとも忘れたことはない。ただ、桜が散っていく様子は彼をより鮮明に思い出させた。
最近は、地球温温暖化のせいなのか何なのか、入学式シーズンにはもう散ってしまうことも珍しくない桜の花びらを見て、私は現実逃避をするように足早に桜並木を通り過ぎた。
今日はやけに長く感じる目的地までの道のりに、何だか泣きそうになってしまいそうな切なさを感じながら私は歩みを進めた。
あの短くもずっしりとした密度をもった一週間が遠い過去のように感じられる。あの時のことを思い出しながら彼と言葉を交わす日はいったいいつになるのだろうと地面に落ちた桜を見てしみじみと思った。
0日目 7月1日
はっと目が覚めると、僕はじめじめとした湿度に倦怠感を感じながらも体を起こし、目覚まし時計に目をやった。AM:6:57と示めす目覚まし時計の時刻に安堵し、もう一度体をベットに預けながらアラームの設定を解除した。
もちろん今日が月曜日だという事実と昨日のバイトの疲労もこの倦怠感の原因の一つであるが、夏の訪れを象徴するこのじめじめとした暑さが何よりも僕に倦怠感を感じさせる。
しばらく、ごろごろとベットの上で体を仰向けにしたり横に向きしたりしていると、今日見た夢の記憶がじんわりと僕の脳裏にしみ込んできた。
あれは確か学校の階段だった。階段を上がっていると同じ学校の制服を着た女子生徒が数段上を上がっていた。しばらくして「あっ」という彼女の声に反応し僕は顔を上げると、彼女の体がだんだん僕の方へ近づいてくる。無意識のうちに彼女を受け止めようとしたが、勢い余っていた彼女の体を完全に受け留めることはできなかった。
そこで夢は途切れた。
いつもは覚えていてもすぐに忘れてしまうのに、この夢は起きてしばらく時間が経っても頭に残ったままだった。なぜか夢を覚えていること、そしてその夢に出てきた謎の女子生徒のことを不思議に思っていると、ベットに置かれた目覚まし時計がAM:7:30と時刻を示していることに気づき、僕は慌てて体を起こした。
通学路、家から最寄り駅である千葉県・蘇我駅までのたった十分たらずの道のりでですら汗で服が体に張り付きそうになる。少し歩いてきたからしれない。それでもこの暑さは異常である。何年この夏を経験しても一生慣れることはないだろうとしみじみと感じた。
下駄箱から上履きを取りだし靴を履き替え、僕はまだ人の少ない学校の渡り廊下を歩き、教室へ向かう。ぴょんとはねた寝ぐせに手で櫛を入れて何とか整えようとする。それでも、いまいち治らない。わざわざ僕の寝ぐせを指摘する人などいるはずもないのだが、どこか気持ち悪い感じがするので後で水でもつけて直そう。髪で寝ぐせを直しながら教室のある3階までの階段を上っていると、少し上に女子生徒が教科書だろうか、何かを両手で抱えながら数段上を上っている。
僕は、どこかで見たような光景に既視感を感じたが、偶然だろうと目を下にやった。そしてさらに数段階段を上がったところで、「あっ」という彼女の声だろうか、ただならぬ驚いたようなその声に反応し、僕は上を見上げた。すると、彼女の体がだんだんと近づいてきた。
夢では感じなかったはずの彼女の体の細さや、やらわかさに驚いた。ただ、受け止めきることができず、気づいた時には僕の体は地面にたたきつけられていた。
「ううぅ・・・」
背中から感じる痛みに思わず声が漏れてしまう。ゆっくりと目を上げると、まだぼんやりとしか映らない彼女も同じように「ううぅ・・・」と言いながら自分の体を起こし、頭を押さえていた。
彼女は、起き上がってからしばらくして、状況を把握したのか慌てて僕の方へ振り向いた。
「えっ、えっ、大丈夫ですか」
僕はその声に反応して体を起き上がらせ、大丈夫ではないが、大丈夫と心配そうな彼女に声をかけたかったが咳がとまらない。
たまらず背中をさすってくれる彼女のために、深く深呼吸を繰り返し、何とか自分を落ち着かさせた。
顔を上げると心配そうな見つめる彼女が「大丈夫ですか」と問うのに対し僕は条件反射で答えた。
「大丈夫、大丈夫です」
本当は背中と肺の痛みで泣きたいくらいのだが、それ以上に今にも泣きそうな彼女の顔を見て僕はこう答えた。
「よ、良かった。」
やや朧気だった彼女の顔がはっきり見えるようになってくると、少し安堵したような表情だった。どこか儚げだが、整えられた髪、小さな頭とは対照的な大きな瞳の彼女は、文句のつけようもなく美しかった。僕が彼女をじっと見つめていると、また彼女が心配そうに僕の方を見た。
「あの、やっぱり、どこか調子が良くないじゃ・・・」
僕は自分の体に鞭をうち、無理やり立ち上った。
「この通り、問題ないですよ」
僕は手を斜め下に広げて彼女に健康をアピールした。
「そ、そうですか、それなら良いんですけど」
未だ心配そうな表情の彼女は、僕に合わせるように立ち上がった。頭一つほど小さい彼女は上目を使い僕に提案した。
「じゃあ、何かあったときのために連絡を交換しませんか」
「別にいいですけれど、そこまでお気遣いいただかなくても・・・」
「だめです。何かあったらちゃんと連絡してくださいね」
そういってスマホのSNSアプリの画面を彼女が提示してきたため、僕はしぶしぶその画面を読み込み友達登録を完了させた。
「なりた、とおる」
「さくら、さき」
彼女が僕の名前を読みあげたので、僕も何となく画面に表示される彼女の名前を呼んだ。
「何年生・・・ですか」
「三年生」
「私も。よろしくね、成田くん」
彼女はそう言って、落とした教科書を数冊拾い上げると急いで教室へ向かっていった。
背中を抑えながら扉を開け教室に入ると、数人のクラスメイトがいただけで、いつも通りおはようと言う挨拶が聞こえて来ることもない。いつも通りだ。なぜか安心してしまった。それは、痛みで忘れてしまったけれども、さっき起きたことがほとんど夢で見た内容と同じだったからだ。
偶然なのか、何なのか、席に座ってしばらく考え込んでしまった。考え込む僕に一人のクラスメイトが話しかけてきた。前の席の松戸秀だ。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
サッカー部の朝練習の終わりなのだろう、タオルで止まらない汗を拭っている。秀とはそっけなく挨拶するくらいで他に特に話したりはしない。前は一番が仲が良かったが、僕がサッカー部を辞めてから、お互いに気まずい関係になってしまった。
結局、今日は、朝の出来後に気を取られ、全く授業に集中できなかった。正確には今日もなのだが、夢で見た出来事が現実で起きたという事実に頭を整理できずにいた。
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