2050年、星の軌跡とデータ

@jaispark

第1話

朝の光が、まだ夜の闇が残る東京の空を淡く染め始める頃、私の腕に巻かれたライフログ・バンドが静かに振動した。今日の「パフォーマンス予測」は95点。膝の再建手術から二年、私は再び、オリンピックという星を目指していた。

私の名前はアヤカ。17歳。体操選手だ。僕たちの社会では、お金という概念が消え、個人の行動データが価値の源泉となる「データ資本主義」が浸透していた。スポーツの世界も例外ではない。アスリートの評価はすべて「アスリート・スコア」というデータで決まる。それは、練習量、技術の精度、さらには心拍数の変化や脳活動の記録まで、あらゆるデータから算出される。アスリート・スコアが高ければ、最先端のトレーニング施設や、AIが最適化した栄養食を利用できる。僕の「アスリート・スコア」は、怪我をする前は、常にトップレベルを維持していた。

しかし、二年前、僕は右膝の前十字靭帯を断裂した。その瞬間、僕のスコアは急降下した。

「アヤカ、君の膝は、完全に回復するには時間がかかる。無理をすれば、選手生命は断たれるだろう」

主治医のAIは、淡々と、僕の膝のデータを分析し、厳しい現実を突きつけた。僕の「アスリート・スコア」は、もう二度と元の水準に戻ることはないだろうと、多くの人々が予測した。

それでも、私は諦めなかった。リハビリの日々が始まった。それは、データだけでは語れない、地道で孤独な戦いだった。AIは、僕のリハビリの進捗状況をデータで管理し、僕の膝の回復を常に最適化しようとした。しかし、痛みや恐怖は、AIのデータには現れない。僕は、データに現れない痛みに耐えながら、少しずつ、少しずつ、前に進んでいった。

私の親友、ユウナは、僕とは対照的な選手だった。彼女は、僕が怪我をした後、急成長を遂げ、僕を追い抜いていった。彼女の「アスリート・スコア」は、常にトップレベルを維持していた。ユウナは、僕のリハビリを陰ながら支えてくれた。

「アヤカ、焦る必要はないよ。AIが提案するメニューをこなせば、きっとまた元の姿に戻れるから」

ユウナは、いつもそう言って僕を励ましてくれた。しかし、僕は知っていた。ユウナの言う「元の姿」は、僕が求めているものではない。僕は、データに縛られない、僕自身の「踊り」を求めていた。

僕のリハビリは、順調に進んでいた。AIの予測通り、僕の膝は完全に回復した。僕は、再びマットの上に戻ることができた。しかし、僕の心には、まだ恐怖が残っていた。僕は、再び怪我をするのが怖くて、以前のようなダイナミックな演技ができなかった。僕の「アスリート・スコア」は、以前の水準に戻ることはなかった。

「アヤカ、君の演技は、以前のような輝きがない。AIの予測によると、君の演技は、観客の心を動かすには至らないだろう」

カントクAIが、僕に厳しい評価を下した。僕は、もう一度、膝を痛めるのが怖かった。しかし、その恐怖を乗り越えなければ、僕は、オリンピックという星にたどり着くことはできない。

その夜、私はユウナに誘われて、仮想空間「ネオ・トーキョー」の体操競技場へ行った。そこは、現実世界の制約から解放された、自由な空間だった。僕たちは、アバターの姿で、現実ではありえないようなスーパープレーを連発した。

「すごいな、ユウナ。こんな演技、現実じゃできないよ」

僕がそう言うと、ユウナは笑って言った。

「だろ? こっちの世界は、データとかスコアとか関係ないからな。ただ、好きなように踊ればいいんだ」

ユウナの言葉は、僕の心を揺さぶった。彼女は、現実世界ではアルゴリズムに縛られながらも、この仮想空間で、彼女自身の「踊り」を求めていた。

僕たちは、ネオ・トーキョーで、現実の試合では決してできないような、めちゃくちゃで、だけど最高に楽しい演技を楽しんだ。僕たちの演技は、アルゴリズムの予測を超え、僕たちの「創造性スコア」は、現実世界ではありえないほど上昇していった。

僕たちのデータは、現実世界と仮想空間で、まるで違う意味を持っていた。現実世界では、僕たちの演技は「効率」と「最適化」によって評価される。しかし、仮想空間では、「情熱」と「創造性」によって評価される。どちらが、本当の僕たちの体操なのだろうか?

僕は、この二つの世界を行き来しながら、少しずつ変わっていった。カントクAIの指示に盲目的に従うだけでなく、ユウナのように、時折「無駄な動き」をしてみるようになった。すると、僕の演技は、以前よりも面白くなっていった。

ある日の最終選考。僕は、オリンピック出場をかけた、最後の演技に臨んだ。僕は、もう恐怖を乗り越えていた。僕は、僕自身の「踊り」を信じて、マットの上を駆け上がった。

僕の演技は、完璧なものではなかった。しかし、そこには、僕自身の「踊り」があった。僕の演技は、アルゴリズムの予測を超え、観客の心を揺さぶった。僕の演技が終わった瞬間、僕の「アスリート・スコア」は、過去最高を記録した。

僕の膝は、もう痛みを感じていなかった。僕は、データに支配されるのではなく、データとAIを使いこなし、僕自身の未来を創っていく。そんな未来が、僕の前に広がっていた。

僕は、これからも踊り続けるだろう。このマットの上で、そして、ネオ・トーキョーの仮想空間で。僕のデータは、僕の「踊り」を記録し、そして、僕の未来を創っていく。

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