第五章 勇者パーティの案内役

第024話 泥


 正午を過ぎ。

 炎の柱が消えた目抜き通りは、平穏な日常へと戻ろうとしていた。

 いや、それどころか、冒険者協会の前では、いつも以上の活気が生まれていた。

 突如として勇者一行が現れたのだ。

 通行人は一目その雄姿を見ようと群がり、その様を見て、また人が集まっていく。


 アルトリウス・グランシェル。

 魔王を打ち倒す者。

 国王によって勇者が選定された日から、噂は国中を巡り、アルトリウスはたちどころに時の人となった。

 鍛え抜かれた体。黄金比に保たれた筋肉の形。

 誇張されているものと考えられていた、筋肉隆々の石像も、彼を見た後では、ただの理想ではないのだと知れる。

 彼はただそこに立っているだけで、人間がどこまで進化できるのかを体現している。

 一方で、その顔は勇ましさの中に、幼さを同居させている。

 異性としての魅力と、同性にとっての憧れを兼ね備えた端正なルックスは、老若男女を惹きつける。

 今の彼はタンクトップに半ズボンという、勇者とは思えないほどラフな格好。だが、爆発的に発散されるカリスマ性によって、全ては親しみやすさに変換される。

 本人はただ筋肉を見てもらいたい一心で、露出の多い服を選んでいるだけなのだが。周りの人は、その奔放さこそ勇者に相応しい器の大きさなのだと、都合よく解釈されている。

 魔王騒動の中で落ち着かない国民にとって、生物的に、人間的に理想の容姿を体現したアルトリウスは、とてもわかりやすい希望だった。


「でも、どうしたんだろうね、ルウ君は」


 同じく驚異的なカリスマ性でもって、民衆を跪かせている――信徒たちが勝手に祈りを捧げいている――大司教に、アルトリウスは会話のきっかけを投じた。


「ヴェルクちゃんを襲ったって、騎士の方たちは言っていましたが……元気が有り余っていたのでしょうか」

「いや、そこはまず、そんなことをするはずがないって思わないと」

「生きていたら、悪いことをする時だってありますよ。悪いことができるのも、健康な証拠。元気な証拠です」


 悪行すらも慈しむ、麗しき女性。

 心の底から確信をもって放たれた声には、一切の淀みがない。普通なら偽善的な嘘くささが滲み出て、綺麗事だと片付けられてしまうような言葉も、彼女が言えば真実になる。

 エルフィーデ・アストリア。

 フレーデル教の大司教。

 艶やかな緑の髪に、黄金の瞳。しなやかな体つには、肩、胸、腰、手足といった全ての部分に美しい曲線がある。

 彼女が神と人間のハーフだと言われても、疑念を持つ者は少ない。


「それはそうなんだけど、そうじゃないんだよ。ルウ君がヴェルク君を傷つけるなんて、信じたくないんだよ。ね、リーネ君! 君もそう思うよね!?」

「さぁね。わからないわ。だってルウは最初っから、ヴェルクの親を探すことに反対していたもの」

「そ、そんなぁ……。僕たち、勇者パーティの仲間じゃないかぁ」

「ええ、そうね。でも、ルウはそう思ってないかもしれないわよ」


 地面にあぐらをかく、三角帽子の魔術師。

 赤いローブは細身の体に対して二回り以上も大きく、今は足まですっぽりと隠している。

 イフリーネ・フレイマリス。

 国内最強の魔術師でることを意味する、天魔導師の称号を持つ少女。

 祖先の中に|吸血鬼(ヴァンパイア)と血を分けた者がおり、イフリーネは先祖返りをしたことで、半吸血鬼の体質を持っている。

 白磁のような肌。夕日のような輝きを内包した瞳は、爬虫類のように瞳孔が縦に伸びている。少しだけ尖った耳、鋭く長い犬歯。

 人間の本能が、人間の域を外れた美しさを特別視させる。

 近くにいる人は、「どうぞお座りください」と、よっつんばいで椅子に生まれ変わろうとしていたが、「うーん、椅子にするなら、もっと太ってるおじさんがいいな。弛んだ皮下脂肪がいいクッションになって、座りやすいんだよね」と、まるでいつもよく使っているというような反応を返す。

 次の瞬間には、おなかの出っ張りが著しい男たちが次々に手を上げ立候補したが、イフリーネは気怠そうに、「椅子はいいから、日傘を持ってきてよ」と言う。

 傘なんて持っていなかった男たちは、互いに目配せをし、以心伝心、頷き合う。

 完成したのは、よっつんばいになった男たちが積み重なった高い壁。

 そこから伸びた長い陰が、イフリーネの元に落ちた。


「平民が壁となって、私に日陰を捧げているわ。高貴な私には相応しい日傘ね。ありがとう。分を弁えたアンタたちの献身性は、見事としか言い様がないわ」

「「こちらこそ、使っていただき、ありがたき幸せでございます!」」


 一言一句、ずれることなく男たちは言い切った。 

 まるで、それをするために生まれてきたことを、微塵も疑わないみたいに。

 吸血鬼は眷属を従えると言うが、はたして、尽忠を手に入れるこの力は、その性質故だろうか。

 そうして、イフリーネは話を元に戻す。


「でも、ルウがヴェルクをつれて離れた後、私の魔素の増幅は収まった。もしかしたら、ルウは私を助けるために、ヴェルクの|超能(スキル)を停止させようとしたのかもしれない」


 もしもそうなら、責任の一端は自分にもある。

 少しの罪悪感を感じたイフリーネは、改めてルーファスの居場所が気になった。


「もう、ルウったら、いくらなんでも遅すぎるわ! ここで待つように言ったのは、ルウなんじゃないの!?」

「きゃああああああ!」


 響く悲鳴。

 ざわめきは人から人へと伝播し、パニックへ陥っていく。

 無理もない。

 白昼堂々、昼下がりの王都に魔物が出現したのだ。

 魔王騒動に国内が揺れ動く中でも、王都内に魔物の侵入を許したことなど、ここ二十年、一度もなかったことだ。

 住民は王都の中を、絶対的な安全圏だと認識している。だからこそ、その前提が覆されたことに怯えきっていた。

 たまたまそこにいた勇敢な農夫は、逃げる群衆に逆らって、一度は立ち向かおうとした。弱い魔物なら、畑仕事で鍛え上げた、丸太のように太い足で踏み潰してやると、意気込んだのだ。

 しかし、魔物の姿を見て、すぐに怖じ気づいた。

 そこにあったのは、泥の塊。

 茶色く濁ったドロドロとしたものが、表面を脈打せている。

 流動系の魔物なら、まず真っ先にブルースライムを思い浮かべる。

 葉っぱに滴る雨水に魔素が蓄えられた結果生まれる、水色のぷにぷにとした魔物だ。

 草木が生えていて、雨が降る場所なら、どこでも現れる。

 冒険者協会が定めた討伐難易度はF~A。

 ブルースライムは同じ種族でくっつき合い、すぐに直径四十センチくらいの塊になる。その程度の大きさなら、農夫の足でも、核となる内臓を踏み潰せれば、容易に倒せるくらい、弱い。

 それが直径十メートル級の大物になると、結構な強敵になるので、討伐難易度に開きがある。でも、基本的には、やはり雑魚の部類だ。

 改めて、王都に現れた泥を見てみよう。

 横幅四十センチで、蟻塚のように先端を尖らせながら縦に伸びており、体高は百七十センチはある。

 表面に見られる脈動は重々しく、粘性の強いものが動く時の、独特な音が鳴っている。

 ブルースライムは雨水だが、これは違う。

 泥、土砂、ヘドロ。

 石の魔物、ストーンゴーレムの強靱さと、流動系の魔物にある柔軟性のいいとこ取りをしたような存在。

 グレイスライム。

 この泥状の魔物は一般的にそう呼ばれる。

 討伐難易度はF~A。こちらも大きさによって難易度に差があるタイプだが、ここに現れたのはD以上は確実にある。

 D以上の難易度は、専門家、つまりは冒険者への討伐依頼を推薦するレベルだ。


「ぶわぁあああ! 俺はとっても恐ろしい魔物だぞぉお! 怖いぞぉおお! 恐ろしいぞぉおお!」

「「喋ったぁあああああああ!?」」


 魔物が喋るなんて夢にも思わず、民衆は慌てふためいた。

 泥の中腹から二つの突起を出して、左右に振る泥の魔物。

 人間で言うところの腕を使ったジェスチャーのように見えるが、魔物がそのような動作に意味を見出すことはない。

 熟練の冒険者が近くにいたなら、この時点で見抜いただろう。

 中身は人間だ。

 人間が魔物に化けているだけ。趣味の悪い悪戯だと。

 その指摘は正解で、この泥、中身はルーファスである。

 変身の薬を使って、醜い魔物の姿に化けているのだ。

 しかし残念なことに、今はそれを見抜ける者が近くにいない。

 国内には戒厳令が敷かれている。

 冒険者たちはもっぱら王、宮から与えられた依頼で後方支援の遠征に出ている。

 国内の防備は騎士の勤めだが、戦闘の経験はあったとしても、魔物に対する知識は、冒険者ほどは持っていない。


「お前……一体、何がしたいんだ?」


 ルーファスの意識の中で、悪魔が呆れていた。

 今こそ、自然な形で執着心が外れかけそうであった。

 しかしルーファスは、そんな軽蔑の眼差しも無視して、必死で魔物を演じる。


「うぉおおお! 逃げ惑え! 人間どもぉ!」


 蜘蛛の子散らすように人々が逃げると、勇者一行が現れる。


「あぁ~、日陰、なくなっちゃったぁ……」


 魔物が現れたことで、人間の壁はなくなってしまった。


「日陰なら、ほら」


 エルフィーデがそう言うだけで、石畳を突き破って、木が生えた。

 その木はあっという間に葉をつけて、リンゴの実をつけた。

 木陰がイフリーネを包み込む。


「はぁ~、ありがとう」

「どういたしまして。リンゴはいりますか?」

「ん~、貰おうかなぁ」


 エルフィーデは木を生やしたついでに、その根っこを自在に操って椅子とテーブルを作り出す。

 葉っぱの皿に、風の刃で皮を切り落とされたリンゴが並ぶ。


「うぉおおおお! 魔物だぞぉ! 強いぞぉおお!」

「ふん! ふん! ふぅぅぅううん!」


 アルトリウスは、ここぞとばかりに腕立て伏せをしている。


「襲っちゃうぞぉ!? 危ないぞぉ!?」

「ふぅぅぅうううん! ふぅぅぅううううん!」


 アルトリウスは、今しかないとばかりに腕立て伏せをしている。


「俺は魔王の手先だぁ! 王都を破壊しに来たぞぉ!」

「うーん! 今日のリンゴは凄く美味しいです!」

「このリンゴ、売れば結構なお金になるんじゃない?」

「精霊ちゃんの恵みを、そんな風に使っちゃいけませんよ」

「だろうね。だから精霊は、エルフィを選んだんだモグモグ・……」

「ふぅぅぅううううううううううううううん!」


 アルトリウスは、最後の追い込みとばかりに腕立てを――


「ちょっと! さっきからフンフンフンフンうるさいんだけど!?」

「ああ、ごめん……もうちょっとなんだ……もうちょっとで、大事なところに効きそう……」

「アルちゃんも、リンゴ食べませんかぁ」

「ありがとう……じゃあ、そのリンゴの分、もう百回……」

「おいぃぃぃいいいいい!?」


 泥が怒った。


「お前ら何無視してんだよ!? 目の前に魔物がいるんだから、ちょっとは驚けよ!?」

「ん~? とってもフレンドリーな魔物ちゃんが、王都に遊びに来たと思ったのですけどぉ」

「遊びに来たんじゃない! 攻撃しに来たんだ!」

「リンゴはいかが?」

「いらんっ!」


 エルフィーデは魔物に対しても、指先に止まった小鳥に挨拶するようにお喋りしている。

 まぁ、エルフィだから仕方ない。泥は諦めた。


「魔素の気配とか感じないし、あなた、中身がスッカラカンじゃない。全然強そうに見えない。それなら騎士に任せておいてもいいでしょ」

「う……」


 ルーファスは痛いところを突かれた。

 外見がいくら変わろうと、身体的な特徴が変わろうと、中身が無魔であることは変わりないのだ。

 本物のグレイスライムでも、余った魔素を使って表面を強化させたり、魔力体術を使うというのに。

 泥になったルーファスは、本当に泥でしかなかった。


「僕、流動系の魔物って苦手なんだよね。固くないし、叩かれても衝撃ないし、筋肉が傷つかない。しかも結構素早いから、有酸素運動ばかりさせられる。筋肉の天敵だよ」


 意味不明な持論を語り、アルトリウスはまた腕立て伏せをする。

 魔物を目の前にしても危機感がないのは、三人が三人とも、指で弾けば消し飛ぶ程度の相手だと思っているから。

 こいつらは馬鹿だ。

 薄々は気づいていたけど、今はハッキリした。

 遠征に出る前に気づいてよかったな。こいつらに命を預けるのはやめておこう。

 ルーファスは心の中で、独自の結論にたどり着いた。

 時間を掛け過ぎたら、偽物だとバレるかもしれない。

 何が何でも、戦って貰うぞ。

 三人に対して何かを言っても相手にされない。

 ならば、近くにいる人々に脅威を向けたら、どうなるだろう。彼らが選ばれし勇者一行なら、助けを求める人を放っておくはずはない。

 泥は、周囲に自身の体の一部を撒き散らした。


 「そこら中に毒を撒いた。この毒に侵された人間は、少しずつ体が溶け始め、やがて、俺みたいな泥になる」

「なっ!? 思ったより危険な奴だったのね……」


 これが本物のグレイスライムなら、跳んだ言った泥が棘のように鋭きなり、さらに魔力体術によって固くなるので、かなりの脅威になる。

 でも、この魔物の体はただの泥。

 周囲の人の衣類を、ちょっと汚しただけである。


「この毒を治すには、高圧の魔素で俺を消し飛ばすしかないぞ!」

「自分から治療方法を教えるなんて……危険だけど、馬鹿なのね」


 ルーファスはなんとかして勇者たちを怒らせようとしているが、それでもイフリーネはまだ余裕綽々だった。


「エルフィ、あなたにも直せない毒なの?」

「ん~。そんな毒はこの世界には存在しないと思いますけどぉ……そもそも、毒の存在を感じないというか、精霊ちゃんも反応してないみたいですし……」


 すぐに見抜かれそうで焦る泥。


「ええぇい! もういいっ!」


 こうなったら、なりふり構っていられるかっ!

 切羽詰まった泥は、近くにいた幼い少女へと襲いかかった。

 少女を人質に取って、危機感を持たせようとしたのだ。

 しかし、それは黄金の風を纏った、水の障壁によって阻まれる。


「その子はまだ、泥で遊ぶには早いかもしれません。遊び相手に困っているのでしたら、私といかがでしょうか」


 エルフィーデの笑み。底知れない優しさに、泥は恐怖を覚える。


「おい、そこのちび助! 俺と勝負しろ!」


 担当直入に、泥はイフリーネに体の先端を向けた。


「誰がチビよ!? この天魔導師様が、あんたみたいな雑魚の相手なんてする訳ないでしょ! 世界中の泥を掻き集めてから、出直してきなさい!」

「ふ、ふん! そんなこと言って、本当は俺のことが恐ろしいんだろ!?」

「はぁ?」

「偉そうに言ってるけど、実はビビってるんだろぉ? お前ひょろひょろだし、一番弱そうだもんなぁ」

「はぁあああ!? この天魔導師様に向かって、何言ってくれちゃってんのよ!?」

「心の余裕のなさが、弱さの現れだな。お前は強者の器じゃない」

「もう怒った……。上等じゃないの! こっちとら、体の中で嫌ってほど魔素が溢れ返ってんだからね! こいつを全部使って、何が何でも吹っ飛ばしてやるわ!」


 普通に悪口いったら、簡単に挑発に乗ってくれた。

 イフリーネの冷静さのなさに、遠征時の不安を覚えつつも、泥の中身は、内心でガッツポーズをした。

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