第023話 変身

 パパッと、お店で「変身の薬」を購入した。

 ヴェールの言う通りに店主へ話しかけたら、本棚の裏に続く地下室に通された。

 錬金術に使う素材たちの臭いが充満していて、地下に降りた瞬間に製造所だとわかった。

 アスモルグの声を無視し続けるのが大変だったけど、まぁ、なんとか買えた。


「まだ俺を攻撃しようっていう意思はかんじられねぇな。そんなものを買って、何に使うつもりなんだ?」


 アスモルグは察していない。気づかれなければ気づかれないほど、俺は自分の信念の強さを確認する。仕事に専念する俺の意志には、少しの隙もないのだと実感できる。

 実際、俺は今、仕事のことしか考えていない。仕事に集中していれば、きっといいことがある。いい方向へ進むと信じている。

 仕事の達成に集中していて、その先のことが抽象的で漠然としていても、俺は構わないのだ。

 仕事、仕事、仕事。

 仕事さえできれば、それでいい。

 俺は今も、自分に言い聞かせている。

 「なぁ、聞いてるのか? なぁ、なぁ、なぁ、なぁ、なぁ……」と意味のない問いを連投してくるアスモルグの声を、かき消すために。


「よし、後はリーネたちを見つけるだけだな」

「おい、無視かよ。ああそうかよ。それならこっちにも考えがある。お前がそうくるなら、俺はこうだ……『万人の意地ウレイヴィング』」

「うっ!?」


 なんだ……? 胸の辺りが……。

 小さく胸が締め付けられるような感覚があって、呼吸が窮屈になった。別に痛くもないし、息苦しいわけでもない。

 むしろ、目の前の景色がくっきりと見えるようになって、全身に活力が沸いてくる。

 やる気が増していく。

 


「なぁ、少しくらいは寄り道したってバチはあたらないんじゃないか? 自分の気持ちに素直になれよ。何かほかに、やりたいことだってあっただろうに」

「他にやりたいこと? 馬鹿言うな。今の俺に必要なのは、仕事を完遂することだけだ。そう、仕事だ。仕事をしないと。仕事、仕事、仕事、仕事……」

「なんだこいつ!? 執着心を与えて注意を逸らそうと思ったのに、本当に仕事にしか興味がねぇのか!? 他に恋愛とか、遊びとか、食べ物とか、性欲とかないのか!?」


 そんなことを企んでいたのか。

 じゃあ、胸の締め付けは、何かを追い求める時の胸の苦しさだったのか。

 小賢しいことを考える悪魔だ。

 でも、策士、策に溺れるとはこのこと。

 俺には仕事以外に執着することなんて何もない。与えられた執着心のおかげで、より仕事に集中できるようになっただけだ。


「おい、見つかったか?」

「いや、こっちにはいなかった」

「くそぉ、あのペテン師冒険者、どこへ行きやがった」


 路地から広い通りへ出たところ、集まっていた三人の騎士から、聞き捨てならない言葉が流れてきた。

 俺はすぐに路地へ戻り、聞き耳を立てる。


「ペテン師って、あの案内人、一体何をしでかしたんだ?」

「出発を中断して、勇者一行が迷子の親を探し始めたのは知っているな?」

「ああ、王子様のご命令でもあるからな。ヴェルクという子供だろ?」

「案内人は、勇者一行の目が届かない隙に、その子供を亡き者にしようと襲っていたようなんだ」

「なんだと? 一体何のためにそんなことを」

「どうやら案内人は、出発が延期されることを、快く思っていなかったらしい」

「それじゃあ、親探しを中断させるために? 確かに魔王討伐の方が重要な任務ではあるが、だからといって殺しまでするか?」

「リーベル様が実際に見たとおっしゃっているんだ。案内人が気絶する子供の側に、剣とナイフを突き立てているところをな。しかも、事情を聞こうとしたら、冒険者は逃げ出したんだ」

「……どうやら、捕まえないことには真相はわからなそうだな。早く見つけ出すぞ」


 その後、さらに数人の騎士が合流し、手分けする相談をしてから散開していった。

 なんだこれ。

 少しスラム街に潜ってる間に、話がとんでもなくややこしい方向に流れていってるじゃないか。

 敵は悪魔だけで十分だっての。


「カカカ、よかったな。これでお前も有名人だ」

「うるさいよ。全部お前のせいだからな」

「ははぁ! 嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか! こんなに褒められたのはいつぶりだろうな!」


 もうこいつは、「人に嫌がらせする」こと事態に執着しているとしか思えないな。

 ――いや、違う。

 こいつの嫌がらせは、言葉だけじゃない。


「まさか……騎士たちに執着心を抱かせたのか?」

「いやぁ! 俺はやっぱりお前のことが気に入っちまったよ! 気づかない奴を馬鹿にするのも楽しいけど、こっちの技が誰にもわかってもらえないのは寂しいもんだ。そこんとこ、頭の回る奴は、ちゃんと気づいてくれるからいいよなぁ!」


 こちらへの妨害行為をしっかりと施しているあたりもムカつくし、気に入られているのも腹立たしい。

 俺は深く息を吐いて、首を振る。

 落ち着け。こいつのペースに飲まれるな。

 仕事に感情を持ち込まない。

 いつも通りに徹すれば、悪魔が付けいる隙はなくなる。

 道を曲がる度、違う方向から騎士たちの声や、歩くときの甲冑の擦れる音が聞こえてくる。

 すでに四方を取り囲まれているみたいだ。


「この量、たぶん、王都にいる騎士のほとんどが応援に駆けつけてる。目を盗んでリーネたちの所に行くのは難しいな」

「お前はあのクズと契約を結んだはずだ。なら、奴の力を使えばいい。逃げるのは奴の十八番だろう。なぜそうしない?」

「お前を逃がしたくないからだよ、アスモルグ」

「はははっ! 束縛の悪魔を束縛しようってか? やっぱりお前は面白い!」


 もうやだ。どんどん気に入られていく。

 無視しよう。無視。


「あ、そうだ……リシアから預かってた、魔術カード。これで連絡を取れば……」


 カードを指で二度叩く。

 表面に刻まれた魔方陣が青く光りだし、一番外側の円が紫色にゆっくりと点滅し始める。その点滅が安定した光になった時、カードから声が聞こえてきた。


「もしもし、ルーファス? 迷子の親探しは捗っていますでしょうか」

「いやぁ、それがもう結構大変なことになってまして……」

「じゃあヴェルクの親は、もうこの世から……?」

「それはまだわからない状況です。問題なのはヴェルクの方じゃなくて……」


 唇がひっつく。口の中で舌が石のように固くなる。

 肝心なことは言わせない。外部に助けを求める行為を妨害し、対象を孤立させ、自分だけのものにしようとする。

 執着心。束縛。


「ごめんなさい。よく聞き取れませんでした。ヴェルクの方ではなく、何が問題なのですあ?」

「いや、まぁ、なんて言うか、色々とありまして。リシアさんにお願いしたいことがあるんです」


 要領の掴めない俺の言葉。カードの向こうから、リシアの小さなため息が聞こえた。


「どうしたのですか? 助けが必要なのでしたら、要求はハッキリとおっしゃってください」

「実は勇者一行と逸れてしまいまして。目抜き通りにある冒険者協会の前に来るように、伝えてもらえないかなと」

「あなたが迷子になってどうするんですか。……いや、あの勇者たちのことですから、また勝手な行動をしたのでしょうか。わかりました。騎士に連絡して……」

「あっ! すみません! 騎士には教えないでください」

「……なぜです?」

「それは……まぁ、色々です」

「…………………………」


 沈黙が続く。

 ほんの十秒ほどだったと思うけど、神経が張り詰めている俺には、悠久の時に感じられた。


「わかりました。勇者一行は私が見つけ出します。ルーファスさんは、黙って指示通りに行動してください」

「……? は、はい」

「では、通信を終了します」


 効力が切れると、カードは光を失った。

 指示通りに行動してくださいって、何のことを言ってるんだろう。

 そう疑問を感じた数秒後、いくつか可能性が同時に存在する中で、最も望ましいものに行き着く。

 あの短い会話で、リシアは不測の事態を察知している。

 まさか何の手掛かりもなしに、悪魔の存在を予見できるはずはないけど、詳しい事情を説明できない場面は、ある程度、状況が限られてる。

 俺が逆の立場なら、最初に疑うのは、誰かを人質に取られ、かつ犯人が通話口で睨みを利かせている状況を思い浮かべるだろう。


 「黙って指示通りに行動してください」


 これは犯人の要求に従い、事を荒立てるなと読み取ればわかりやすい。

 余計なことをすれば犯人を刺激することにもなる。

 言葉の裏には、「後のことは勇者一行にまかせろ」という意図もある。


 こんなのは俺の願望が作り出した、妄想じみた可能性かもしれない。でも、俺の知識についてこれたあの聡明なリシアなら、あるいはと思わせてくれる。


 なんにせよ、俺に許された行動は限られてる。

 リシアを信じて、冒険者協会の近くで待機しておくことにしよう。結構距離があるし、ここよりは騎士の巡回も多くないだろう。


 頭の中の地図を広げ、なるべく人目につかないルートを選んで、冒険者協会の近くまでやってきた。

 リーネのマソの暴走が収まって、目抜通りには人通りが戻りつつあった。

 道端では待ち合わせをしている風の人や、商人同士の情報交換会が行われている。俺はそこに紛れ込み、遠目から館を観察していた。


 どよめきが起こる。

 筋肉隆々の青年が化け物のような早さで走ってきたかと思うと、火の粉を振りまく少女と、黄金の風を振りまく少女が、優雅に着地する。

 通行人の誰もが目を奪われる。

 なにせそれは、昨日の夜に出発式で見た勇者一行なのだ。遠目からでも感じられる高貴さ、気高さ、カリスマ性。王都中の民の羨望を束ねてあまりある求心力が、目の前に現れたのなら。

 彼らが無意識に振りまく希望は、常人には強烈すぎて、見ることも触れることも恐れ多く感じてしまう。

 はたして、勇者一行の周りは、自然と人々が引き下がっていき、輪を描くように人集りができる。


「ルウちゃん、どこにいるんでしょうか」

「僕たち、先についちゃったのかなぁ?」

「おーい! ルゥー! どこにいるんだぁ!?」

「勇者様・・・・・・」

「勇者様ぁー!」

「やぁ、どうもどうも! 勇者だよぉ! 勇者の、筋肉だよぉ!」

「「キャー!」」


 胸筋をピクピクと動かして、ファンサービスするアル。男は畏敬の念を抱き、若い女性たちが黄色い歓声を上げる。中には卒倒する人もいる。


「大司教様!」

「ああ、ありがたや、ありがたや」

「あらあら、そんな固いところに跪いたら、お膝が痛い痛いですよ?」


 エルフィを視界に入れた人々が、一様に両膝を地面について、祈りを捧げ始める。笑顔で手を振るだけで、その背後には後光が差しているように見える。


「ねぇちょっと! ここら辺でルウを見なかった!?」

「ル、ルウ? さ、さぁ、私には・・・・・・」

「も、申し訳ございません! 私も知りません!」


 リーネに詰め寄られた人は、頬を赤く染め、方を強ばらせる。

 太陽の光を避けるために被った大きなフードから、白い肌の、人間離れした美しい顔が見える。

 彼女は半分、吸血鬼。その美しさは見る者を戦慄させる。そのことに自覚がないリーネは、これでもかと距離感を誤り、周囲の人々に尋ねて回る。

 俺のことなんて知らない人が大半なんだから、リーネの質問は回答不可能なものなんだけど、そんな理不尽にも美しさを堪能してしまっている人々は、骨の髄まで従順な眷属と化していく。



 負の感情を撒き散らすのが悪魔なら、勇者一行はまさしくその反対に位置する存在だな。


(よし、もうここでいい……。ここで始めれば、十分反応してもらえるだろう)


 リーネの力を引き出せるかどうかが鍵だな。

 あれは競争心が高いし、挑発にも弱い。

 野となれ山となれ。後は思う存分、暴れてやればいいだけだ。

 小瓶に蓋をしているコルクを噛んで引き抜き、ペッと吐き捨てる。

 緑と紫が混ざり合った見た目は強烈。

 匂いは生ゴミそのもの。

 気合いを入れて口に含むと、卵の白身のようにドロドロしていて、味は海水のように塩辛い。

 この四重苦を早く消し去るため、瓶の底を空に向けて、俺は一気に飲み干した。

 迫り来る吐き気に耐えながら、思わず瓶を床に投げ捨てた。


「うべぇ、でべぇれぼじゃれべべべべ……」


 言葉にならない声が出で、全身が震えだす。

 全身の皮膚がウネウネと動き出し、筋肉も内臓も骨も溶け、関節はあらぬ方向へねじ曲がる。

 皮膚という袋の中で、体の軸となる部分が液状化すると、地面には人間だったものが崩れ落ちることになる。

 そうしてまた、体は理想をもとに再構築されていく。

 醜く、醜く、醜く。

 原型をなくした体へと変身していく。

 周囲から、悲鳴が上がった。

 それは、俺の目論見が途中まで成功していること証明する合図だった。

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