第二章 並行業務(マルチタスク)
第010話 放棄
「ルーファス……起きてください、ルーファス」
「んん……?」
目覚めると、優しい花の香りが意識を鮮明にさせてくれた。
一面に広がる美しい庭園を景色に、リシアが朝食の乗ったトレーを持っていた。
「おはようございます。簡単なものですが、どうぞお召し上がりください」
「え、ああ、ありがとうございます……」
そうだった。
エルフィを救出した後──あれを救出と言っていいかは本当に謎だが──勇者一行を王城に送り届けたついでに、中庭の休憩所で一泊させてもらったんだった。
家に帰るのは、ちょっと怖い気がしたので。
サンドイッチとコーヒーを頂く。
レタスとトマトとハムのサンドイッチ。具材はどれも新鮮で、中庭という優雅な空間も相まって、抜群の味がする。
オード山脈で大陸を一望しながら食べたサンドイッチにも匹敵する美味しさだ。
まさか、リシアが作ってくれたんだろうか……。
「こちらが追加で支給される軍資金、百万アーディになります」
「……すみません」
「いえ、エルフィさんが誘拐されたのはこちらの落ち度です。あなたはよくやってくださいましたよ」
休憩所のテーブルにリシアが革袋を置く。
依頼主によっては追加の資金を断られることがあるけど、さすがは王宮、さすがは事務次官の権威とでも言うべきだろう。湯水のように金が出る。
「しかし……情報提供者の報酬に百万アーディというのは、些か高額なような気もいたしますね。こちらを小馬鹿にしながら足元を見る、邪教徒の気配がいたします」
「ま、まぁ……情報屋もそれぞれですし、今回はたまたまですよ」
「……そうであれば、いいですが」
サンドイッチを頬張るフリをして、リシアの冷たい視線を回避した。
今となっては短絡的な勇者一行の力よりも、リシアの見識の方が怖い。
「その、例の賊たちは、どういった組織だったんですか?」
「すでに調査課に引き渡し、尋問が行われていますが、真相の究明には時間が掛かると思います」
「真相……? ただの賊ではなかったということですか?」
「捕らえられた全員が何者かによって操られている状態でした。魔術課に相談しましたが、どうやら普通の魔術による催眠や洗脳と違うらしく、状態異常の解除に時間を要するとのことでした」
「魔王騒動と、何か関係が?」
「勇者一行を狙った犯行という可能性も十分考えられますが、現状では断定できません。ただ、国内屈指の魔術師たちが集まる魔術課が解明できないという時点で、何らかの脅威が迫っていることは確かでしょう」
凜とした花のように、一切の動揺もないリシア。でも、言っていることは一大事だ。
地方の村や町で魔物の襲来を許しても、王都が攻撃されたことは一度もない。
たとえ死んでも、王都のマーテル大聖堂がある限り、女神フレーデルに蘇生してもらえる。ここが絶対の安全圏だと思っているから、治安や景気が悪くてもみんなが平静でいられてる。
その前提が崩れたら、国民は簡単にパニックを起こしそうだ。
「今後の方針は?」
「王都の問題は、今はまだ別の部署の管轄です。あなたは自身の仕事に集中して、今日の出発に備えてください」
「そう言ってもらえるのは有難い。じゃあ指示通り、俺は遠征の方に集中します」
結局、家に帰ったらリディルがいたり、エルフィが誘拐されたりで、準備する時間が全然なかったな。
まぁいい。旅は長い。
隣街のカーストンでもそこそこの市場があるし、必要なものがあったらそこで買おう。
「何言ってるの? 出発できる訳ないじゃない!」
腰に手を当てたリーネが、不満そうに言った。
「ヴェルクを独りぼっちにさせたまま、旅に出るつもりなの!? 否! 断固として否! 我々は、ヴェルクの親を探すために全力を尽くすのだ!」
国家の独立宣言みたいな荘厳さで、アホみたいな決意を語るリーネ。
ちなみにヴェルクとは、牢屋で拾った少年の名前だ。
「ヴェルクちゃん、とっても似合っています! どこかの貴族の方なのではないでしょうか?」
「子供ながらにいい体つきをしてる。これは筋トレの才能もありそうだね」
横に目をやると、タンクトップ姿に戻った筋肉ムキムキのお兄さんと、神聖で妖艶なお姉さんが、少年に目線を合わせるようにしゃがんでいる。
「に、似合ってるかな……」
「はい! それはもう最高にお似合いですよ!」
「凄く、高級そうな服だけど……いいの? 僕が着て」
「もちろんいいよ! その服はもう、君のものだ!」
どうやら勇者一行は揃って子供好きらしく、もうメロメロといった感じだ。
ベージュ色の髪に碧眼が映えるヴェルクは、整った顔立ちの美少年。牢屋にいた頃は髪が油や埃まみれで、服装も汚らしいものだったけど、風呂に入って、アルが子供の頃に着ていた紳士服を与えると、見違えるような姿になった。
賢そうな顔つきは、高級な服にも引けを取らない。エルフィの言う通り、どこかの貴族の子供なのかもしれなかった。
「はぁ……あなたたちの仕事は魔王を討伐することでしょう。迷子の子供を助けることじゃない。そんなのは王宮の騎士に任せておけばいい」
「まぁ!? なんて薄情なルーファスなの!? お母さんはそんな子に育てた覚えはありませんよ!?」
「アンタのような高慢な母親がいてたまるか」
「リーネ君の言うとおりだ! 放っておいたら可哀想だよ!」
「この子の不安がなくなるまで、どうか御慈悲を」
捨て猫を拾ってきた子供みたいな駄々の捏ね方しやがって。
感情を仕事より優先させる奴は、これだから嫌いだ。
「ダメなものはダメです! 魔王騒動で親とはぐれてしまった子供は他にも大勢います! そういう子供をこれ以上増やさないように、皆さんは自分の仕事に専念すべきなんですよ!」
「く……確かに、それはそうだけどぉ……」
「一日くらいは、いいじゃ……」
「一日でもダメです! 一日遅れれば、全ての工程が遅れるんです!」
「鬼ぃ! 悪魔ぁ! 人の心はないのかぁ!?」
「風の精霊さんの力を使って皆さんを運びますから、ちょっとの遅れなら取り戻せますよ」
「精霊の力を時間稼ぎの道具に使うつもりですか? 部隊は三百名以上いるんですよ? 空中浮遊なんて高度な技を完璧に制御し切れますか?」
「まぁまぁまぁ、どうにかなりますよ」
リーネは猛抗議に、エルフィは終始ニコニコと物腰柔らかく話をはぐらかそうとする。
仕事に対する責任感がない……というより元々が貴族だし、大司教、天魔導師、学校を卒業したての上級騎士じゃ遠征の経験も少ないだろう。
大人数で仕事をする時に、スケージュール通りに行動に移す大切さを理解していない。
「ルーファス君……」
アルはおもむろに立ち上がる。
「こんな小さな子供一人助けられないで、それで僕たちは勇者って呼べるのかな? 確かに僕たちには世界を救う使命がある。でもそれは、子供を見捨てていい理由にはならないはずだよ」
「アルちゃん! いいこと言いますね!」
「アンタの中身は筋肉だけじゃなかったのね!? ちゃんと、脳みそも入っているわ!」
こういう時だけ勇者っぽいことを言いやがって……。
「そうだ、そうだ! 効率主義はんたーい!」
「小さな子には優しくしないといけませんよ」
そうして、ここぞとばかりに便乗してくる。
わがままな子供の相手をしているみたいだ。
「ヴェルクは私の方で預かります。家族も捜索しますので、皆さんは遠征に集中してください」
「やだっ!」
リシアが連れて行こうとすると、ヴェルクはリーネの影に隠れてしまった。
「はっはっはぁー! リシアの顔が怖いってさ! 聡明なヴェルクは、人を見る目に長けているみたいね!」
「もっと怖い顔をお見せしましょうか?」
「ごめんなちゃい!」
リーネは自分の頭を軽く叩いて、「テヘッ」と舌を出した。どうやら人を苛立たせる才能があるようだ。
「怯えることはないよ、ヴェルク君! ほら、この筋肉の躍動を見てごらん! 君に出会えて、僕の筋肉も喜んでる!」
「筋肉に別人格でも宿ってるのか?」
アルは一つ一つの筋肉を自在に隆起させて波を作り出している。同じ人間の体とは思えない動きだ。……気持ちが悪い。
「スゴイね! カッコイイね! 僕も大人になったら、お兄ちゃんみたいにカッコイイ男になれるかな!?」
「はっ……!? なんだこの高揚感は!? 今まで筋肉を鍛え上げてきたのは、今日この日のためだったのかもしれない!」
子供の素直な感想にときめいたアルは、様々なマッスルポーズを繰り出していく。
「大船に乗ったつもりでいなさい! この偉大なる天魔導師様が、ヴェルクの家族を必ず見つけてあげるから!」
「うん! 赤くてカッコイイリーネお姉ちゃん、大好き!」
「あはっ……!? 純粋な尊敬の眼差しを感じる! よーし、リーネお姉ちゃん、頑張っちゃうぞぉ!」
赤を基調としたローブがメラメラと燃え上がり、さらに赤くなっていく。体をくるりと回し、綺麗に火の粉が舞い散った。優雅な舞だった。
「一緒に街を探してみましょう」
「綺麗で優しいエルフィお姉ちゃんも、大好き」
「ふふ、どうもありがとうございます」
「だから、そんな時間はないと……」
もう一度説教を試みようとした時、駆け寄ってきたヴェルクが俺の脛を蹴った。
「あいてっ!? なんで俺だけ!?」
「勇敢なヴェルクが先陣を切ったぞ! 我々も先に続けぇ!」
俺が何かを言う前にヴェルクが逃げ去ると、リーネを先頭に、アルもエルフィも追いかけていった。
魔王討伐のために招集された勇者一行だろうに……完全に仕事を放棄してる。
二人切りになった中庭で、リシアはため息を吐く。
「ルーファス……遠征が遅れないよう、彼らを説得してください」
「俺は無魔です。肝心なところで説得力のある言葉は掛けられません」
「なら、子供の家族を見つけてください」
「本気ですか?」
「説得が無理なら、遅れの原因を取り除くべきでしょう。できないことを嘆くよりは、利口な判断だと思います」
「『魔王城の捜索』は『案内』の内に含みましたが、迷子の家族探しは明らかに別件です。それも仕事の内と言うのなら、追加で報酬を頂きます』
「……」
「報酬がなきゃ仕事とは呼べません。俺が仕事よりも優先するのは、別の仕事だけです」
「筋金入りの仕事人間ですね」
「なんとでも」
「……わかりました。『調査』の名目であなたに依頼を出します」
「依頼書がない場合、報酬は一・五倍です。元の報酬の半額を先払いして、達成されたら全額を支払うのが慣わしです。迷子の捜索なら日割りで五千アーディ。依頼するなら、この場で二千五百アーディを」
俺は至極真っ当な仕事の交渉をしているのだが、リシアはげんなりとした顔をしていた。
リシアが戸惑いながら制服のポケットから取り出したのは、銀貨二枚。二千アーディ。
「い、今はこれしか手持ちがありません」
「では他を当たってください」
「先ほど百万アーディを渡したでしょう!?」
「これは軍資金です。俺の報酬じゃない」
「そんな屁理屈……」
「先払いができないなら、冒険者協会を通して依頼書を発行してください。もっとも今は戒厳令が敷かれているので、依頼書を発行できたとしても、俺は引き受けられんせんが」
「融通の効かない人ですね」
「仕事をキッチリしたいだけですよ」
リシアは少し眉間に皺を寄せて、思案する。
あまり困らせたくない人だけど、こればっかりは譲れない。こういうところで妥協すると、仕事とプライベートの境界がどんどん曖昧になっていく。
とくに今回は迷子の案件だ。子供への同情でサービスなんて感情を持ちだしたら、何のための仕事なのかわからなくなる。
「「ギャハハハハッ!!」」
中庭に面した回廊から高笑いが聞こえてきた。
「二日酔いのくせにまた行きたがるなんて、相当あの店が気に入ったんだな!?」
「ガロろんの選ぶ店は毎回最高。ハズレがない」
歩いてきたのは二人の老人。特務大臣のグレイブと、冒険者協会会長のガロだった。
どうやらまた、いかがわしい店へと繰り出すつもりらしい。いい歳こいて何してんだか。というか、ガロろんって……。
「ちなみに、誰を気に入っちゃったわけ?」
「リリニャン」
「あの娘、愛想が良くて可愛いもんなぁ。しかし意外だな。お前はあのツンデレ事務次官みたいな清楚な感じの娘が好きなんじゃないのか?」
「忙しい日々のストレスを忘れるため、たまには趣向を変えたい時もある。リリニャンのタワワなパフパフボディからは、リシアたんの慎ましい体では得られない要素が…………あ」
老人の二人と目が合った。
リシアの雷撃は、顔を恐怖に歪ませる時間すら与えず、特務大臣を感電させた。
そうして、電気の力で器用に懐から硬貨を盗み出していた。
「銅貨五枚。交渉は成立ですね」
「はい。確かに」
「ぉぉおおおおお!? 二人でパフパフ三昧な日々を送るんじゃなかったのかぁぁああ!? こんなところで死ぬなぁぁあ!」
まる焦げになった特務大臣を抱え上げ、ガロが叫んでいた。
馬鹿馬鹿しい。
アルたちを見失わないうちに、俺は後を追いかけることにした。
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