第007話 自宅
ああ、ヤバイ……家賃のこと、ディペットに相談しないと。
遠征に出たら半年は戻ってこれない。それだけ滞納が続いたら、さすがに今度は追い出される。家がなくなるのは構わないけど、本が処分されるのは困る。
そんなことを考えながら、俺は部屋の鍵を開けようとした。
「……?」
鍵を回しても手ごたえがない。扉が開いている
俺としたことが、鍵、掛け忘れたのか?
「おかえりなさい。ルーファス」
部屋に入ると、美人が座っていた。
艶やかな金色の髪に、しなやかな体のラインが浮き出る白い服、白いスカート。
掃き溜めに黄金、沼地に白鳥。おおよそボロ屋には相応しくない、純白の服を着た美女がいる。
なんだろう……コントラストが激しすぎて、少し吐き気がするくらいだ。現実離れし過ぎると、人は錯乱する。
「……ただいま」
まずは落ち着こう。取り乱したところで事態は何も解決しない。
俺は平静を装いながら、リディルの向かい側の席に座った。
「で、なんでアークテイルさんがここにいるんですか?」
「夫婦だから。同じ家に住むのは、普通のこと」
「……」
リディルは無表情に言う。
そんなつもりないくせに……夫婦になったことを微塵も疑わない顔で、平然と嘘をつく。大した演技だ。さすがはSランク冒険者だと感心せざるを得ない。肝が据わっている。
「鍵は? 掛かってたでしょ?」
「ディペットから貰った」
「どうやって?」
「夫婦だから。合鍵を持ってても、普通のこと」
「何をやっているんだ、あの大家……こんな収入の安定しない男が、結婚なんてする訳ないだろうに……」
「君は遠征に出向くから、代わりに一年分の家賃を払ったら、合鍵をくれた」
「ああ、なるほど。お金を支払ったから、ディペットは鍵を渡したのかぁ……って、なに勝手なことしてるんだよ!?」
「夫婦だから。一緒に住む家の家賃を払っても、普通のこと」
「……」
くそっ! どういう訳か、むこうの言い分には筋が通っているように聞こえる!
この人は、『夫婦だから』という枕詞で今後も押し倒すつもりなんだろうか。
意味がわからない。
一体何のためにそんなことを。
「はぁ……正直、今は手持ちがないので家賃を払ってもらえるのは凄く助かるんですけど……でも、どこかで纏まったお金が入ったら、それは必ず返しますから」
「返さなくていい」
「絶対に返しますから」
「返す必要はない」
「ある」
「夫婦は財産を共有し合うものでしょう。君は私と一緒に五十億の貯金を手にしたの」
「五十……億……」
嘘に決まっている。
収入の話ではない。Sランク冒険者ならそれくらいの貯金があっても、不思議はない。そこは疑ってない。
あり得ないのは、そんな大金をよく知りもしない男に渡すことだ。
「アークテイルさん……そういうことは冗談でも言わない方が……。世の中、そういうことを鵜呑みにする人間だっているんですから……」
「残念だけど、私の家はとても厳しくて、視野が狭い。だらから君の魅力を理解できないと思う」
「……何の話ですか?」
「必然的に私が嫁ぐかたちになるから、私はもうアークテイルじゃない。今はリディル・ロッドウォーカー」
「やかましいわ! お金も家も名誉も捨てて、アンタは何がしたいんだよ!?」
「夫婦がしたい」
「……」
こんな夫婦関係なんて偽りに決まってるのに、どう足掻いても言葉尻をとられてしまう。
こうなると早めに白旗を振ってしまった方が、その後の交渉に入りやすいか。
「わかった、降参ですよ。俺の負けだ。とっても面白い冗談だと思うし、俺は十分に困り果てました。じゃあそろそろ本題に入りましょう。あなたは何しにここに来たんですか?」
「夫婦をしにきた」
「いやだから、それはもういいですって……。何か要件があったから、ここに来たんじゃないんですか?」
「……他には何もない」
「……」
「夫婦だから、ここに来た」
……夫婦には『いたずら好き』っていう意味があるんだっけ?
何か嫌味を言うためにここに来たんじゃないのか? どうにも要領が掴めない。
「確かに俺は報酬の前払いを受け取った。でも、それは
「君は依頼を達成するのだから、仮初にはならない」
「なら、ずっと俺と夫婦でいるつもりですか? こんな家賃二万のボロ屋に住んでる貧乏人と?」
「ええ。貧乏で、変なところで頑固で、運がなくて不器用で、無魔で雑魚で貧弱な君と、私は結婚した」
「畳みかけるように酷いことを……まぁ本当のことだけど……」
俺が任務を達成できると信じてるだって?
じゃあ本当に俺との結婚を受け入れているのか。いやいや、どう考えてもそうはならないだろう……。
あり得ない。そんな現実はあり得ない。
大空に羽ばたく純白の鷹と、地を這うナメクジの構図は、天と地が遥か彼方まで平行線のまま続いているのと同じように、決して交わることはないはずだ。
「お互いのことを何も知らないのに、いきなり結婚って、あり得ないでしょ」
「私は君のことを見ていた。何も知らない訳じゃない。君はとても貧乏で、変なところで頑固で、運がなくて不器用で、無魔で雑魚で貧弱」
「……」
「だけど、自分の弱さから目をそらさず、克服するために勉強を続けていて、どんな不幸に見舞われても、一度引き受けた仕事は絶対に投げ出さない強い信念を持ってる。私は、そんな人となら一緒になっても後悔しないと思った」
リディルは相変わらず無表情で言い切った。真剣な表情にも見えるけど、無関心で冗談っぽくも受け取れる。
どちらかと問われれば、やっぱり俺との結婚なんて普通はあり得ないことだから、後者なんだろうけど……彼女には千里眼があるから、本当に俺という人間をよく観察した上で結婚を受け入れた、という可能性が拭いきれない。
あり得ないはずなのに、それを確定できない時点で俺は蟻地獄に片足を突っ込んでいる。慌てれば慌てるだけ、体は砂に引き込まれていく。
注意しろ。ここで足を踏み外したら、俺の人生は終わりだ。
もっと相手の言葉に耳を傾けて、何を企んでいるのかを見極めるんだ。相手がSランク冒険者だからって、物怖じしちゃいけない。
「好きな食べ物は塩気のある硬いパン。好きなことは深夜に剣の訓練をして日の出を見ること。好きな動物は猫。嫌いなものは社交界と、剣の訓練ができないこと」
なんか、自分の選り好みをアピールしてきたな。
意図がわからない。
「剣は刃渡り九十センチ、幅五センチで直線的に、厚みは一センチ、鉄六割と
リディルはテーブルの上に剣を置いた。
全体的に白色を基調としていて、装飾が金色なのは、持ち主の服装と髪の色と一緒だ。剣聖、Sランク冒険者の剣だと思うと、置かれているだけでも威圧感がある。
一体、この剣でどれだけの化け物を倒してきたのか。
「アークテイルさんの剣の好みはわかりましたけど……」
「持ってみて」
「え?」
「持ってみて」
「……」
そう促されると、俺はやっと、自分の体が強張っていることに気づいた。
ただテーブルの上に剣を置かれただけで、俺は極度に緊張している。
剣が放つ覇気、真髄に見える剣聖の努力を、無意識の内に感じ取ってしまっている。
触れることすら恐れ多い。
俺も、それなりに場数を踏んで、経験を積んできたつもりだったけど……装備品を見ただけで畏怖を感じたのは、生まれて初めてのことだった。
「いや……いいですよ。遠慮しておきます」
「お願い。少しでいいから」
「……」
よくわからないけど、持たなければ帰ってもらえなさそうだ。
俺は剣に手を伸ばした。
「……は?」
両手で持って、何度か踏ん張って挑戦して、やっと持ち上げることができた。
寒気がする。
肌に感じる空気の冷たさじゃなく、体の芯が冷え込む感じだ。
これを片手で振り回していたのかと思うと、剣の重さだけで、リディルとの間にある気が遠くなるほどの実力差が体感できる。
「私は、自分の剣を誰かに触られるのが苦手」
「なんで触らせてから言うんですか」
「それを持たせるのは、君を信用している証だと思ってほしい」
「信用して貰えるのは嬉しいですけど……」
「知らないことがあるなら、今から知っていけばいい。出会う前から仲良しな人間なんて、いるはずない」
「……」
「ちなみに、君との子供は三人欲しい」
「こ、こ、子供!? 話が飛躍し過ぎでしょ!?」
「そう……? そうは思わないけど……」
「……夫婦だから?」
「夫婦だから」
俺を褒めて、俺を信用して、俺をからかって、それで彼女は一体何を手に入れようとしているんだろう。
ただ俺を困惑させるのが目的なのか? この状況を楽しんでいるんだろしたら、一向に事態を収拾するつもりがない彼女の言動にも納得がいく。
──ドンドンドン! と、強く扉が叩かれたかと思うと、
「ルウ君! ルウ君いるかい!?」
こちらの返事も待たずに、来客は玄関の扉をこじ開けて……というか、蝶番を壁間から引き抜いて、扉ごと中へ侵入してきた。
「あれ、扉が外れちゃった。根本が腐ってたのかな?」
自身の馬鹿力による破壊行為を、扉の老朽化のせいにしているのは、さっきまでパレードで観衆に手を振っていたはずのアルだった。
ゴツイ甲冑はなくなって、今はタンクトップに半ズボンの野生児スタイルに戻っていた。
「ルウ君!?」
アルはやっと俺に気づいた様子で、扉を背中の方へ回した。アルは大きな体つきだけど、扉を隠すのには無理がある。
「──あれ? リディル君がどうしてここに?」
リディル君……? この二人は面識があるのか?
「私はルーファスとけっこ……」
「ああ! 明日が出発だからね! Sランク冒険者として色々とアドバイスをしに来てくれたんだ! あははは! いやぁ、さすがはSランク冒険者、懐が大きいよ!」
「へぇ……あのリディル君が、他人のためにアドバイスを……」
ちっ……顔見知り以上の関係かよ。下手な嘘は通用しないかもな。
Sランクともなると、王侯貴族とも交流があるものなのか。
「ルウ! 大変だ! 一大事だ!」
火の粉とともに部屋に入って来たリーネは、挨拶もなければ空気も読まない。俺の胸ぐらを掴んで、キスしてしまいそうなくらいに困り顔を近づけてくる。
ふわっと甘い香りが鼻孔に伝わって来る。
くっ、なんで女ってやつは、どいつもこいつもいい匂いがするんだよ。
こちらを見るリディルの視線に、圧があるのは気のせいか。
「何が大変なんですか?」
「エルフィがいなくなった! どこに行ったのか、わからなくなっちゃった!」
「はぁ!?」
どこに行ったかわからないって、誘拐でもされたのか? でもエルフィは精霊を三柱も従えている人間だ。国が総力を挙げたって、そう簡単に捕まえられるような相手じゃない。
なんにせよ、これは俺にとっても重大な問題だ。俺が引き受けたのは「勇者一行を魔王城へ連れていく」こと。エルフィが失踪すれば、仕事は永遠に完遂されない。
「わかりました。一緒に探します」
「ありがとう! ルウ君が優しい人でよかったよ!」
「優しい……? 今後の為にも言っておきます。俺が手助けするのは、仕事を滞らせたくないからであって、仲良しになるためじゃありません」
「……それはつまり、友達にはなれないけど、親友にはなれるってこと?」
「どうしてそうなるんだよ。……とにかくここを出ましょう。出発は明日です。仕事を滞らせたくありません」
「闇雲に探したって見つからないわ。心当たりがあるの?」
「情報通を当たります。足元を見られそうですけど、仕方ありません」
「じゃあね、リディル君! また今度話そう!」
勇者たちを引き連れて、部屋を後にする。
リディルに挨拶する余裕は、俺にはなかった。
「ルウ君……もしかして僕たち、悪いタイミングで押しかけちゃった?」
「何を勘違いしてるか知りませんが、小難しいアドバイスばかりで退屈していたところだったんで、むしろグッドタイミングでしたよ」
「ふーん……リディル君が、小難しいアドバイス……」
純朴な少年のようにアルは呟く。
これ以上の弁明は逆に怪しまれるので、僕は無言のまま歩き続けた。
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