第30話 心の風景

 眩い光が収まり、瞼をそっと開けた。 

 最初に感じたのは、暖かな陽の光。

 そして爽やかなそよ風が、俺の黒髪をふわりと撫でる感触。


「草原……?」


 誰に言うでもない俺の呟きは、風が草花を揺らす音にさらわれる。


 眼前に広がるのは、赤と紫の花が一面に広がる草原だった。

 高く上った陽が、短い影を足元に落としている。


「ここが……ラフィの?」 


 そう。ティミシアさんが導いたのは、ラフィニアの魂に直結した場所だ。

 ここが現実の世界ではない証拠に、俺の恰好は黒と赤の制服——守護者の装いに変わっていた。


 吹き付ける風を肌で感じながら、そっと周囲を見回す。


「何かここ、ルース村の風景とちょっと似てるな……」


 家屋こそないが、緩やかな谷間の草原はラフィニアの故郷を思い起こさせた。


「あの人、『導いてやる』とか言ってたけど、ラフィはどこだ?」


 周りを見渡せど、人影の一つすらなかった。

 だが、このままジッとしていても始まらない。アテなど無いがひとまず歩く事にした。


 草花を踏む音と、不自然に吹き続ける風が耳を過ぎ去っていく。

 現実感の薄い光景を眺めながら無言で歩き続ける。


 だが――


「……どこにも近付いてる気がしない」


 遠くに見える山麓を目指していたが、一向に近付かない。

 埒が明かないと、一度足を止めた時だった——


「お兄ちゃん?」


 聞いたことのない、少女の声が耳に触れた。


「……誰だ?」

「ふふ、そっか……やっぱり覚えてないよね」


 声のした方へと振り返る。と、そこには少女らしき形をとった白い影があった。

 その白い影はゆっくりとこちらに歩み寄る。

 

「でもお兄ちゃんは悪くないよ? 世界を越えた存在は皆、何かを失ってしまうんだから……」

「お兄ちゃんって……今の俺が男に見えてるのか?」

「あはははっ! そっか、そうだよね! 今は”アシュリーちゃん”だっけ?」


 少女のシルエットはお腹を抱えて笑っているような動きをみせる。

 その言動は、ラフィニアよりも少し幼い印象を伝えてくる。髪も肩までしかない。 

 

 ——この影はラフィニアとは違う”誰か”だ。


「どうして、俺を知ってる? 君はラフィと、どういう関係だ?」

「わたし? わたしはね、ラフィちゃんの”心の友達”——みたいなものかな?」


 首を傾げる俺へ、影の少女はさらに一歩詰め寄る。

 少し、ほんの少しだけ白い影の輪郭が、ハッキリと形をとり始めた。

 鈴を転がしたような無邪気な声音が、心地よく俺の耳を震わせる。


「ねぇ、今は……幸せ?」


 影の言葉は唐突だったが、俺の心は平静なままそれを受け止めた。


「あぁ……ラフィと一緒に居られるなら、幸せだよ」

「そっかぁ~、ホントに良かった……。前は、色々と大変だったもんね……」

「……もしかして俺たち、前にどこかで会ったのか?」

「ふふふ……。今は、教えてあげない♪」


 少女の影がくるり、と踵を返す。

 すると昼の草原は一瞬で変わり果て、黄昏の色に染まった。


「あ~あ、ラフィちゃんが『寂しい』って泣いてる……」

「——ラフィの居場所が分かるのか!? 頼む、教えてくれ! どうすればラフィを救える?」

「うん! わたしに任せて!」


 そう言った少女の影が手を差し伸べてくる。

 一瞬、その手を取るべきか——と逡巡しゅんじゅんするも、俺はその手を握った。


 すると、少女の影はジッと繋いだ手を見つめて、おもむろに口を開いた。


「懐かしい……。小っちゃくて可愛い手になっちゃったけど、お兄ちゃんだ……」

「……俺たちは兄妹だったのか? だとしたら悪い……思い出せないんだ」

「ううん、謝らないで。わたしの意識も、もうほとんど擦り切れてしまったから」


 少女が「じゃあ、行こっか?」と、俺の手を引いて歩き出す。


 一歩、足を前に出すたび景色が目まぐるしく変わっていく。


 ——ルース村。

 ——廃教会。

 ——そして、修道院の自室。


 最後に辿り着いたのは花壇の花が枯れ果てた、修道院の中庭だった。


 その中央で、一人うずくまった金髪の少女が静かに泣く声だけが響いている。


「ラフィ……」

「じゃあ、お姫様を目覚めさせてあげて?」


 そう言った少女の影は、俺の手を名残惜しそうに離した。


「目覚め、って普通に声をかければ良いのか?」

「お姫様を目覚めさせるには、キスって相場は決まってるでしょ?」

「…………はぁっ!?」


 俺の、マヌケな絶叫が上がると同時——少女の影はお腹を抱えて笑い始める。


「お兄ちゃん、顔真っ赤! 可愛いぃ~!」

「おまっ……か、揶揄ったな!?」

「ごめん、ごめん! ちょっとしたジョーク! ……半分は本気だったけど……」 


 白い影は、涙を拭くような仕草で平謝りを繰り返している。 

 言葉の最後あたりにボソボソと呟いた声は拾い切れなかったが、何となくそれを追求するのは野暮なように感じた。

 

 すると、少女の影はラフィニアに歩み寄り、優しく背中をさする。


「普通に抱きしめてあげて? そしたらラフィちゃんも、お兄ちゃんも一緒に目覚めるよ」

「たった、それだけ?」

「ラフィちゃんにとっては”たった”じゃないんだよ? お兄ちゃんも女の子なんだから、乙女心くらい勉強すれば?」


 クスクスと笑う白い影が、ゆっくりと薄らいでいく。


「お、おい……お前、まさか消えるのか?」

「ありゃ? もう時間か……」

「時間とかあるなら言ってくれよっ!?」

「んまぁ、今回はラフィちゃんが頑張ったからねぇ」

「世界に……?」


 少女の影は首を振ってから「こっちの話しだよ」と視線を逸らした。


 少しの沈黙が流れる間に、花壇のある中庭は黄昏から夜闇の色へと変わっていく。

 頼りなく感じるほど薄くなった白い影が俺へ歩み寄り、ゆっくりと腰に腕を回してくる。


「可愛い女の子になったけど——はお兄ちゃんのままだね」

「……そうか」

「でも、ちょっとくらい女の子らしくしなよ?」

「はは……ラフィと似た事言うなよ」

「そりゃあ、わたしってラフィちゃんのな存在だし? 似てて当然だよ」


 そう言った少女の影は、さっと小走りで遠ざかる。


「それじゃあ、お兄ちゃん。しばしのお別れだね」

「ああ、またな」

「恥ずかしがらずに、ちゃんとラフィちゃんを抱きしめてあげてね?」

「任せとけ。初めてでもないしな」

「さっすがお兄ちゃん! それじゃあ——」


 少女の気配は、徐々に霧散する白い粒子と共に薄らいでいく。

 何か返事をしないと——そう思っても、俺の喉は声を発せなかった。


 ここに残ったのは一瞬の静寂と、心に隙間が出来たような喪失感。

 咄嗟に伸ばした手は宙をさまよい、少女の気配は白い影と共に溶けて消えた。


 最後に聞こえた「またきっと、会えるから」という言葉を残して——。




▽ ▽ ▽




 ——まどろみの中で、鮮明に残っていたのはあの赤と紫の花が咲き誇る草原。

 あとは濃い靄が掛かったように、何も思い出すことは出来なかった。


 そんな雲を掴むような感覚に身を預けていた時。

 ふと胸の上に重みを感じて瞼を上げる。


「アシュ、おはよう」


 視界いっぱいに、紫色の瞳が俺を覗き込んでいた。


「~っ!? ラフィ、近いって!」

「えへへ、アシュの寝顔が可愛くって、つい♪」

「おまっ!? ……はぁ、まあいいや。お、おはようラフィ」

「はい。素直でよろしい」


 上機嫌に笑みを浮かべたラフィニアはベッドから降りて、ソフィアさん達に頭を下げた。


「皆さん、ご迷惑をおかけしました! 私はこの通り、元気になりました!」


 そう言って、力こぶを見せるようなポーズを取った。

 

「無茶をし過ぎよ……焦らなくても、アナタは立派な聖女になれるわ」


 ソフィアさんは、眉を寄せつつも安堵した表情を浮かべている。


「ふむ。君たち二人は、本当に興味深い! 調べたい所だが、後日としようか」


 ティミシアさんは興味津々にターコイズブルーの瞳を輝かせていた。


「ラフィニアさん、ご無事でなによりです。これからも妹さんの教育にお力添えを」


 マーシーさんは深々と頭を下げて、不穏な事を口走っている。


 三者三様の反応に、俺もつい笑いがこぼれる。

 こんな風に笑ったのは、いつぶりだろうか……。不思議と心が満たされていく気がした。



 こうして俺はラフィニアの元へ帰り、ラフィニアも昏睡状態から戻って来れた。

 まだ帝国の脅威は去っていないが、ひとまずは日常が戻りそうな予感が胸を満たしていく。 


 胸の奥に、何か大事なことを忘れてしまったような寂しさだけを残して——。


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