第24話 囚われのアシュリー
——沈んでいた意識が浮上しようとしていた。
最初に感じたのは、頬に触れる冷たい石床の感触。
空気は湿り気を帯び、澱んだ匂いが漂っている。
まぶたが重い……。
湿った空気に混じって、血と鉄の混ざった匂いが鼻を刺す。
(……ここは、牢か?)
わずかに目を開けると、薄闇の中に石壁と鉄格子が見えた。
視界の端——牢の外で橙色の灯りが、ユラユラと揺れている。
鉄格子の外では、二人の男が雑談混じりに酒を煽っている声が響き、不快感を呼び覚ます。
(あれは……さっきの奴らか? ラフィを拉致する計画を話してた……)
ラフィニアの危機が脳裏を駆け巡った瞬間——ぼんやりとしていた意識が、急速に覚醒へと向かう。
だが——ジャリン、という金属音が石壁に反響すると同時、自由に身体が動かない事に気付く。
手足は鉄の枷で拘束され、鎖で壁へと繋がっていた。
体には鈍い痛み。だが、致命傷ではなさそうだ。
意識もはっきりしてきた。——まだ、戦える。
すると、胸の奥で静かに鼓動が揺れた。
『アシュリーよ、下手に動くな。気配を悟られるぞ』
アシュタロトの声が、頭の奥で静かに響く。
アイツにしては珍しく、言葉の端に苛立ちと焦りの気配が混じっていた。
(分かってる。まず、情報を……)
目を閉じ、耳を澄ませる。
すると——男たちの会話の中に、よく知る名が語られる。
「……グイード様が『数日中に“標的”を運べ』ってよ。だが、ラフィニアとかいう小娘は修道院で守られてんだろ?」
「あぁ……だが、協力者の神父さんが標的を誘い出してくれるらしい」
「くくくっ……いきなり身内に裏切られるなんて、次の聖女様も災難だな、おい」
「エッケハルト様に目を付けられた時点で災難だろ」
「違ぇねぇ!」
品性を感じない男たちの笑いが神経を逆撫でる。
全身を怒りがはしり、血が逆流するような感覚が駆け巡った。
思わず拳を握りしめるが、鎖が小さく鳴った音で正気に戻る。
(落ち着け……今、焦っても何も変わらない)
その時、鉄格子の向こう——通路の先から靴音が近づいてくる。
他の男たちとは違う、規則的な足音が二つ。
すると松明の炎が揺れ、その姿が浮かび上がった。
黒い外套を纏った老齢の男と、灰色のローブを羽織った聖職者らしき人物。
目深にかぶった外套から覗く口元が、歪んだ嗤いを浮かべる。
だが、先に口を開いたのは隣に立つ聖職者らしき男だった。
「面白いものとは、君だったのか。アシュリー・フィリウス」
どこかで聞いたその声には、妙に柔らかい響きがあった。
だがその目の奥は、獲物を前にした獣のように愉悦の色が覗いている。
「……俺を、知ってるのか?」
「知っているとも。お前が“彼女”——
ぞわり、と背筋を冷たいものが這う。
すると揺れる松明の灯りが、一瞬だけ男の顔を照らした——。
「アンタ……たしか修道院にいた、ダニエレ神父……?」
「ほぅ、劣等生の君にしては物覚えは良さそうだな、アシュリー。普段とはずいぶん口調が違うが……それが君の本性かね?」
灰の髪を後ろで束ねたダニエレは、歪んだ笑みを向けてくる。
「裏切り者は、アンタだったのか……」
「ソフィアのやり方では救われない人間もいるのだよ。その点、帝国の目指す理想郷は魅力的でね」
ダニエレ神父は、恍惚とした表情で自らの理想を語っている。
すると、隣で沈黙していた外套の男が神父の独演を遮った。
一歩鉄格子へと近付きながら低い声音を響かせた。
「アシュリー、と言ったな? お前が、ルース村に封印されていた悪魔か?」
「…………」
「待て、グイード。コイツが悪魔? ただの噂では無かったのか?」
ダニエレが黒外套の男——グイードへと詰め寄る。
「可能性は高い、と考えている。この事を、聖女ソフィアが知っていたのだとしたら……どうする? ダニエレ神父」
グイードの言葉に「ふむ」と唸り、思案を巡らせるダニエレ。
その顎に触れる姿を、激しく揺れる松明の灯りが照らし出す。
「糾弾する手札にはなるだろうな。聖女という役目はともかく、国主としての
ダニエレの口元がさらに深く、愉悦に歪んでいく。
神父から俺へと視線を移したグイードは、小さく息を吐いた。
「ともかくだ、お前には聞きたい事がある。次期聖女を孤立させる前に、お前が修道院を飛び出してしまったからな……」
(やっぱり、狙いはラフィニアを孤立させる事だったのか……。なら、いま俺がここにいる事は、コイツらには不都合ってわけだ……)
自身の決断が実を結んだことに、つい乾いた笑いが零れた。
「何が、おかしい……? 悪魔が聖女に肩入れして、何になる?」
そう言ったグイードは鉄格子の前にしゃがみ込み、冷たい視線を突き付けてくる。
「悪魔のお前でも、
「はっ、俺じゃあアイツを誘き出せやしない……。俺にそんな価値は無いからな」
「仲良し姉妹として有名な君が? 下手な嘘だな、アシュリー」
横合いから口を挟むダニエレが、嫌味な笑みを顔に貼り付けている。
「はは……俺を悪魔に仕立て上げたお前たちが、それを言うのかよ……」
「つまり、仲違いしたと?」
「おかげさまで……」
掠れた声しか出ない。だが、俺の嘲笑は男たちに届いたようだ。
グイードの眉がわずかに動いた、次の瞬間——鉄格子の間から手が伸びる。
そのまま俺の頬を掴むと、無理やりに顔を持ち上げられる。
床をこすれた鎖の音が、狭い牢内で大きく響いた。
「随分と強気だな。まぁ、お前が悪魔だろうが何だろうが、これから聞き出せばいい事だ……」
男の吐息に冷笑が混じる。
だが俺は、目を逸らす事なく”敵”を睨みつけた。
「……面白い。なら、見せてもらおうか——お前の”覚悟”を」
その言葉と同時に、グイードが背後に控えていた男たちを一瞥する。
雑談に興じていた男は鍵束を取り出すと、牢の扉を開いた。
錆びた金属音が、牢内の空気を揺らしていく。
壁に繋がった鎖が外され、物のように引きずられる。
乾いた鎖の音——それが地面を引きずる音だけが妙に耳に残った。
遠のく意識の中、ラフィニアの笑顔だけが俺の心を支えている。
ふと、胸の奥に残るその笑顔が、泣き崩れた”あの夜”の彼女へと変わった。
(……俺は必ずお前を守る。だから……泣かないでくれ、ラフィ)
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