第23話 沈む意識
——アシュリー視点——
——まだ夜明けも遠い深夜。
星の瞬きが、静かな夜空に音を残しているように感じる頃——。
俺は修道院から少し離れた裏通りの空き家で、ティミシアさんと顔を合わせていた。
「情報、ありがとうございます。おかげで帝国の牙がラフィニアに届く前に、俺は決心出来た……」
「ホントに不器用だな、キミは」
ティミシアさんのターコイズブルーの瞳に、憐憫の色が覗く。
俺は懐に入れていた一通の封書を、机の上に静かに置いた。
宛名は書いていない。
けれど、誰に宛てたものかは書いた俺自身が一番よく知っている。
何度も書いては破り捨て、ようやく残せたのは拙く短い文だった。
けどラフィニアに言えなかった想いの断片と、願い……。
それを誰かに残しておかないと……俺は、前に進めない気がしたから。
「それを——ソフィアに? ラフィニアではなく?」
夜闇の中に静かな声が響く。
月光に照らされたティミシアさんの瞳が、俺の決意を探るように見つめてくる。
「はい。ラフィには……辛い内容だと思うから。彼女が、落ち着いてから読んでくれれば、それで……」
「そうか……」
ティミシアさんは静かに息を吐き、封書を胸元に収めた。
「キミのような子を救い切れなかった……それが心残りだが」
彼女は言葉を切り、椅子の背もたれに身体を預ける。
ギィ、と木製の椅子が軋む音が、妙に大きく感じた。
「だが、決意したのだな。——ラフィニアの照らす道から去ることを。
その言葉に、俺は黒い外套の前を静かに閉じた。
布の下に隠されているのは、赤がはしる黒の制服——
清らかさと、光の象徴であった”白”とは対極の色。
(——戻る場所は、もう無い)
沈黙のまま、椅子から立ち上がり踵を返すと、ティミシアさんの呟く声が俺の足を止めた。
「それを渡して早々——キミに貧乏くじを引かせてしまって、すまなかった……。キミの行く道の先が、”光”に通じている事を願っているよ」
「……ありがとう、ございます」
軋む扉を押し開けると、冷たい風が吹きつける。
耳を掠めるその音に目を閉じると、視界の端に灰色の影があらわれる。
——聖国の諜報部隊
灰色の髪と、赤茶色の瞳。
少年のように見える外見とは裏腹に、掴みどころのない雰囲気の奥に鋭い爪と牙を隠し持っている狼獣人だ。
「やっぱり行くんか、アシュリー」
「あぁ。誰かがやらないと、ラフィの身に危険が及ぶからな……」
「誰か、て言っとるけど……結局、自分が貧乏くじ引くことしか考えてへんやろ?」
その言葉に、思わず苦笑が漏れた。
カイは肩をすくめ、懐から黒い印章を取り出す。
「コレ持っていけや。あの年増エルフには言ってへんけど——僕からの、せめてもの”協力”や」
それは諜報部の通行符らしい。——表向きには存在しない裏の許可証。
「——街の北区、使わんようになった修道院の旧倉庫が妖しいねん。最初に行くなら、まずソコや」
「助かる」
「……本当は、僕の仕事やねんけどな」
「下手に動けば、帝国との戦争になりかねないんだろ?」
赤茶色の瞳が驚きの色を見せて見開かれる。そして短い沈黙のあと、カイが息を吐く。
「行ってき……。君の”決意”、僕が見届けさせてもらうわ」
俺は軽く頷き、夜の街へと足を踏み出した。
外套が風に揺れ、靡いた裾からは黒と赤の制服が覗く。
ラフィニアの名を、あの笑顔を胸に刻んで——俺は進む。
だがその一歩が、闇へと足を踏み入れた瞬間だった————。
▽ ▽ ▽
——聖都の北区。
そこはこの聖都全体で見ても一番開発の遅れている地区だ。
その最大の理由——それは、スラム街が存在していることにあった。
聖都の大聖堂から遠く離れたこの地は、秩序の光が届かない場所。だが、ここにも人々なりの規律があった。
自作のあばら家が折り重なる光景が、混沌としたスラムに見えてしまっているだけらしい。
その片隅に、かつて修道院の使用していた奉仕拠点と、その倉庫が今も廃墟として存在している。
十年ほど前に廃棄した建物は、すでにツタが生い茂った幽霊屋敷のような外観と化し、この付近の住人すらあまり近付かない不気味さを漂わせている。
まだ日の出までは時間がある。
人目もほぼ無い今——俺は難なく倉庫の煉瓦壁へと辿り着く。
(見張りもいないし、人の気配も……。ハズレだったか……?)
と、小さく息を吐いた時だ。緩やかな熱と鼓動が胸の奥にはしる。
(……アシュタロト?)
『これは……隠蔽の魔法か何かのニオイじゃ。空気が
アシュタロトが鼻をスンスンと鳴らしながら、俺を身を案じるような事を口にした。
『アシュリーよ、以前より封印は薄らいでおるが、キサマはまだ弱い——』
「だから無茶するな、か? 気遣い上手だな、お前」
『茶化すでないわ! それより——無茶をして死んでくれるなよ? アシュリー』
「分かってる……。ラフィの無事を確立するまで、死ねるかよ」
『——ならば良い』
そう言葉を残し、アシュタロトの気配は静かに俺の中に消えた。
今、俺がすべきは情報収集と印象操作を担っている魔法印の破壊だ。
可能なら敵を排除しておきたいが、今の俺では見た目相応の女子の力しかない。
ティミシアさんから貰ったこの制服の魔法付与も、戦闘をこなすだけの効力はないらしい。
封印を意図して突破できない以上、それをあてにするのはリスクが大きすぎた。
何より、アシュタロトの力は危険すぎる。
周りはもちろん、俺にとっても——。
(どうする……? 中に入らないと何も分からない。けどもし罠だったら……)
一瞬迷うが、ラフィニアの笑顔を守りたい——その決意が俺の足を前へと進ませた。
倉庫の壁伝いにグルっと一周してみる。
すると壁を覆うツタの裏に小窓を見つけた。それは小さく、大人の男では通れないほどの隙間。
(俺なら、通れるな。この細い身体に感謝する日が来るとはね……)
小さくため息を零し、狭い隙間へと身体をねじ込んでいく。思った以上にスルリと身体が通り抜け、旧倉庫内へと侵入できた。
そこは埃の匂いと、静寂が支配する空間だった。
窓は無く、屋根にある採光窓からの月明りのみが光源だ。
俺が出た場所はおそらく備品室か何かだろう。狭い小部屋に、空の棚が整然と並んでいる。
誰の声も気配も感じない。
だが、その小部屋から一歩出た途端、男たちの声が耳を震わせた。
「例の、次期聖女の小娘——ラフィニアと言ったか? 拉致した後はグイード様に身柄を渡せばいいのか?」
「ああ、そう聞いている。この北区の北端にある小屋で待つそうだ」
(ラフィニアの名前!? こいつら、今”拉致”とかって……!)
俺は今すぐにでも飛び出したい衝動に駆られるが、視界に映った黒い制服の袖が、俺を冷静にさせる。
(落ち着け……ラフィを助けるなら、今は我慢だ……)
握った拳で爪が食い込む。静かに、だが大きく息を吐き落ち着かせる。
(グイードって奴が首謀者か? それに北の小屋……カイか、ティミシアさんに伝えないと)
今すぐにでもラフィニアの元に駆け付け、彼女の危機を知らせたい。
だが、俺は修道院に戻ることは出来ない。
その事実が、焦りを募らせていく。
と、男たちの会話がさらに進む。
一瞬、このまま引き返そう——とも考えたが、男たちの会話に混じった”単語”に意識が向いた。
「エッケハルト様にたてついた黒い方は? 修道院から逃げ出したとは聞いたが」
「グイード様は少し興味を持ってるらしいが、勇者様はアレに”憎悪”以外の関心はないらしい」
「つまり『放っておけ』と? なら、俺らで拾っておくか? 売れば金になるだろ」
「任務に差し支えないようにしろよ?」
「あぁ、分かってるって」
男どもの下卑た会話に心底吐き気がする。
冷静に努めようとするも、一度頭に血が上った熱はすぐには引いてくれなかった。
そしてそれが、致命的な隙となった——。
背後で砂を踏む、ジャリッという足音と同時——周囲の闇がひと際濃くなった。
振り向こうとするよりも早く、男の太い腕が俺の首にまとわりつく。
捕まった——と認識する時間も、心にラフィニアの名を呼ぶ間すらなく、俺の意識は、闇に沈んでいった……。
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