Chapter 1 上陸 前編

 2xxx年、とある島国。


『貯蓄庫で異常が起きています。至急、従業員は集まってください。』

 建物内に響き渡る、感情のないアナウンス。焦る人々の足音。

『製造所で火災が発生、消火を急いでくださ————燃料庫に侵入者。取り押さえを————』

 絶えない機械の声。次々と上がる火の手。

『避難を急いでください。命の危険が迫っています。命のきヶンガ。』

 ようやく切れるアナウンス。浮き彫りになる悲鳴。しかし、逃げられる者はいない。がいるから。出口へ走る従業員の足元には、作業服を着た死体が転がっている。

 ————その死体には、頭部がなかった。

 消えることのない炎。その奥に、黒い影が見える。しかしそれは「人間」とも「動物」とも言いがたく、ただ「物体」であった。臓器という名の導体。目という名の標準器。肉を引きちぎる爪という名の刃。………それは。この先の未来、人間が作り出す兵器という名の化物だ。



 お母様。今夜俺は、十五歳になりました。

 急にこんな手紙を送られて、迷惑だということは承知しています。しかし、俺は「出動命令」が出されたため、もうお母様に会うことはないかもしれないと思い、挨拶をします。俺みたいな息子はいない方が、気が楽だとは思いますが。

 俺が向かう任務のことですが、工場から脱走したロボット兵器の駆除・確保を命じられました。細かい内容や訓練についてもいろいろ話したいですが、国家機密として、外に漏らすことは禁止されています。もし俺が死んだら、素直に喜んでください。はっきり言うと、これまで俺を邪魔者扱いしてきたのに、悲しんで被害者ぶられるなんて、癪ですから。

 だけど、これだけは自覚してください。あんたの息子が死ぬのは、間違いなくあんたのせいです。こんな世の中になったのも、俺たち学生が出兵されるようになったのも、あんたたち大人が支持してきた政治のせいです。おかげで銃を持ったり人を殴ったことがない俺は、訓練でも遅れをとり、戦場へ行ってもきっと野垂れ死ぬだけです。だから、俺はあんたに————


 ぐしゃり。手の中で紙が潰れる音。………だめだ。こんな内容では喧嘩を売るだけだよな。

 丸めた紙屑をゴミ箱へ押し入れ、立ち上がる。これ以上書いたってきっといい内容は思い浮かばない。手紙なんか送ってもあの人は読まずに捨ててしまうだろう。

 ふと、壁に高く掛かった時計を見上げる。四時四十分。夢中になっていたせいで、起床時間が迫っていることに気づけなかった。

 遠心力をつけてベッドへ転がった。いくら二十分とはいえ、寝ないよりはマシだろう。そうして、意味のない睡眠へと身を任せる………

『………起床、起床!』

 そのアナウンスが聞こえるまで。目を開けると、視界がグラグラと揺れて感じる。

 やっぱり、意味なかったな。そう諦めて、布団を折り畳んだ。名前も知らないヨーロッパの国で、死ぬために。



 お母さん。お元気ですか。

 とうとう女子である私にも、「出動命令」が出されることになりました。覚悟を決めるため、ここで私はたくさん嘘を書きます。

 私は、とても嬉しいです。男子とは違って体力も忍耐力も劣る私がこの世界の役に立てること、任務を成し遂げて死ねることが。周りにたくさん迷惑をかけてきた(お母さんが一番よく知っているとは思いますが)私にとって、この出来事は光栄の他ありません。なので、お母さんには戦士となった私を誇らしく思って欲しいです。

 だけど、一つだけ心残りが。お母さんは察しているかもしれませんが、S高校への入学は、諦めなければいけないということです。勉強ばかりやってきた私にとって、それは叶えたかった夢でしたが、もう諦めはついています。きっと私は見ず知らずの場所で真っ先に死にます。だけど、私は幸せです。やっと、あなたのために恩を返せるのですから。だから、ありがとうございま————


 「………さん、佐倉さくらさん!」

 はっと、目を瞬く。目の前には、白い紙にびっしりと写った文字がある。無意識のうちにこんなに書いていたとは。

「そろそろ出発だって。準備しようよ。」

「あ、ありがとう、尚子なおこさん。」

 軽く言って、紙を丸め、捨てた。こんな嘘だらけの手紙、もらっても嬉しくないだろう。

「そうだ、体調悪くなったらすぐ言ってね。これから忙しくなるし。」

「わかってる。ありがとう。」

 引き攣った口を無理やり吊り上げ、笑う。それを見て、尚子さんが顔を歪める。

「出動したくなかったな。」

「え?」

「なんで、こんな世の中になっちゃったんだろう。」

 私がもう一度聞き返すと、尚子さんは「なんでもないよ!」と言い直した。私も、わかってしまう。

 なんで、女子が銃を持つことが当たり前になってしまったのか。なんで、平気な顔で病気の学生を兵士と言うようになったのか。私たちには、何もわからない。



 「かんぱーい!」

 教官の声で、一気に重い空気が明るく変わる。ここは、軍事用飛行船の宴会場。俺は既に、日本という島を旅立っている。

一ノ瀬いちのせ教官、やっぱり盛り上げ上手ですねぇ。」

「お前ら学生兵がようやく戦場で活躍できるようになったんだ。今日は宴だ!」

 嘘つきめ。内心だけで、そう毒づく。俺たち学生は戦場で上の立場の者にこき使われ、殺されるだけ。お前ら大人は、俺たちを使い捨ての駒としか見ていないんだ。

「………あ、なんだ?吉田よしだ。」

「え、あ。」

「俺のこと、睨んでいただろう。」

 教官に強く睨まれる。教官が俺を見る目は他の人に比べ一層強い。きっと俺が訓練でいい成績を出せないからだろう。

「あ、す、すみません………。」

「本当にそう思うなら、今、ここにある瓶を飲み干してみろよ。」

「………え?」

 目の前には、「alcohol high」というラベルがかかった一リットル瓶が置かれている。それと一緒に聞こえる、囃し立てる声。それに色をつけるとしたら間違いなく、黒だった。

「でも、俺未成年………。」

「ったく、そんなことも投げ出すのか?」

 言葉が、出なかった。………しょうがない。日本国から離れたここでは、憲法も通らないのだろう。諦めて、瓶を手にとる。またしても低く濃い声が周りで燻り始めた。

 ………根性がない、気が弱いなんて、言われ慣れていた。けれど、そんなことも気にしないほど、俺はボロボロだった。

「………はぁ。」

 人気のない廊下で、うずくまる。飲みすぎて、頭が痛い。なんとか人の前では平然を装っていたけど、今にも吐き出してしまうくらい、気持ち悪い。

 水でも飲もう、と思い水道の場所を必死に頭で探りながら歩き出す(自分でもわかるくらいフラフラだけど)。廊下の曲がり角を曲がった、その時。

「………あ。」

 そこに、さっきまでの俺と同じようにうずくまった人がいる。色白な肌に、大きな目が特徴的なその女性は、学生兵らしいが、訓練の面影を感じさせないほど美しかった。短く切り揃えられた明るい銀色の髪。ガラス玉のような瞳。その顔に思わず目を釘付けにしていると、その女性が、不審そうに眉を顰めた。

「え、あの、何か用でしょうか?」

 はっと我に返り「あ、すみません!」と謝罪する(なぜか)。しかし見てみると、さっきまで色白に見えた彼女の顔は青く引き攣っている。

「顔色が悪いです、大丈夫ですか?」

「いや、大丈夫です。………人混みが、苦手なだけで。」

 なるほど、それで。

「水でも持ってきましょうか?ちょうど俺もそうしようと思っていたところですし。」

「だ、大丈夫です!それより、あなたも大丈夫ですか?あの、足元がフラフラしていて。」

「………あ、いや、ちょっと、飲みすぎただけで。」

「えぇっと、学生兵の方、ですよね。」

 大袈裟に苦笑いし、室内にも関わらず頭に乗せた帽子を軽く引く。出会ってすぐにする話がこんなものになるとは。でも、嘘を言う意義もない。

「はい。違法だとは思うんですけど、上司に言われたらどうしようもなくて。」

「それは………わかります。」

 一瞬の沈黙。その後、俺たちは体の不調も忘れて笑い出した。何か面白いことがあったわけではない。ただ、呆れている。それだけで理由は十分だろう。

「ああ、おかしい。」

「本当ですね、なんかもう………狂ってますね。」

 笑いはまだ絶えない。………そうだ。彼女の言う通りだ。もう、この世の中は狂っている。それでも、俺たちの力では変えることはできない。

「そういえば、名前って、教えてもらえますか?」

「あぁ、ええっと………佐倉です。あなたは………。」

「吉田です。」

 下の名前は、教えなかった。名前には、自分なりのコンプレックスがある。佐倉さんは俺の名前を聞くと、満足そうに顔を綻ばせた。

「次、生きて会えるかわからないけど………また、話しましょう。」

「ああ………そうだね。」

 生きて会えるかわからない。そう言う彼女の背中に、死神が見えたような気がした。この人もきっと、俺と同じなんだ。現実に絶望し、生きる意味をなくしている。この荒廃した世の中のせいで。

「じゃあ、気をつけてくださいね。」

「ありがとう。佐倉さんも、気をつけて。」

 そこでやっと、自分の頭が浮遊するような熱さを覚えていることに気がついた。彼女に背を向けて足早にそこを去る。

「………うぅっ。」

 足元がふらつき、派手に前へ倒れる(と言うよりは転ぶ)。まずい。ここで倒れているところを見られたら、誰に何を言われるかわからない。無理やり足を立たせ、長い廊下を再び歩き出した。



 「はぁー!さっき一緒に話した井沢いざわ君、超かっこよかったあー!」

 あの後、私は再び宴会場に戻ることを余儀なくされた。尚子さんが、ずっと戻ってこない私を気にかけて、そばにいるように言われたのだ。

「佐倉さんはさ、気になる人とかいなかった?」

 鼻息を噴射させながら詰め寄ってくる尚子さん。飛行船内では、気になった男子にはすぐ話しかけるという、私では絶対に行わない行為を繰り返していた。

「いや、特に………。」

 そう口籠った時、記憶の中で何かが疼いた。………廊下にいた時、話しかけてくれた男性。あんなにも心を打ち解け、笑い合った人は初めてだった。でも、なんだか彼には他の人には感じられない雰囲気がある。いつも何かに、絶望しているような。

「………ねえ、尚子さん。」

「ん?」

「学生兵の、『吉田』って人のこと、知らない?」

「吉田………ああ。」

 尚子さんが急に眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み殺すような顔になる。

「顔は悪くないけど………あの人はやめといた方がいいよ。悪い噂が絶えないし。」

「悪い噂?」

「父親がキャバクラ通いだとか、母親には虐待されて痣が身体中にあるとか。そのせいで、訓練の成績が良くないっても言われているよ。いつも軍から支給された帽子被ってて、排他的な雰囲気出してるし。」

「そう、なんだ。」

 さっきまで話した時の、疲れ切った笑顔。重い声。………ただの、噂なのに。現実味があると感じてしまう自分は最低だと思う。

「佐倉さんにはもっと似合う男がいるよ!」

「まあ………うん。」

「………死んだら意味ないけどね。」

 はっと息を呑む。そうか。こんな性格の尚子さんでも、そんなことを言うんだ。尚子さんの横顔を、気づかれないようにひっそりと覗く。その目は濁った漆黒に染まっている。

「まぁ、後は無事現地にたどり着くことを祈るのみだね。」

「………まあ。」

 尚子さんの言葉を聞いた時、得体の知れない予感めいたものを感じた。無事に辿り着く。普通に考えれば疑いもしないことなのに。だけど、そんな予感も、恐怖も無視して、私は話を続けた。



 「あぁー、さっき話しかけてきた女子、クソ不細工だったわー。」

「まあ、隣にいた女が良さそうだったからいいだろ。」

 飛行船の廊下。訓練で知り合った井沢という男と俺は歩いている。この男は、顔はいい癖に言うことが悪口ばかりで、世間で言われる「顔だけの男」だ。ちなみにさっき話していた女子は、「阿久沢あくざわ尚子」という女子だ。隣にいた女は、「佐倉」と言う名前だった気がする。

「つうか、途中抜け出してた吉田ってやつ、さっきぶつかってきたよな。二人でしばきに行くか、杉崎すぎさき。」

「謝られたからいいだろ。まあ、どっちでもいいけど。」

 そんな気の抜けた話をしていた時。

「………なあ、井沢。」

「あ?」

「さっき、あそこから音しなかったか?」

 俺が指差した先。そこは、普段から立ち入り禁止になっている実験室だった。今、確かに音がした。ガタッ、と、ドアが揺れるような音が。

「は?確かに聞こえたけど、誰かがいるんじゃねーの?」

「だけど、ここ立ち入り禁止………。」

「俺が開けてやるよ。ネズミかゴキブリかも知れねーな。」

「いや、おい井沢………。」

 止める俺の声も無視して、井沢がドアノブに手をかける。そうして嫌な笑みを浮かべながら扉を押す………そこからは、一瞬だった。


「………え?」

 気づいた時には、扉は開いていて、井沢は倒れている。そこから流れる赤い液体、井沢に覆い被さるの存在も、すぐには理解できなかった。そして、そのが俺の方を見る。………違う。

 こいつは、人間じゃ、ない。

「バケモノ………。」

 体の形は、人間のものだった。しかし、何も写さない目に、真っ黒な体。「口」と言える部分には、血で濡れた肉が張り付いている。それはきっと、井沢の内臓だった。

「バケモノ、バケモノ、化物!!!助け………! 」

 咄嗟に大声を出し、背を向けた瞬間。俺の意識は激痛とともに奪われた。



 「なんだか、騒がしいね。」

「確かに………。」

 さっきから厨房あたりが騒々しい。何か、トラブルでもあったのだろうか。尚子さんがこれでもかと言わんばかりに目を凝らす。すると、遠くから小さく響く声が耳に届いた。


 ————化物。

「………え。」

 今、確かにそう聞こえた。

「何が、起こっているんだろう。」

 それは、尚子さんも同じだった。さらに遠くを見ると、風景が徐々に明らかになっていく。逃げ惑う学生兵。そして。

「血?」

 飛び交う赤い液体は、間違いなく血だった。人々の悲鳴。転がる死体。その中でも、目を引くものがあった。あれは………人?いや違う。だって、だって………。

「………っ!」

 何かが目の前に飛び込んできて、身を縮める。聞こえたのは、隣にいた尚子さんの悲鳴。私は数秒経って、ようやく顔を上げる。だけど、見たくなかった。

「尚子………さん?」

 尚子さんは仰向けになり、どこの伝達で動いているのか分からない唇をぴくぴくと揺らしている。その上にいるのは………「化物」としか言いようのない物体。その物体が尚子さんの腹部から、内臓を、小腸を、引っ張り出してゆく。

「………うっ。」

 目の前が真っ暗になり、その場で勢いよく吐いた。色のない吐瀉物が床へビチビチと滴り落ちてゆく。………逃げないと。困惑する頭に、動かない体。逃げないと、私も、殺される。

「あああああああああ。」

 物体が血だらけの口で吠え、こちらへ近づいてくる。ああ、まずい。死ぬ。そうして、目をぎゅっと閉じる………痛みは来ない。

「あっ………!」

 自分の前に、男性が立っていた。その背中に、思い当たるものがある。だけど、それは前私が見た時よりも、強い。


「吉田さん………!」

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