第四章 復讐の夜

上演当日の夜、ロイヤル・オペラハウスは満員の観客で埋まっていた。

帝都の貴族、富裕商人、芸術愛好家たちが、気鋭の新人による作品を見るために集まっている。

最前列の特別席には、マルクス・ヴォルテール院長と帝国魔導技術研究院の幹部たちが座っていた。


ヴォルテールは六十代前半の男性で、白髪を丁寧に整え、高級な服装に身を包んでいた。

自信に満ちた表情を浮かべ、周囲の人々と談笑している。

彼は自分がこの夜、告発の標的になるとは夢にも思わず――。


舞台上では、帝国魔導技術研究院の最新魔石照明『温心灯』が美しく輝いている。

観客たちはその温かな光に魅了され、これから始まる物語への期待を高めていた。


しかし、舞台裏ではアランが最後の準備を進めていた。

コルトハルトとエルドリックも、それぞれの役割の確認をしている。


「本当にこれで最後ですか?」


エルドリックが尋ねた。


「ああ」


アランは答えた。


「妹のために。これで全てが終わる」


幕が上がった。


『星の石』は、美しいファンタジー劇として始まった。

主人公の少女セリアは、特別な輝きを持つ「星の石」を守る村の娘として登場する。

彼女の無垢さと美しさ、そして星の石の神秘的な輝きに、観客たちはすぐに魅了された。


舞台を照らす『温心灯』が、物語に完璧な雰囲気を与えている。

その温かな光は、セリアの純粋さを象徴するかのように美しく、観客席からは感嘆の声が漏れていた。


ヴォルテールも満足そうに舞台を見つめている。

自社の製品が素晴らしい効果を発揮していることに、誇らしげな表情を浮かべていた。


物語が進むにつれて、村に商人モルガンが現れる。

彼は星の石の力に興味を示し、セリアに「より多くの人々を救うため」に石を譲るよう説得する。


「あなたの力を、もっと大勢の人に届けませんか?」


舞台上のモルガンの台詞が、観客席に響く。

何人かの観客が、僅かに身じろぎした。

この台詞は、どこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。


モルガンは続ける。


「特別な技術により、あなたの星の石の力を永遠に保存し、無数の人々に分け与えることができるのです。これこそが真の慈善というものではありませんか?」


前列に座っていた貴族の一人が、ヴォルテールの方を見た。

その視線に気づいたヴォルテールは、軽く微笑んで見せたが、内心では僅かな違和感を覚えていた。


舞台上では、セリアが悩む場面が続く。

彼女の純粋な心は、商人の言葉に惑わされ始めている。

観客たちも、セリアの運命を心配しながら物語を見守っていた。


しかし、何人かの観客は気づき始めていた。

この物語には、現実との奇妙な符合点があることに。


そして魔法使いの観客たちは、舞台照明に微かな違和感を覚えていた。

美しい光なのに、なぜか心が落ち着かない。

説明できないが、何かが「違う」のだ。


物語の終盤で、セリアは商人の説得に屈し、星の石を譲ることを決意する。

観客席からはため息が漏れたが、それは物語への感情移入だけではなかった。

現実への予感も含まれていたのだ。


そして最終場面で、物語の調子が一変した。

商人モルガンは本性を現し、セリアから星の石を奪い取る。

彼は石の輝きを利用して商売を始め、巨万の富を築く。

一方で、力の源を失ったセリアは次第に衰弱していく。


舞台上では、星の石が様々な形に加工され、「癒やしの光」として人々に売られていく場面が描かれる。

商人は「この光があれば、誰でも魔法の恩恵を受けられる」と宣伝している。


観客席がざわめき始めた。

多くの人が、この物語と現実の関連性に気づき始めたのだ。


ヴォルテールは座席で身を硬くしていた。

舞台上の商人モルガンの手法は、自分たちが行っている商売とあまりにも似ていた。

これは偶然なのか、それとも…


そして、物語がクライマックスに向かう直前――間幕の時間に、アランは行動を起こした。


「ヴォルテール院長、少しお話しできますでしょうか」


アランは舞台裏の貴賓室で、院長と二人きりになった。

豪華な調度品に囲まれた部屋で、テーブルの上には特別に印刷されたパンフレットが一部だけ置かれている。


「脚本家の方だな。見事な作品だ」


ヴォルテールは社交辞令を口にした。


「我が社の照明技術も、物語を見事に引き立てておる」


「ありがとうございます」


アランは静かに答えた。


「ところで、この物語をどう思われますか?」


アランはパンフレットを院長の前に置いた。


ヴォルテールがパンフレットを開いた瞬間、彼の表情が凍りついた。

そこには、帝国魔導技術研究院の魂抽出技術に関する詳細な告発文が書かれていたのだ。

失踪した魔法使いたちの名前、製造方法、販売実績、全てが証拠とともに記載されている。


「これは……何かね?」


ヴォルテールの声が震えた。


「真実です」


アランの声は氷のように冷たかった。


「あなたが私の妹にしたことの全てです」

「妹? まさか貴様、あの光の魔法使いの……」

「リア・エルドリッジ。私の大切な妹です」


アランは一歩前に出た。

ヴォルテールは本能的に後ずさりする。


「あなたは彼女を騙し、魂を奪い、商品にした。今この瞬間も、彼女の苦痛で作られた光が舞台を照らしている」


「証拠があるとでも思っているのか?」


ヴォルテールは立ち上がると、仮面を完全に脱ぎ捨てた。


「誰がそんな荒唐無稽な話を信じる? 君は一体何が目的だ?」


「復讐です」


アランは静かに答えた。


「妹の尊厳を取り戻すことです」

「復讐? 貴様ごときが私に?」


ヴォルテールの顔が醜く歪んだ。


「魔法も使えない、金もない、ただの三流脚本家が?」

「そうです。ただの脚本家です」


アランは微笑んだ。

その笑みには、深い悲しみと冷徹な決意が込められていた。


「しかし、言葉こそが私の武器です」

「何を企んでいる?」

「真実を示すだけです」


アランは時計を見た。


「あと一分で、最終場面が始まります」


その時、舞台上でクライマックスが始まった。

商人モルガンの商売が最高潮に達し、無数の「癒やしの光」が舞台を照らす場面。

舞台照明が最大の輝きを放った瞬間、アランが合図を送った。


エルドリックが『魂呼び』を発動する。


突然、舞台照明の質が変化した。

美しかった光が、深い悲しみを帯びたものとなる。

そして、光の中に透明な人影が浮かび上がり始めた。


それは、アランの最愛の妹――リア・エルドリッジの姿だった。


観客席から悲鳴が上がった。

舞台上に現れた少女の幻影は、明らかに現実の存在だった。

演劇の演出を超えた、超自然的な現象が起こっているのだ。


リアの幻影は観客席を見回し、そして苦痛に満ちた表情で何かを訴えようとしている。

声は聞こえないが、その口の動きは明確だった。


「助けて」


観客席は完全に混乱した。

多くの人が席を立ち、騒然となっている。

しかし、最も動揺していたのはヴォルテールだった。


「あり得ない」


彼は震え声でつぶやいた。


「魔石に封じた魂が顕現するなど……」


幻影のリアは、最後に客席の上方――貴賓室があるであろう方向を見上げた。

アランは貴賓室の窓からその姿を見下ろし、彼女の唇が動くのを見た。


「兄さん」


そして幻影は光と共に消えた。

同時に、舞台照明の『温心灯』が粉々に砕け散った。


観客席の混乱は頂点に達していたが、アランは冷静に次の行動に移った。

彼の合図で、劇場のスタッフたちが動き出す。


全ての観客に、特別に用意されたパンフレットが配布された。


パンフレットには、帝国魔導技術研究院の魂抽出技術に関する詳細な告発文が記載されていた。

失踪した魔法使いたちの名前、製造過程の記録、販売実績、そして何より重要な、技術開発の責任者としてのヴォルテールの署名入り文書のコピーが含まれていた。


観客たちは先ほど目撃した超常現象と、手に持つ告発文を照らし合わせ、全ての真実を理解し始めた。


舞台で演じられていた悲劇は、虚構ではなかった。

星の石は魂の比喩であり、商人の手法は魂抽出技術そのものだったのだ。

そして今しがた現れた少女の幻影こそが、その証拠だった。


多くの観客が最前列の特別席を見たが、そこにヴォルテールの姿はなかった。

彼がいつの間にか席を離れていることに、人々は不審の念を抱いた。

研究院の幹部たちも、上司の不在に戸惑いの表情を見せている。


一方、貴賓室にて。

パンフレットの配布が完了すると、アランはヴォルテールに向き直った。


「これで終わりです」

アランの声は静かだが、貴賓室に響いた。

「あなたの罪は暴かれました。逃げ道はありません」


ヴォルテールは窓にもたれかかり、崩れるように座り込んだ。

彼の精神は完全に砕かれていた。


その時、扉が開き、帝国警察の人々が貴賓室に入ってきた。

観客席にいた警察高官が、事前に準備していた逮捕状を執行するためだった。


「マルクス・ヴォルテール、魔術師誘拐及び魂搾取の容疑で逮捕する」


警備員たちが貴賓室に駆け込んできた時、ヴォルテールは放心状態で座り込んでいた。

アランは静かに立ち上がると、最後に一言だけ言った。


「これで君の苦しみも終わりだ。どうか安らかに――リア。」

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