壱、包み焼き河童もどき
「実は、頼みがあるのだがね――」
火鉢に手をかざしながら、秋月は何とも美しい声を発した。
季節は冬。空はいつ雪が降ってもおかしくないほどに重い灰色に包まれている。雪が降っても寒いが、こういう何も降らないときも中々寒いものだ。
まぁ、芒に降ってきたのは秋月の頼み事だったのだが。
「承知いたしました。それで、その頼みとは?」
どうせあたたかく調理された妖が食べたいとかそんなものだろうと思っていると、
「うん、
と、予想していなかった頼み事だった。
こんな普通の命はいつぶりだろうか。ここ最近はずっと妖関連の命ばかり受けていたため、芒には普通がわからなくなってきているのだ。
「天平家に使いとは、何かあったのですか?」
秋月は
「天平家の姫からいただいた文にね、先日の
天平家の姫――あの方か、と芒はすぐに記憶を探り当てる。
毛先だけ茶色がかった黒髪を持ち、目元を隠すような長い前髪に、線の細い身体。秋月が催した歌会で、鬼食い役を同伴させていなかった姫だ。
それに気づいた秋月が芒をあてがってくれたので、芒としては余分に菓子を食えてありがたかった件でもあった。
それにしても、ほかの姫様方からは嫌われている様子だったな、と芒は思い返す。菓子を準備した女房には礼を言っていたし、常識はずれな人ではないと思うのだが。
「あぁ、あとね。歌会のとき、一時でも鬼食いとしてそばに来てくれたことを大変感謝していたよ。ぜひとも礼がしたいとね。よかったじゃないか芒、もしかしたらご馳走をいただけるかもしれないよ?」
「それはありがたいですね」
芒は素直な感想を口に出した。
もし本当に何か振舞っていただけるなら、普段以上に失礼がないよう気をつけなければなどと考える。すると、そんな芒を見ていた秋月は「変わったね」と告げた。
「何がですか?」
「芒自身がだよ」
「……わたしの、どこがでしょうか?」
「前だったら、ご馳走されてもわざわざそこまで赴くのは面倒だ、とか思っていただろう?」
その言葉に、芒の表情が強張る。図星だからだ。
「とっくにばれていたよ、このものぐさ娘」
「…………」
秋月の言う通り、どうやら芒の面倒くさがりな部分はばれていたようだ。せっかく作り笑いも貼り付けていたというのに無駄だったわけだ。
「……たしかに、まぁ、そうだったかもしれません」
見透かされていたことが恥ずかしく、芒は小さく同意する。反対に、秋月は楽しそうに口を開いた。
「変わった理由は何だい? 心境の変化? それとも、いい顔したい想い人でもできたかな?」
「その尋ね方、もうわかっておられるでしょうに……」
「お前の口から聞きたいのさ」
確実に楽しんでいる。それがわかるからこそ、変に言い逃れできないこともわかるのだ。
「どちらも正解です」
だから、芒は誤魔化さず素直に答えた。
「しかし秋月様。正しくは、『いい顔したい想い人のおかげで変化した心境』です」
「ほぉ……!」
その解答に少し驚いたような顔をする秋月。芒がここまで正直に話すとは思っていなかったのだろう。周りにいる女房たちも、にまにまと生あたたかい視線を向けてくる。何とも居心地の悪いことか。
「――話は戻りますが、天平家には明日行ってまいりますのでご安心ください」
これ以上話が広がることを避けたい芒は、無理やり話を終わらせ、お得意の作り笑いを浮かべた。
その翌日。包んだ菓子を手に、芒は一人天平家に向かった。
天平家は
疲れはないが、肌を刺すような冷たい風が正面からぶつかってくることのみが厳しい。
「……さっむい」
こぼれた一言は、風に乗って芒の後ろへ流れて行った。それを、ほんの少し寂しく思う。
捌と一緒にいるときは、必ず彼がどんな言葉も拾ってくれた。
それが当たり前となってしまった今、捌に会う前の当たり前がどうにも慣れないのだ。
実は、もう十日ほど捌には会えていない。
北部の方で起きた妖関連の事件に駆り出されているらしい。
秋月主催の歌会や、貴族が集う式などに鬼食いとして参加しなければならない芒は同行できず歯噛みしたが、「おみやげとかたくさん買ってくるね」と言われた瞬間ご機嫌になってしまった。
おそらく捌には自分の扱い方が把握されている、と芒は思う。だからこそ、彼に向けるこの気持ちもうまくあしらわれているのだ。
「酒吞童子の秘蔵酒」を入手しに西部へ行ったときだって、少し勇気を出して一緒に飲もうと誘ったのに、返事は今のところなし。秘蔵酒が売られるまで待つと言ったのは自分だが、正直こちらが待てなくなっているのが現状だ。
つい先日、
残念ながら、芒は何一つ持っていない。
教養は言わずもがな、髪は毛量が多く毛束が太いし、口は男性に負けないほど大きい。目だって重そうな一重だ。
女性として武器になる部分がまるで機能していない。
こうなったらもう、勢いと気合いでぶつかっていくしかないだろう。
それにしても、捌はいつごろ帰ってくるのだろう。怪我などしていなければいいが。
そう思いながら歩を進めていると、目当ての屋敷が見えてくる。以前訪ねた
敷地内に入る前に存在する御門も高級な木材を使用しているようで、ささくれだった部分など一切無い。
普通であればおじけづくほど立派なものだが、芒は気にせず敷居をまたいだ。文にて、天平家の姫から伝えられていたのだ。一人では入りづらいかもしれないが、緊張せず気軽に入ってきてほしい、と。これでも内親王の鬼食い役なので、そこまで緊張するということはないと思うのだが、そう言ってくれるならその言葉に従うまでである。
さて、姫の女房か使用人に案内をお願いしたいがどこにいるだろうか。
庭園にて辺りを見渡していると、あることに気づく。
庭に、使用人が一人もいないのだ。
よく見れば、植えてある樹木は枯れており、手入れされていないのか、池の水は濁っている。
これが上級貴族の屋敷か? 普通は多くの使用人が庭や屋敷を駆け回っているものだが。
芒は屋敷に視線を向ける。
寝殿造りのそれは、御門と同じく立派なものだ。しかし、立派であるがゆえに、美しく維持されていない部分が目立っている。
あまり観察を続けるのも悪いと気づき、芒はあまり周りを見ないよう努めて歩を進めた。
この家の姫は、歌会でもほかの姫から距離を置かれていたり、上級貴族なのにも関わらず鬼食いを連れていなかったりと変わった点もある。この庭や使用人の少なさも何か理由があるのかもしれない。
まぁ、秋月の使いとして訪れた自分に関係はないか、と思っていると、芒の目は前方から駆けてくる華奢な少女を捉えた。
毛先だけ茶色がかった黒髪、目元を隠すほどの長い前髪、小袿をまとった華奢な身体。記憶の中の少女と一致するのに時間はかからなかった。
間違いない、天平家の姫――
「な、何してるんですか姫様!」
芒はすぐに彼女へ駆け寄り、己の身体で整った顔を隠した。
この国では、上級貴族の女性が外で素顔を晒すことをあまり良しとしていない。同姓であれば問題ないのだが、異性に顔を見せるのは伴侶にだけと決まっている。
下級貴族の芒からしたら知ったこっちゃないが、目の前でその常識を破っている姫がいたらさすがに隠すだろう。
伴侶以外に素顔を見せると嫁にいけない、という縁起でもない言い伝えだってあるのだ。
小柄な魚名は、女性にしては長身の芒の身体にすっぽりと覆い隠されている。だが、もぞもぞと動き、ちょこんとと小さな頭を出した。
「顔出しちゃ駄目でしょう! 隠してるんだから!」
「で、ですが、あなた様のお顔を見て挨拶ができないので……」
「挨拶より前にその可愛らしいお顔見られたら嫁の貰い手が無くなるかもしれないでしょうが!」
あまりにも世間知らずな振る舞いをする魚名に、思わず語気が荒くなってしまう。
「姫様の女房はどちらに――」
そこまで言って言葉が止まる。
芒の視界に映った魚名の足、真白なそこに履き物が無かったからだ。つまり、裸足でここまで駆けてきたのである。
芒の顔が一瞬にして青くなる。
彼女の女房は何をしているんだ。使用人だって、仕えている屋敷の姫がこんな格好で庭に飛び出したら普通は止めるだろう。
しかし、魚名を注意する声は一切聞こえない。ひと一人彼女を追ってこない。
何やら、複雑な事情がありそうだ。
気にならないといえば嘘になるが、まずは彼女の顔を誰にも見せないことが優先だ。周囲に人がいないといっても、芒の目で見える範囲の話である。もしかしたら隠れた場所に誰かがいる可能性もなくはない。
「口は閉じていてください!」
芒は右腕に差し入れの包みを引っかけ、魚名を抱える。そして彼女の頭を己の胸元に押しつけた。
「一旦、屋敷内の人がいなそうな場所に向かうので、いいって言うまで顔上げちゃ駄目ですよ!」
そう告げた芒は、魚名の返事がある前にその場から駆け出した。
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