1章「聖女との邂逅」:第2話

俺の肩を隣の席の真田さなだ洋介ようすけがバシッと肩をたたいてきた。


「おい小柳、さっきの先生すっげー美人だったよなあ。もう彩菜ってじゃ呼んじゃおうかな。おまえ、彩菜に注目されてんだからもうちょい喜べよ。」


「は?何言ってんの?真田は面食いだからそーいうこと言えるんだろーが、俺は中身重視なんだぜ。あんなツンケンしてる女初めて見た。」


「まあそこは置いといて、お前倉庫行ったことあるか?」


「倉庫?」


「旧校舎裏の倉庫に本があってな。俺も言ったことがあんだけど、ここの図書館よりもあった気がする。まあ俺は漫画しか読まなかったんだけど。」


「なんだそりゃー!」


「お前も行ったらどうか?前、古代エジプトのうんぬんいってたじゃんん。」


「お前も行ったってことは俺もいいってことだよな?」


 その日の放課後、俺は真田の言葉を思い出して、ふらりと旧校舎へ向かった。


 倉庫の扉は意外にも開いていた。中はほこりっぽく、ほんのりと紙の匂いが漂っていた。

 段ボール箱、木製の書棚、使われなくなった地球儀――。

 確かに、歴史資料が多く保管されていた。幕末の政治図、戦国武将の系譜、旧字体で書かれた郷土資料……。


 夢中になってページをめくっていると、背後から、ぴたり、と足音が止まった。


「――なるほど。誰かと思えば、やっぱりあなた」


 その声で、心臓が跳ねた。

 振り向くと、入り口に立っていたのは波多野彩菜だった。


 黒のジャケットにスラックス。髪はゆるく結んでいる。

 表情は――やっぱり、笑っていない。


「ここ、立ち入り禁止のはずなんだけど」


「あ、す、すみません……友達から、入っても大丈夫、と言われたんですが」


「“友達に聞いた”って、便利な言葉ね。言い訳にもなるし、責任転嫁もできる」


 痛いところを突かれ、俺は何も言えなくなった。

 先生はゆっくりと歩いてきて、彼の手にある資料に目を落とす。


「それ、戦時中の地元の新聞。今は非公開にしてるの。理由、わかる?」


「……内容が、過激だから?」


「それもあるけど。……“過去”って、人を狂わせることがあるのよ」


 その言葉に、妙な重さがあった。

 俺は、ふと彼女の顔を見上げた。

 波多野はそれに気づいたのか、視線を逸らした。


「でも……本に夢中になってた時の顔は、悪くなかったわ」


「え?」


「ちゃんと“考えてる”顔。そういうの、私は好きよ」


 それは、初めて彼女から受けた肯定だった。

 少し照れたように、でもどこか楽しそうに、波多野は言った。


「一応、見逃してあげる。でも、次はないからね、小柳くん」


 そう言い残して、波多野は倉庫を後にした。


その日から、歴史の授業が少し違って見えるようになった。

 波多野の語り口は依然として冷たく、厳しさも相変わらずだったが、時折見せる細かいツッコミや、くすっと笑うタイミングが気になるようになっていた。


 「はい、小柳くん。今の話、どう受け止めた?」


 「え……」


 突然当てられて動揺する。

 しかし、以前と違って、あの倉庫での出来事が頭をよぎる。

 “ちゃんと考えてる顔”、そう言われたこと。


 「……“勝者の歴史”っていうけど、実際にはその裏で踏みにじられた声が、記録としてだけ残る。そこに目を向けるのが歴史なんじゃないかと、思いました」


 波多野は一瞬だけ目を細めた。


 「……いい視点ね」


 それだけだった。でも、それだけが、妙にうれしかった。

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