第10話 ゴブリンシャーマン
坑道をさらに進んでいく。
奥へと進むほどに、ゴブリンたちの奇襲は激しさを増していった。折れ曲がった通路の先、岩陰、さらには天井の影と、奴らはあらゆる死角に潜み、隙あらば襲いかかってくる。ひやりとする場面も、一度や二度では済まなかった。
だが、ここで『危機察知』の異能が真価を発揮した。
この能力は、どうやら俺の意思とは無関係に、自動で発動するらしい。うなじを撫でるような冷たい感覚が走った直後には、決まって奇襲が飛んできた。
やがてその感覚に慣れ、敵の動きを読むことができるようになると、反撃のタイミングすら計れるようになっていた。
静まり返った坑道の奥から、かすかな音が届いたのは、そんな時だ。何かが勢いよく叩きつけられるような金属音とともに、子供の甲高い叫び声が反響した。
(今のは!)
一瞬で体温が引いた。
「テルミナ」
短く呼びかけると、彼女は黙って頷いた。
俺は身を低くして、音のした方角へと走り出す。脇道を抜け、崩れかけた岩壁を回り込み、分岐を左に折れる。狭い坑道を抜けるごとに、声は確かに近づいていた。
暗い坑道を抜けると、突如として空間が広がった。
そこはダンジョンの最奥だった。
巨大な水晶が天井まで伸びるコアのある広間の中央で、小柄な少女が一人、荒い息を吐きながら剣を構えていた。
目を凝らし、様子を確認する。少女の衣服は土にまみれ、足元はふらついていた。何度も攻撃を避けたのか、至る所に傷を負っているようだ。それでも、片膝をついたまま、目だけはしっかりと敵を見据えていた。
少女の正面では、不気味な杖を掲げるゴブリンシャーマンが、いくつもの火球を宙に浮かべていた。その赤い光が広間を不気味に照らし、少女の青白い顔をより一層浮かび上がらせている。
「アイツは―――…」
思わず息を呑む。
ゴブリンシャーマンと対峙していたのは、昨日出会ったあの少女だった。剣すら満足に扱えなかったはずの彼女が、なぜこんな場所にいるのか。
(まさか、さっきの足跡は……)
舌打ちして前へ踏み出しかけたそのとき、肩を掴まれた。テルミナだ。
「待って。今、あなたが手を出せば、制約に引っかかる」
「だからって、見殺しにするのか!?」
「制約に触れるなら、それも仕方ないことよ」
その言葉に、俺は奥歯を強く噛みしめた。
倒れそうな身体を必死に支えながら、少女は剣を握り続けていた。火球を浮かべたゴブリンシャーマンが、嘲るように杖を振り上げる。すぐにでも、火の弾が放たれるだろう。
今すぐ動かなければ間に合わない。
だがそれは、俺に課せられた〝あの制約〟に明確に抵触することになる。
「……くそっ」
周囲に目を走らせ、方法を探る。直接でもなく、力でもなく、それでいて確実に彼女をこの場から外す手段を必死に探す。
そのとき、岩壁の隙間に淡く輝く鉱石が視界を掠めた。響砕石。瘴気を帯びた空間で音を蓄え、衝撃に反応して爆ぜるように鳴り響くダンジョン原産の鉱石だ。使い方次第では、十分に武器になる。
俺は腰から短剣を抜いた。距離と角度を瞬時に測り、迷わず投げる。
――カンッ
という硬質な音が空間に鳴り響いた瞬間、空気が揺れた。響砕石が放つ高周波の音が、壁という壁に反射し、辺り一帯に轟いた。
「ッ!!」
少女が顔を歪めた。耳を塞ぐ間もなく、突き刺すような音の奔流に膝をつく。
剣が転がり、細い身体がゆっくりと前のめりに崩れた。
同時に、ゴブリンシャーマンも苦鳴を上げ、頭を抱えてよろめいていた。
敏感な聴覚を持つ魔物にとって、今の爆音は拷問にも等しい。
「ギ……ギィィッ……!」
呻きながら杖を手に取ろうとするが、その動きは鈍い。魔力の収束も乱れ、詠唱すら覚束ない。
テルミナの制止も、もう入らない。
「ギイイエエエッ!!」
ゴブリンシャーマンがこちらに気づき、慌てて火球を浮かべる。
だが、遅い。俺はすでに、殺しにかかっていた。
飛来する火球をかいくぐりながら一気に間合いを詰め、短剣を突き出す。
「ギイイエッ!」
魔物の喉を貫く感触と共に、悲鳴が途切れた。
ゴブリンシャーマンの身体がぐったりと崩れ落ち、杖から魔力が霧散していく。
広間に再び静寂が戻る中、俺はゆっくりと立ち上がった。
少女は意識を失ったまま床に伏せている。その銀色の髪が乱れ、顔には土と汗が混じり合っていた。
均整の取れた顔立ちは青白く、呼吸は浅い。
それでも命に別状はなさそうだ。何とか間に合ったらしい。
俺は彼女に近づき、そっと状態を確認する。若さゆえの無謀さか、それとも何か別の理由があるのか。いずれにせよ、この子が何故ここにいたのか、目が覚めたら聞かねばならない。
少女の状態を確認していると、背後から声を掛けられた。
「ずいぶん手際よくやったじゃない」
いつの間にか再び現界していた、テルミナだった。
「そりゃどうも」
短く答えながら、俺は立ち上がる。
テルミナがジロリとした視線を向けてきた。
「……で? さっきのは、どういうつもり?」
「さっき?」
「あの鉱石よ。響砕石。あなた、あれで彼女を気絶させたじゃない。まさか、あれが〝ただの偶然〟だって言い張るつもり?」
「そういうことだ。俺は何もしてない。ただ、ちょうどいい場所に石があった。投げたら爆ぜた。それだけだ」
淡々と答えると、テルミナの口元が冷たく歪んだ。
「へえ……。ずいぶん都合のいい〝事故〟だこと。これなら、制約にも触れないってわけね」
「実際、制約には触れていない。そうだろ?」
そう答えると、テルミナは眉をひそめた。
「ほんと、抜け目がないわね……」
「抜け道を用意してるのは、お前のほうだろ。俺はその道を歩いただけだ」
しばらく沈黙が落ちる。
やがて、テルミナがぽつりと呟いた。
「……いいわ。許してあげる。確かに制約には触れてないもの、文句を言う筋合いはないわ」
「そう言ってもらえると助かる」
俺はゴブリンシャーマンの死体へと目を向けた。吸収を発動しようと掌を翳したところで、ふと、その手に握られていた杖が目に入る。
「火炎魔法の杖か……。持ち帰れば何かに使えるかもしれないな」
魔力の乏しい今の俺には扱いきれないが、使い道はある。
先端に括りつけられていた人骨の装飾を外し、杖をベルトに括りつけた。それから改めて死体へと向き直り、俺は権能を発動させた。
「……吸収」
掌をかざすと、黒い闇がじわりと広がり、死体を包み込んでいく。
しかし、すぐにそれは弾けるようにして四散した。
「……失敗か」
苦々しさがこみ上げてくる。
思わず舌打ちが漏れた。
「あれだけの数の魔物を倒したのに、このダンジョンで手に入れることが出来た異能は一つだけかよ」
「あなたの『霊格』がまだまだ未熟だからでしょ。悔しかったら、もっと成長しなさい」
いつもの調子でそう言ってのけるテルミナに、俺は肩をすくめて息を吐いた。
「……なら、成長させてもらうか」
そう言い残し、俺はダンジョンの奥、微かに光を放つダンジョンコアへと歩み寄った。
短剣を逆手に構え、一気に振り下ろす。
鈍い抵抗を断ち切るようにして、コアは砕けた。
淡い光が砕片となって散り、洞窟の空気がわずかに変わる。
「はい、コアの破壊を確認。それじゃあ、このダンジョンで得た経験をもとに、あなたの『霊格』を成長させるわよ」
テルミナが俺の胸に手を当て、低く呟く。
淡い光が胸元から広がり、周囲をふわりと照らしたのち、やがて静かに収束した。
だが、今回も感覚としての変化は何もなかった。
「……なあ、本当に成長してるのか? 強くなった気がまるでしないんだけど」
「してるってば。今回の成長で、【吸収】の成功率が、ちょぉ〜〜〜っとだけマシになったわ」
「どのくらい?」
「確率にして、1%」
「……ちょっとどころか、誤差の範囲じゃねぇか」
呆れ声とともに漏れたため息が、静まり返った坑道に虚しく響いた。
テルミナは腕を組み、しばらく無言で少女の方を見やってから、問いかけてくる。
「それで、この子はどうするつもり?」
「どうするも何も、このまま置いていけるわけがない。放っておけば、また魔物に襲われるだけだ」
「まあ、そうなるでしょうね……。で、分かってるわよね?」
「ああ。制約には触れないようにする。問題ない」
そう返しながら、俺は倒れている少女に近づき、静かにその身体を抱き上げた。
年齢のわりには、驚くほど軽い。
(……それにしても)
心の内に引っかかるものが残る。
(こいつ、どうやってここまで来たんだ?)
昨日見た限り、剣をまともに扱えるようには見えなかった。
魔物の巣と化したこのダンジョンを、たった一人で――しかも、最奥まで踏破するなど、到底できる芸当ではない。にもかかわらず、彼女はここにいる。
偶然にしては、出来すぎている。何か、ほかに理由があるのかもしれない。
俺はふっと息を吐き、腕の中の少女を見下ろした。
その胸元が、小さく規則的に上下している。
命に別状はない。それだけで、今は十分だった。
「……今は考えても仕方ないか」
少女が目を覚ますまでには、もう少し時間がかかりそうだった。
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