第99話 目覚めた職人魂

 吉岡さんの静かだが有無を言わせぬ迫力を持った一言。それはこの民宿の家主である俺にとって無視できない指摘だった。


「ええ、まあ、そうかもしれませんね……」


 俺が曖昧に返事をしていると、彼はさっさと母屋の奥へと引っ込んでいった。そして数分後。なんと自分の旅行カバンの中から、メジャーやら水平器やら、さらには折り畳み式の小さな脚立まで取り出して戻ってきたのだ。


 一体、何をしに来たんだ、この人は。

​ 彼は俺の返事など待たずに慣れた手つきで脚立を立てると、問題の雨どいを下から横から、あらゆる角度からじっくりと観察し始めた。

 そして時折メジャーで寸法を測っては、ポケットから取り出した手帳に何かを細かくメモしていく。


 その姿は完全に、現場調査に来た建築士か熟練の職人のそれだった。


​「……なるほどな。ここの接続部分の角度が設計と違う。これでは大雨の時に水が逆流してしまうのも当然だ」


 ぶつぶつと独り言を呟いている。


 ​一方、その足元ではまだワタポコが心細そうに震えていた。その姿を見かねたリサがそっと近づき、優しく声をかける。


「大丈夫だよ、怖くないよ。こっちにおいで」


 ​リサが手のひらを差し出すと、ワタポコは一瞬だけ躊躇したものの、やがてその小さな体でぴょんとリサの手のひらに飛び乗った。


「うわっ、軽い! 本当に綿毛みたい……!」


 リサは、そのあまりの可愛らしさにすっかり心を奪われたようだった。


​ ワタポコはリサの腕を伝って彼女の肩の上まで登ると、そこを自分の安全地帯と決めたのか、くるりと丸くなって落ち着いてしまった。

 まるで白い毛玉の肩章のようだ。


 こうしてダンジョン民宿の新しい仲間「ワタポコ」が家族の一員となった瞬間だった。


 ​その間も吉岡さんの「現場調査」は続いていた。彼は一通り雨どいの調査を終えると、今度は家全体の柱や梁の状態、さらには屋根裏まで覗き込んで、「ふむ」「なるほど」と一人で納得したり首を傾げたりしている。


 ​俺がおそるおそる声をかけた。


「あの……吉岡さん? もしかして、そういう、お仕事、を……?」


 ​彼は俺の問いにようやく顔を上げた。

 そして少しだけ照れたように、しかしどこか誇らしげにこう答えたのだ。


​「……ああ。先月まで、な。建築関係の仕事で、主に古い建物の保全とか修復とかを専門にやっていたんだ」


​ やはりそうだったのか。

 彼のあの空っぽに見えた瞳の奥には、長年培ってきた確かな知識と経験と、そして仕事への静かな誇りが眠っていたのだ。


​「で、だ」


 彼は手帳をパンと閉じると、俺に向かって断言した。


「この雨どいは早急に修理が必要だ。このまま放置すれば、縁側の床板はおろか、家全体の歪みにも繋がってきかねん」


​ その口調にはもう、昨日のような無気力さはない。

 問題点を発見しそれを解決せずにはいられない、生粋の職人の顔つきがそこにあった。


​「ご主人。もし、よろしければだが……」


 彼は少しだけ言い淀んだ。


「俺に、この雨どいの修理をやらせてはもらえないだろうか」


​ それはあまりにも予想外の申し出だった。


 旅行に来たはずの客が宿の修理を買って出るなど聞いたことがない。だが彼の目には、確かな「やりがい」への渇望が宿っていた。


 ​俺は一瞬だけ迷った。

 だがすぐに笑顔で答えた。


「……もちろんです! ぜひ、お願いします、先生!」


 ​俺の返事に吉岡さんの顔がほんの少しだけ和らいだ。

 まるで長い間忘れかけていた、自分の「居場所」をようやく見つけたとでも言うように。

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