第65話 吹雪のち晴れ、女王の生配信

 ダンジョンから戻ると、母屋の中は、再び温かい空気に満ちていた。

 パチパチ、という薪ストーブの音と、ファンの回る低い音が、何よりの「日常」を感じさせてくれる。


 あれほど荒れ狂っていた吹雪も、夜が明ける頃には、まるで嘘のように、その勢力を弱めていた。


​ 俺たちは温かいココアをすすりながら、言葉少なに、その静かな時間を過ごしていた。

 魔法のようなダンジョンでの一夜は、俺たちの間に不思議な連帯感を生み出していた。


 ​やがて、ユキさんが決意を固めたように顔を上げた。その瞳には、昨日までの怯えや戸惑いの色はなかった。


​「田中さん、リサさん……。一つ、お願いがあるんです」


 ​彼女が切り出したのは、あまりにも予想外の提案だった。

 この民宿から、たった一度きりの特別な「ゲリラ生配信」を、させてほしい、と。


​「ええっ!? サプライズ配信ですか!?」


 リサがファンとしての血が騒ぐのか、目を輝かせる。

 俺は少しだけ眉をひそめた。


「配信? ここからか? 大丈夫なのか、そんなことをして」


​「はい」


 ユキさんは力強く頷いた。


「私は、ずっと『スノーティア』という完璧な仮面の後ろに、本当の自分を隠してきました。でも……昨日の夜、お二人は仮面の下にいる、ただの私を受け入れてくれた。それが本当に嬉しかったんです」


 ​彼女は窓の外に広がる雪景色を見つめた。


「だから私のファンのみんなにも、伝えたいんです。私がこの場所で見つけた、本当の温かさを。ほんの少しだけ……」


 ​そのあまりにも真摯な瞳に、俺はもう何も言えなかった。

 ​ユキさんは、配信用の機材など、もちろん持っていない。ただ高性能のスマホを一つ、取り出しただけだった。


「顔は、映しません。これは、『スノーティア』としてのお忍びの滞在、ということなので」


 ​彼女はそう言うと、慣れた手つきでアプリを操作し、配信を開始した。

 その瞬間、コメント欄が滝のような勢いで流れ始める。


​『女王!?』

『ゲリラ配信!?』

『え、ここどこ!?』


 ​ユキさんは、一度、深く息を吸うと、いつもの、あの凛として、どこまでもクールな「スノーティア・クリスタル」の声で語り始めた。


​「ごきげんよう、我が愛しき下々の者たち。女王は今、我が雪の国の、とある秘密の離宮にて羽を休めています」


 ​彼女はカメラを自分の「目」として、ゆっくりと部屋の中を映し出していく。

 パチパチと燃える薪ストーブの炎。

 年季の入った、古民家の太い梁。

 彼女が昨夜まで羽織っていた、あの渋い「どてら」が、きちんと畳まれて置かれている椅子。


 ​コメント欄が困惑と興奮でざわつく。


『離宮?』

『ストーブ、超あったかそう!』

『女王様のちゃんちゃんこ姿、想像して萌えた』


​ カメラは、俺が淹れたばかりの湯気の立つココアのカップを映し出す。


「この離宮の管理人は……ええ、少し無骨ですが心根の優しい老人です。彼が淹れるココアは、なかなかの美味ですよ」


(老人……じゃないんだがな……)


 俺は画面に映らない場所で、心の中だけで、そっとツッコミを入れた。

​ カメラは、ストーブの前で気持ちよさそうに溶けている、プルを捉えた。スノーティアの声がほんの少しだけ和らぐ。


「そして、これが、この離宮に住まう忠実なるしもべ。純粋な水の精霊……名をプルと言います」


 カメラがキノコうさぎや隅っこで控えるゴブ吉を映すと、コメント欄は、


『KAWAIIIIIIII!!』

『なにこの生き物!』

『女王様、ペット飼ってたの!?』


 という絶叫で埋め尽くされた。


​ 最後にユキさんは、カメラをゆっくりと窓の外に向けた。吹雪は、完全に止んでいた。

 嵐が過ぎ去った後の世界は、どこまでも、どこまでも、太陽の光を浴びてキラキラと輝く純白の銀世界だった。


 ​その、あまりにも美しい光景を前に。

 彼女の声から、完全に「女王」の仮面が剥がれ落ちた。


​「……この国の嵐は、とても厳しいです。でも……」


 ​その声は、もうスノーティアのものではなかった。素顔のユキさんの震える本物の声だった。


​「でも、その後に訪れる朝は……私の氷の城で見る、どんな景色よりも……ずっと、ずっと、美しい……」


 ​彼女は自分自身に、そして画面の向こうの何万人ものファンに語りかける。


「完璧なものは、時々、とても冷たいです。でも……ここには、不完全で、不器用で、だけど、どうしようもないくらい、温かいものがありました。私はこの場所でとても大切なことを教わりました」


 ​彼女は、そこでふっと配信を切った。

 嵐のようなコメント欄がぷつりと途絶える。


 ​やり遂げた、という安堵と確かな手応えがあるのだろう。ユキさんの顔は、吹雪の後の朝日のように明るく、晴れやかに輝いていた。


 彼女は、バーチャルとリアルの世界を繋ぐ、自分だけの、新しい魔法を手に入れたのだ。

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