第55話 小さな訪問者
囲炉裏の間と、それに続く縁側は、町の人々の陽気な笑い声と熱気に包まれていた。
俺の特製石狩鍋は、あっという間に半分ほどが空になり、皆、顔を真っ赤にして、思い思いに酒を酌み交わしている。
「どうだ、この鮭の出汁が、白菜の甘みを引き立ててるだろうが!」
「何言ってるんだい、大将。この白菜の優しい味が、あんたの鮭の荒々しさを、丸くしてやってるんじゃないか!」
魚屋の大将と、八百屋のおばちゃんによる、恒例の「うちの食材が一番」論争。
その横で、リサが、こっそりとスマホのカメラを回している。
「はーい、ピクニコ動画のファンの皆さんだけに、特別ですよー。見てください、この最高の雰囲気! これがダンジョン民宿の、ありのままの日常でーす」
数秒だけライブ配信すると、すぐにスマホをしまい、自分も鍋の輪に加わっている。
俺は皆の空になった器におかわりを注いだり、新しいお酒を出したりしながら、そんな幸せな喧騒を心地よく感じていた。
宴が、ちょうど一番の盛り上がりを見せた、その頃。
一台の軽自動車が民宿の前に静かに停まった。降りてきたのは、見慣れた、真面目な顔つきの女性。役場の佐藤さんだった。
彼女は、今日の宴を知らなかったのだろう。 目の前の村祭りのような光景に少しだけ目を丸くしている。その顔は、いつもの溌剌とした感じはなく、ひどく疲れているように見えた。
「おお、佐藤さんじゃないか! まあまあ、こっち来て、一杯やらんか!」
鈴木さんが一番に気づいて手招きをする。
「い、いえ、私は、仕事の帰りに、少しだけ様子を……」
真面目な彼女は、遠慮しようとする。
だが、そんな言い訳が、この町のパワフルなおばちゃんに通用するはずもなかった。
「あらまあ、佐藤さん! ちょうどいいところに来たわね! 固いこと言わんで、まあ、座んなさい! 体が冷えるわよ!」
おばちゃんにぐいっと腕を引かれ、彼女は、あれよあれよという間に、囲炉裏の輪の中へと引きずり込まれていた。
俺が熱燗を注いであげると、彼女は「……すみません」と小さく言って、そのお猪口を、こくりと一口で飲み干した。そして、ふぅぅ、と体の芯から絞り出すような、大きな、大きなため息をついた。
「どうしたんですか、佐藤さん。ひどく、お疲れのようで」
心配になって尋ねると、彼女は少しだけ愚痴をこぼし始めた。
「……来年度の、町の予算会議のことで、少し……」
その声にはやりきれない思いが滲んでいる。
「ご存知の通り、この町も、財政が厳しくて……。不要不急と判断された予算は、どんどん、削られていってしまうんです。町の、あの小さな図書館の、新しい本を買うための予算とか……子供たちが放課後に集まる、公民館の雨漏りを直すための修繕費とか……」
町の未来を誰よりも真剣に考えているからこそ、数字や効率だけでは割り切れない、大切なものが切り捨てられていく現実に、彼女は心を痛めているのだ。
その、少しだけしんみりとした空気を、破るように玄関の方から、鈴を転がすような、元気な声が聞こえてきた。
「おっちゃーん! 遊ぼーーーっ!」
「ゴブ吉ー! いるかー!」
学校を終えた、近所の子供たちが、ランドセルを揺らしながら、数人で駆け込んできたのだ。夏休みに、大輝くんや翔太くんと友達になった彼らにとって、この民宿は、最高の秘密基地であり、遊び場になっている。
子供たちは、大人たちの輪に混ざっても、全く物怖じしない。残っていたおにぎりを頬袋いっぱいに頬張り、プルやキノコうさぎと戯れ、大将のねじり鉢巻を引っ張って怒られている。
そんな子供たちの一人、小学一年生の女の子が、俯いて元気のない佐藤さんの姿に気づいた。
彼女は、てちてちと佐藤さんの隣までやってくると、その袖を、くいっと、小さな指で引っぱった。
「ねえ、お姉ちゃん。どうしたの? 元気、ないの?」
佐藤さんがハッとして顔を上げる。
女の子は、にぱっと笑うと近くで丸くなっていたプルを、よいしょ、と両手で抱え上げた。
「これ、あげる! プルに触ると、元気出るんだよ!」
ひんやりとして、ぷにぷにした感触の塊を、佐藤さんの膝の上に、ぽすん、と乗せた。
佐藤さんは、突然のことに、ただただ驚いていた。膝の上の、不思議で、心地よい感触。
そして、目の前にある、何の曇りもない、ただ、自分を元気づけたいという、純粋で優しい子供の笑顔。
彼女が、予算が削られることを嘆いていた、図書館の本を読む子供たち。
彼女が守りたかった公民館に集う子供たち。
この町の、未来。
そのものが、今、目の前にあった。
守るべきものは、予算や、数字や、建物の壁なんかではない。この温かくて、かけがえのない、子供たちの笑顔だったのだ。
佐藤さんの大きな瞳から、じわり、と一筋の温かい涙がこぼれ落ちた。
膝の上のプルは、そんな彼女を慰めるように「ぷるん」と優しく揺れた。
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