*リセット

部屋に戻った俊は、特に何もすることもなく、ベッドに寝転がりぼんやりと天井を見つめていた。

そして、机の上に置かれた写真立てをみていた。

そこには、彩希と一緒に撮った写真があった。


まだ2年になって間もない頃。

彩希と一緒に過ごす時間が多かった頃に、撮っていたモノだった。

邪気の無い笑顔の彩希と、はにかんだ自分の姿。

今となっては、もうこの頃に戻ることも叶わなくて。

俊はそっと眼を閉じて、その写真立てを机の引き出しの中へとしまい込んだのだった。


『戻りたいの………?』


ふと、そんな声が聞こえた気がして。

その声は、俊自身の心の声。

意識が戻ってから、自然と自分に問い掛けるような声と成って聞こえるようになったのだ。

ただ、医師にはそのことは話していない。

相手は自分自身なのだから、と、敢て何も言わずにいたのだった。


『戻りたいの………?あの頃に………』

「………」


―――戻れるのなら、戻りたい。

けれど、出来るのならもうやっているさと、自問自答を繰り返して。

俊はぼんやりとしたまま、ただ一点を見つめて。

そしてまたベッドに寝転がり、目を閉じると、今までの光景が走馬灯のように思い出されて。

何でこんな風になってしまったのだろう?

彩希のことも、甲斐とのことも、防ごうと思えば防げたはずだった。

なのに、いったいどこで道を踏み間違えてしまったのか?

考えても考えても、答えが見つからない。


『だったら、どうすればよかった?』


ふと、またそんな声が聞こえてきて。

わからない、と心の中で答えると、声がまた問いかける。


『それって、ただ逃げてるだけじゃない?』


―――そうだね、考えないように逃げてるだけなのかもしれない。

もっと自分がうまく立ち回れていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

そんな風に思っていると、声が話しかけてくる。


『意思を強く持ち続けていれば、状況は変えられたかもしれない。

けれど、お前はそうしなかった。

ただ、流されるままに、言われるがままに行動して、自分の意思を貫かなかった。

違う?』


そう痛いところを突かれて。

俊は何も返せないまま黙っていると、声はさらに問い掛け続けた。


『せっかく水瀬の意思を受け継ごうとしたのに、その結果がこうなることが解っていても、お前が一言、「いやだ」って言えてたら、その結果は違っていたのかもしれないのに…』


まるで責めるような声の言葉が、痛いくらいに俊を追い込んでいく。

それは、自分で自分を否定するかのように。

俊は何も言い返せずに、ただその声に耳を傾けていた。


『可哀想だね、哀れだね、惨めだね。

何も出来ない君に、一つだけ教えてあげる』


『………壊せば良いんだよ。何もかも、ね』


―――何を?


と、問い掛けるまもなく自然と身体が動いて。

いつの間にか右手に、カッターが握られていた。

そしてそのまま左腕に押し当てる直前で止まった。


『これで、リセットすればいい。

そうすれば、嫌なことも全部、忘れるくらいにスッキリするの、解ってるだろう?』


甘く囁くように、声は俊を導くように、『さぁ、リセットしよう…』と右手を滑らせた。


プツリ、と赤い血が滲み出して。

でも、なぜかまた痛みは感じなかった。

それよりも逆に、その真っ赤な血を見ると、モヤモヤした頭の中が、ス~ッと晴れていくような感覚があって。


『………ほら、スッキリしただろう?』


声はクスクスと笑い、また甘く囁くように俊へと語りかける。


『モヤモヤしたときは、こうやってリセットすれば良いんだよ』


俊は与えられた刺激と感覚に酔うかのように、微睡み、そしてそのまま浸るように、ぼんやりとした意識の中で、誰かの呼ぶ声がした気がして。

その声は弥月の声だったが、俊は認識できずに、ぼんやりとしたままでいると、弥月が再び呼びかけて、ようやく我に返った。


「お兄ちゃん………?どうしたの?」

「………」

「お母さんが、もうすぐ夕飯出来るから、お腹空いたら降りてきなさいって言ってた」

「………わかった」

「………じゃあ、またあとでね………」


弥月はそれだけ伝えると扉を閉め、暫くその場で俯いていたが、やがて自身の部屋へと戻っていった。


弥月が出て行ったあと、俊は右手に握ったままのカッターを仕舞い、ティッシュで傷口を抑え、軽く止血すると、ぺたぺたと適当に絆創膏を貼っていった。


「………」


先ほどまで重かった頭も軽くなり、至って冷静な自分に戸惑いながら、軽く息を吐いた。


その日を境に、俊は何か気持ちが不安定になるとき、リストカットを繰り返すようになっていったのだった。

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