海菜と百合香の話

三郎

百合香の家族の話

百合香の父(前編)

 百合香と付き合って数日が経ったある日。放課後に何気なくスマホを見ると、母から一件のメッセージが届いていた。百合香の父親が今家に来ていて、私が話がしたいということで連絡先を教えても良いかという内容だった。


「あー……満ちゃん。私今日、部活休むね」


「なに。サボり?」


「ちょっと急用。適当に誤魔化しといて」


「分かった。サボりって伝えとくわ」


「やめてよぉ」


「急用って?」


 百合香の問いに答えるべきか一瞬悩んだが、正直に百合香の父親と話してくると伝える。彼女は「ふーん。実の娘より先に娘の恋人に会う方が先なのね」と拗ねるように唇を尖らせた。やはり話すべきではなかったかもしれない。


「えっ。まだ会ってなかったの?」


「連絡はした。少し待ってって言われて、それっきり。……まぁ、元はといえば、避けてたのは私の方なのだけど。どういう話したか、後で教えてね」


「私も行くとは言わないんだ」


「だって、私に連絡しないってことは、私抜きであなたに話したいことがあるんでしょ」


「ふふ。お前みたいなどこの馬の骨かもわからん女に娘はやらん! とか言われるんかな」


「なんで嬉しそうなんだよ」


「それは言わないと思うけど」と苦笑いしながら百合香は続ける。


「もし言われたら無視して良いから。娘置いて逃げた父親にそんなこと言う権利ないもの」


「分かった。じゃあ、拗ねてたよってお父さんに伝えてくるね」


「拗ねてない! 怒ってるの! 私は!」


「ふふ。ごめんごめん。冗談。怒ってたってちゃんと伝えてくるね」


 満ちゃん達と別れて教室を出る。ちょうど迎えに来た望にも急用が出来たから休むと伝えて別れ、下駄箱で靴を履き替えて門を出ようとしたところで、運悪く先輩に見つかってしまった。


「鈴木くん、またサボり?」


「いや、今日はちょっと急用で」


「急用ぉ?」


「……彼女のお父様が、うちに来てまして」


 深刻な雰囲気を出して誤魔化す。先輩は何したんだよと引いていたが、緊急事態だということは伝わったようで見逃してくれた。実際はそこまで緊急事態ではないのだけど。明日になったらきっと変な噂が広まっているだろうが、そこはまぁ、百合香や満ちゃんがなんとかしてくれるだろう。


「ただいま」


 家に帰ると、両親の「おかえり」という声に聞き馴染みのない男性の「おかえりなさい」の声が重なる。靴も一足多い。リビングへ行くと、両親と同年代くらいの人の良さそうな雰囲気の男性がこんにちはと頭を下げた。そして小桜優人ですと名乗る。


「鈴木海菜です。両親がお世話になってます」


「こちらこそ、娘がお世話になってます。それから……妻のこと、ありがとうございました」


「そのお礼は母に言ってください。私は何もしてないので」


「礼ならもうもらってるよ」


 そう言って母は私に向かって小袋に入ったクッキーを投げ渡す。どうやら母がコーヒーのつまみにしているこれがそのお礼らしい。小袋にはこの間テレビ特集されていたスイーツ店の名前が書かれている。並ばないと買えないくらい人気らしいが、わざわざ並んだのだろうか。


「クッキー、嫌いだったかな」


「いえ。好きです。わざわざありがとうございます。いただきます」


「なんかテンション低いな。お前まさか、恋人の父親前にして緊張してんの?」


「いや……思った以上に和やかな空気だなと思って」


 小百合さんの話をした時とは大違いだなと苦笑しながら、母の隣、優人さんの正面に座る。


「あ、最初に言っておくけど、僕は百合香と君の関係に反対するつもりはないよ。今日来たのはほんとに、娘の交際相手がどんな人か知りたかったのと……あと、娘の学校での様子を聞きたくて」


「近いうちに本人に会うんですよね。拗ね——怒ってましたよ。なんで娘に会うより先に恋人に会うんだって」


「そ、そっか……まぁ、そうだよね」


「避けてたのは自分の方だからと反省もしてましたけどね」


「それは良いんだ。避けられても仕方ないことをしたのはこっちだから。……君も、家庭の事情に巻き込んですまなかった」


「巻き込まれてないですよ。私の方がズケズケとつっこんで行っただけです。お前は娘を不幸にするから娘に近づくなって言われて、納得いかなかったから」


「そ、そんなことを小百合が……」


「百合香から間接的に聞いた話ですけどね。小百合さんから話は聞きました?」


「うん。聞いたよ。全て。どうして君は、小百合が過去に同性と付き合ってたって気づけたの?」


「私、母にカミングアウトするまでは自分が同性愛者であることを否定したい気持ちがあって。普通に、異性を好きになれたらって、思ってて。そのまま大人になっていたらきっと、自分以外の同性愛者のことも受け入れられなかっただろうなって。だからもしかしたらって思ったんです。小百合さんが否定したいのは私じゃなくて、過去の自分なんじゃないかって」


「……そうなんだ」


「はい。もしそうだとしたら、母と昔交際していた可能性もあるかもしれないと思って母に確認したんです。母も昔、同性と付き合ってたって聞いてたから」


「そっか。僕も海さんの話は聞いていたけど、妻にも同じような過去があるとは考えもしなかった。でも、何か隠してるのはずっと気付いてた。今思えば、一度離れる選択をしなくても、無理矢理にでも踏み込んで、僕にとっては別に大したことじゃないから大丈夫だよって言ってあげられたら、それで終わりだったんだろうね」


 後悔するように俯く優人さんに、他人事のように母は言う。「今からでもまだ全然やり直せるでしょ。生きてるんだから」と。『生きてるんだから』という一言にやけに重みを感じた。優人さんも私もそこには触れずに頷いた。


「そうですね。今度はちゃんと、妻とも娘とも話をしようと思います」


「小百合さんには定期的に会ってたんですよね」


「ああ、うん。でも……なるべく彼女が抱えている何かには触れないようにしてた。いつか彼女の方から打ち明けてくれることを待つのが正解だと思ってたから」


「私も、優人さんの立場ならそうすると思います」


「俺も。海ちゃんは踏み込むタイプだよね」


「相手にもよるよ。君の場合はこっちから踏み込んで引きずり出すくらいしてやらんと遠慮して出せなかったから」


 などと母は言うが、普段の父の母に対する甘えっぷりを見ていると俄かには信じ難かった。そういえば、彼は元々父の知り合いだったと聞いている。その当時はどうだったのだろう。


「あー……確かに麗音くんとは同じ高校の先輩後半の関係だけど、当時はあんまり関わってなかったんだ。図書委員で一回だけ一緒になったくらいで。三年くらい前かな。仕事終わりにふらっと立ち寄ったバーが、海さんが働いてるカサブランカで。麗音くん、当時は結構目立っててね。あまり関わったことはなくてもよく覚えてたんだ」


「目立ってたのは俺というか……小太郎ですよね」


 知らない名前が出てきて首を傾げる。父の一つ下の後輩で、ゲイらしい。


「ふぅん。元カレ?」


 私の問いを父は否定しつつ、当時はよく勘違いされたと苦笑しながら語る。優人さんも勘違いしていたようで、結婚を知った時は驚いたらしい。「まぁ君、女に興味なさそうだもんな」と母。確かに父が母以外の女性に興味を示しているところを見たことがない。


「でも中学の頃は言われたことなかったよ」


「そりゃ、誰がどう見ても僕のこと好きだったからだろ」


 サラッと言う母に苦笑する。しかし、今の溺愛っぷりを見れば母の言うことは納得出来てしまう。当時は自分から甘えにこなかったと言う話だが、それでも好意がダダ漏れだったのは容易に想像できる。同じく好意がダダ漏れだった親友の姿に父が重なる。


「言われてみれば、君と同じ中学だった子は大体、君がゲイだなんてありえないって否定してたな」


「でも、俺一応、彼女居たんですよ」


「うん。君の噂はその元カノから聞いたって子が多かったよ」


「なるほどねぇ……確かに、夏芽にはそう思われても仕方ないか……」


 苦い顔をする父。当時の彼女と別れた理由は聞かなくても想像出来てしまう。


「……でもさ、父さんは噂されても平気だったの? 当時って、今より厳しかったんじゃない?」


「全く平気ってわけではなかったけど……分かりやすいいじめみたいなのはなかったよ。お前男が好きなんだろって冗談みたいに揶揄われるくらいで」


「それも充分しんどいでしょ」


「うん。でも、本気にしてる人の方が少なかったし、冗談として適当に流せばそれで済んでたから。……今思い返せば辛かったんだろうけど、もっと深く傷つけられてる人を、何人か見てきてたから。……それに比べたらって、思ってた」


「もっと深く傷つけられてる人って、母さんと……小太郎さん?」


「うん。あと……海の元カノとか……他にも、何人か。まぁ、俺の周りというか、海の周りは多かったよ。海は自分が同性愛者であることを隠さなかったから。その堂々とした態度が虚勢であることも含めて、カッコいいと思ったし、愛おしいと思ってた。守りたかった。守れる強さがほしかった。彼女を守れるなら、自分が犠牲になっても構わなかった」


 分かってはいたがあまりの思いの重さに苦笑いしか出来なくなる。望もこんな気持ちだったのだろうか。いや、流石に彼はここまで重くない気がする。


「海菜も似たようなもんだろ」


「ちょっとやだぁ! やめてよ! 私ここまで重い女じゃないもん!」


「あはは。でも父親としては、軽いよりは重いくらいの方が全然良いかなぁ。娘のこと大切にしてくれるだろうなって思えて安心する」


「一生大切にします。お義父さん」


「そういうところが重いんだよなぁ」


「母さんだって百合香にうちの娘になる? とか言ってたくせに!」


「あれは冗談だっつーの。まぁでも、本当にそうなっても良いとは思ってるよ。この先どうしていくかは二人でゆっくり考えな。僕も麗音も口出さないから」


「僕も、二人のこと応援してるから。小百合もね」


「ふふ。じゃあ、私も応援しますね。優人さんと百合香のこと」


「う、うん。ありがとう。頑張るよ」

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