星の子

まっちゃん

第1話 星の子

 俺は付き合って三年にもなる彼女にプロポーズできないでいた。収入が不安だった。同期の仲間にちらほら役職名が付いていく中で、俺の方はさっぱりだった。そんな俺の事情を知っているのか、それとも気づかぬふりをしてくれているのか。彼女が「次、ここに行こうよ」と言ってくれるのは金のかからない所が多かった。彼女の愛おしさに泣きそうになった。頑張れ、俺。

                  ・

 俺は彼女をプラネタリウムに誘った。夏の時期だから子供向けに七夕伝説の話くらいではないかと甘くみていたが、「恒星の一生」という演目。

 「難しそうでごめんね」

 「いいんじゃない?」

彼女は素気ない笑顔で答えた。


 入場すると、空調の冷気とわずかな埃の匂いが鼻をくすぐった。ドーム状の天井は、まだ照明に照らされて淡い灰色をしている。柔らかいクッションに体が沈んだ。

 周りは親子連れが多く、子供たちの小声や笑い声が絶え間なく響く。その喧騒が、やがて暗くなると同時に静まり、天井に一面の夜空が広がった。

 暗闇に包まれると、意識が少し遠くへ押しやられた。


 解説員の声が、柔らかく館内に響く。

 「頭上に見える三つの明るい星は、夏の大三角と呼ばれています。一番明るいのが、こと座のベガ――織姫星です。次に明るいのが、わし座のアルタイル――彦星。そして、はくちょう座のデネブ。お尻にある星なのでデネ“ブー”…という覚え方はしない方が良いでしょう。」


 会場が沸いた。子供向けの演出だろう。下らないが、面白い。


 「これらは恒星と呼ばれる、自ら光を放つ星です。太陽も同じ恒星で、内部では核融合が起こっています。水素からヘリウムを作る代わりに、毎秒四百万トンもの質量を失いながら、私たちに光と熱を届けています。」

 

 太陽が痩せていく姿を想像すると、どこか儚さすら感じる。


 「…太陽より重たい星の中ではヘリウムが核融合を起こし、炭素や窒素、酸素といった元素が作られます。寿命の終わりに大爆発を起こし、これらの元素を宇宙にまき散らします。元素は再び集まり、新しい星や惑星をつくります。」


 解説員の声は淡々としているのに、言葉は深く響いた。


 「宇宙は約138億年前に誕生しました。私たちが立つこの地球も、その宇宙の歴史の中で生まれたひとつの奇跡です。」


 プラネタリウムの暗闇は、時間の感覚を完全に溶かし去っていた。


 「星が作った元素は、やがて生命の材料となり、私たちの体になりました。骨のカルシウムも血液の鉄も、すべては星のかけらです。言わば、星の子――私たちは星屑から生まれたWe are made of starstuff.のです。」


 胸の奥で、何かが鳴った。俺は星の生と死の物語に引き込まれ、過去の悩みが霞みはじめていた。収入のこと、昇進のこと、どれもが宇宙の壮大な歴史の中では砂粒のように小さく思えた。


 暗闇の中で、そっと彼女が手を伸ばし、俺の手を握った。彼女も何かを感じたのだろう。温かさが伝わり、自然と握り返す。二人の鼓動が重なりあう。


 「ありがとう。」と、彼女が小さく囁いた気がした。


 俺は決意した。この先の人生は、不安を乗り越えて、彼女と共に歩んでいくと。


 プラネタリウムの上映が終わり、会場はゆっくりと明るさを取り戻す。

 俺の目は腫れていたが、彼女にはばれないようにそっと瞼をこすった。


 帰り道は人通りもまばらで、夏の夜風が二人の間をそっと通り抜けていく。

 静かな街灯の下で、彼女がぽつりと言った。

「ねえ、私、ちょっと感動しちゃった。」


 俺も同じ気持ちだった。

 「うん、よかったな。」


 俺は彼女に向き直った。

「百億年ぶりに会えたんだ。もう一度、一緒になろう。」


 彼女は涙ぐんで、けれど笑顔で言った。

「……百億年、待ってたよ。」

                ・

 今、彼女には“星の子”が宿っている。

時を超えて、俺たちは未来へと歩き出す。


---

(2025.08.09 了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星の子 まっちゃん @macchan271828

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画