第8話 地獄の九日間

じゃあ——今日から、またスキルの習得を始めよう


そう決めて、ベッドから体を起こす。朝の日差しがカーテンの隙間から差し込んでいたが、俺の心にはそれとは裏腹に、どこか冷たい覚悟が渦巻いていた


今回習得を目指すのは、《耐性》系統のスキル


それも、家の中で——そう、自室の中だけで身につけるという、変則的な方法によるものだ


このスキルは、カルディア・オンラインの中でも特殊な立ち位置にある


戦闘開始時に、ランダムで一つの属性耐性を得る。
火、氷、毒、精神——毎回変わる属性。それに適応する力


《抗性輪環(こうせいリンカイ):千変の環(メタ・アーク)》

効果:戦闘開始時にランダムな属性耐性を一つ獲得(中〜高)。発動時、手の甲に属性色の“環”が一時的に浮かび上がる。例:赤=火、紫=毒、白=精神などなど


このスキルは、ゲーム内では「PvP向け」「運ゲー」とも言われていたが、実際の現実世界では話が違う


完璧な準備ができない“現実”という戦場において、「受け身の強さ」と「リスクの読み」が問われるこのスキルは、理論上、非常に強力だ

だが、習得にはひとつ面倒な問題が浮かび上がってきた、現実世界ならではの問題が


俺は、街の薬屋で売られていた耐性ポーションを使うことで、このスキルを得ようとしていた。


その方法はこうだ:「反転ポーションを飲み9日間、異なる属性の耐性ポーションを服用し、効き目の持続時間(約5時間)を耐え抜く」


普通ならゲーム内でも行われていた“準公式”な方法……のはずだった

しかし、思わぬ落とし穴があった


薬屋に置かれていたポーションは、ゲームでおなじみの「完成品ポーション」ではなかったのだ


瓶のラベルに描かれていたのは、見慣れたマークではなく、どこか雑な手書きの文字だった


「これは……“未完成品”?」


不審に思った俺は、店主に問いかけた。すると

「このポーションはな、完成する前の状態だが、逆に言えば“素の状態”とも言える。飲めば確かに耐性がつく。しかし——それを連続で服用し続けると、スキルになる」


……耳を疑った。

スキルになる? そんなこと、ゲームではありえなかっ


ポーションはあくまで“一時的な耐性”を付与するだけ。重ねて飲んでも、持続時間が延びるだけで、スキルが手に入るようなものじゃない


なのに、この世界では違っていた。
未完成のポーションは、“耐性”ではなく、“効果そのもの”を体に染み込ませていく。

そして、その過程で「適応力」がスキルとして芽生えるという






俺が狙う《抗性輪環》には、いくつかの取得ルートが存在する。
だが、今試そうとしている方法は、ゲーム内では誰もが見向きもしなかった裏ルートだ


「一応、確立されてはいる。だが、面倒すぎて誰もやらない」


そんな代物

しかも嫌なのは、そこで得られるスキルが、「ゲーム由来」ではなく「現実由来」のものだったということ。

つまり、《抗性輪環》の構造自体が、ゲーム設計の外側——この世界で独自に“進化”したスキルなのだ


その取得法はこうだ:

「未完成ポーションを服用し、属性の効果を体に作用させ、それに耐え抜く」

耐える、というより、“浴びる”に近い。
属性を受け入れ、体に染み込ませ、耐性として定着させる


体の奥に、スキルの核を刻み込むように


そう言えば聞こえはいいが、やってることはただの耐性耐久チャレンジだ、やり方は似ている
だが微妙に、違う


……というより、現実由来のほうが簡単にできている。だからこそ、なんとも言えない

ちなみに、店主が教えてくれたスキルの一つがこれだ


《毒耐性(ポイズン・シールド)》
効果:毒状態になると、即座に毒の侵攻を一度だけ抑制(無効化ではない)。
30分間は再発動不可。
また、毒の種類によっては効果を発揮しない場合もある(自然毒、魔毒など)。
使用後に軽い吐き気や倦怠感が残る副作用あり。


うん、まあ、毒耐性としては普通っちゃ普通……微妙ではあるけど、使いどころによってはアリだ。

でも、さらに店主が「これもあるぞ」と見せてくれたスキルが、コレ。


《散色の鈴(スキャッター・ベル)》
効果:戦闘開始時、まれに直前に体験した属性の「残響(魔素)」が作用し、弱めの属性耐性を得る。30分間は再発動不可 対象属性は火・氷・毒・風・土など、感覚や記憶と密接に関係する。使用後に軽い吐き気や倦怠感そして頭痛が残る副作用あり
ただし、耐性が発動しないこともある。


……
………
………………


な ん だ こ れ


いや、いらない。うん、まじでいらない

再使用時間30分? 副作用あり? 発動しないこともある?


なんだよ、「発動しないこともある」って。
それスキルの自覚ある!?


名乗るだけ名乗って、働かないってお前……社会なら即刻クビだぞ


あー、いや、もう……はぁ〜……


でも……違うんだよな


こんなスキルしか知らなかったら、たぶん感謝されてるんだ


そうだ
もし、俺が「ゲーム由来のスキル」を知らなかったら


「ランダムで一つ、中〜高レベルの耐性を得る」なんて、そんな便利でスマートなものが存在することを知らなかったら……


この、《散色の鈴》ですら、命を救ってくれるかもしれない大切な力なんだろう


デメリットが大きかろうが、発動確率が低かろうが、
それでも「ある」のと「ない」のとじゃ、雲泥の差なのだろう


だからこそ、俺はゲーム由来のスキルを手に入れたい

現実の微妙スキルに満足しない、ただの理想主義者で終わらないように

「知っている者」として、「持てる者」として、現実を超える


「となると──」


 俺は手元のポーション瓶を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。薄紫色の液体はわずかに濁り、どことなく不安定な気配を放っている


「……まずはこの未完成のポーションを、完成品に作り変えるところから始めないといけないか」


 これはゲームでは当たり前の調合法だった

素材の組み合わせ、火加減、封印紙の巻き方──頭の中には手順がしっかりと刻み込まれている


 けれどこれは現実だ。この世界でゲームのアイテム知識が通用するのか、初めての試しになる


 店主は知らなかった。ゲームのことも、この未完成ポーションが何に繋がるかも。ただ「連続服用でスキルが得られるかもしれない」と言っただけ


 俺は微笑を浮かべながら、道具袋を開いた。必要な材料は、記憶の中にある。後は、本当にそれが“通じる世界”なのかを確認するだけだ



ポーション調合には、まず環境を整える必要がある。俺は近くの空き家──元は倉庫だったらしい石造りの建物を掃除し、即席の作業台を作った


「こんな形で、ゲームの知識を試すことになるとは……」


 袋の中から、錬成器具一式を取り出す。簡易蒸留器、温度調整符、攪拌棒、封印紙、そして――未完成ポーションの瓶


因みに錬成器具一式は家の物置きにあったやつだ


 瓶の中の液体は、不安定な揺らぎを見せていた。魔力の流れが均等でなく、時折、小さな泡が弾けるように見えるのは、魔力がまだ定着していない証拠だ


「必要なのは、“安定化”と“帰着触媒”……だったよな」


 記憶をたどる。ゲーム内で何百回と繰り返した合成レシピ。レア素材などは要らない。今あるもので、なんとかなるはずだ


 俺はバッグから二種類の素材を取り出す。一つは「幽銀草(ゆうぎんそう)」――淡く銀色に輝く、魔力を鎮静化する効果のある草


そしてもう一つは「燃魂粉(ねんこんふん)」――魔力を定着させる触媒粉末。どちらもゲームでは初歩の調合素材だが、この世界でも街で手に入った


 草を細かく刻み、低温で煮出す。蒸気が立ちのぼり、ほのかにミントのような香りが広がる


続いて粉を正確な分量だけ投入し、五分間撹拌。その間、魔力を手からそっと注ぎ込む


「焦るな……温度一定……魔力も一定……」


 液体が、ゆっくりと濁りから透明感へと変わっていく。紫の色は次第に薄れ、代わりに“属性色”がわずかに浮かぶようになる


今は火属性ポーションなので、深い赤が中心にゆらめいている仕上げは、封印紙。


 これは魔力の流出を防ぎ、ポーションを安定化させるための封。微量の魔力を紙に染み込ませ、瓶の口に貼る


 ──シュウ、と音を立てて、紙が瓶に吸い付く。瓶が、かすかに光った


「……成功、か?」


 瓶の中の液体は、明らかに変化していた。不安定な泡も、魔力のゆらぎも、もうない。属性の気配が濃密に漂っている


 完成品の証だ

 

その後も、予備分も含めた9種類の耐性ポーションを、薬屋で購入した未完成品から完成品へと調合し直した


さらに反転のポーションも用意し、ようやく全ての準備が整った俺は静かに息を吐く。


「──じゃあ、始めようか。魂を削る《九日間の試練》を。誰もやらなかった、誰もやろうとしなかった、俺だけの“九日間”を。」


誰にも邪魔されないよう、家の中がすでに寝静まったのを確認してから
最初の夜、その扉をそっと閉めて、俺の試練が始まった




《九日間の試練》


一日目:火属性

ポーションを口にした瞬間、胃の奥から燃え上がるような灼熱感が広がった。


皮膚の下を、赤熱の針が這い回る。目を閉じれば、視界が火花で染まりそうだ。


「……ッ、これが“火”ってやつか……!」


汗が滝のように流れ、呼吸が焼けた空気に変わる。だが、逃げられない。これは「耐える」ことでしか成立しない儀式


刻一刻と、体の内側に“火の侵食”が深く染み込んでいく


五時間後


俺は全身びしょ濡れのシャツを脱ぎ捨てながら、ただ床に座り込んでいた


火は去った。しかし、それは「焼き尽くされて何も残らなかった」からではなく、俺が「耐えた」からだ



二日目:氷属性

次に待っていたのは、凍てつく苦痛だった。
ポーションを飲んで間もなく、指先が冷えていき、次第に感覚が薄れていく。血が凍り、思考が遅くなる


「ぅ……あ……寒……いっ……!」


部屋の空気が霜に包まれ、俺は毛布にくるまっても震えが止まらなかった


それでも、ただじっと“冷たさ”を受け入れ、心を凍らせていく

途中、幻聴が聞こえた。「やめろよ。無理だよ」


……幻じゃない。これは俺自身の“弱さ”だ。火では焼けず、氷でも砕けない芯を、俺はまだ持っているのか試されている


三日目:毒属性

今回は、飲んだ瞬間は何も起こらなかった

数分後、胃がぐらりと揺れ、血の気が引く


「っく……ぐ……おえ……ッ」


吐き気、頭痛、関節の痛み。毒というより、病に近い。じわじわと、生気を奪われていくような感覚


薬の効果を耐えるのではなく、「侵されながら、意識を落とさない」ことが目的だ


歯を食いしばる。意識が飛びそうになる。
それでも、俺は這ってでも水を飲み、這ってでも時間をやり過ごした


これは毒との握手みたいなもんだ。握った手を引きちぎられないよう、俺がしがみついたに過ぎない


四日目:幻術属性

部屋に人がいた


「……誰……だ……?」


うる覚えの声がする、昔の友人、死んだはずのペット、ゲームのキャラ。ありえない、でも現実的

幻術ポーションは精神に直接干渉してくる


「もう、やめよう?」


「こんなことして、誰が喜ぶの?」


「お前なんかに、抗性輪環(こうせいリンカイ):千変の環(メタ・アーク)なんて似合わない」


幻だとわかっていても、心が抉られる
声が、表情が、あまりにも“本物”だったから


自分自身を「信じること」だけが、この試練を突破する唯一の鍵だった

 

五日目:雷属性

ポーションを飲んだ瞬間、体がビクリと痙攣した。
神経の一本一本に電気が走るような刺激

心臓が早鐘を打ち、筋肉が勝手に動き始める


「っあ……ッ、うぅ……!」


身体が、意思と裏腹に動く
雷属性の恐ろしさは、その“制御できなさ”にある。筋肉が跳ねるたびに、意識が少しずつ削れていく


それでも耐えた。耐えるしかなかった
この属性の痛みに、慣れるために


 

六日目:精神属性

今回のポーションは、ただ静かだった
だが──恐ろしかった


「……俺って、なんだっけ……?」


自己認識が揺らぐ。自分という存在が、“薄れていく”感じ


記憶が飛ぶわけでも、人格が崩れるわけでもない。ただ、自分という枠があやふやになる

“誰か”のようで、“誰でもない”自分


この苦しみは、痛みすら感じさせない分、逆に狂気だった。

俺は、ただひたすら「自分の名前」を心の中で繰り返していた。
それが俺を“心”をつなぎとめてくれた


七日目:音属性

耳をつんざくような音が鳴り響いた。何も聞こえない、けれど、何かが鼓膜を貫いてくる


「うぐっ……耳が……ッ!」


この属性は、“魔力の振動”そのものに反応する。鼓膜、神経、精神——すべてをノイズが蝕む。


だが同時に、リズムを掴めば、落ち着きが生まれる


混沌の中に「調律」を見出すこと。音属性の試練は、まさにその一点に尽きた


 八日目:風属性

風は一見穏やかだ。だが、ポーションが引き出したのは“嵐”だった


体が軽くなり、五感が過敏になる。風のように“漂い”、逆に“地に足がつかない”


思考が飛ぶ。体がふわふわとする


重力すら希薄になる中で、「自分の軸」を持たねば、心は飛ばされてしまう


身体を縛るのではなく、風と共に“流れながら生きる”術を学ぶ。そんな試練だった



九日目:土属性

最後のポーションは、ただ重かった


全身が石のように重くなり、筋肉は動きを拒否する。呼吸すら困難になる中、俺は横たわることしかできなかった


五時間、ただの一度も動かない
動かず、考えず、耐える。それだけの時間が、どれほど長く感じられたことか


試されていたのは「意志」だ。岩のように“折れず、崩れず”存在し続ける意志を



そして九日目の終わり、
俺の体は限界を迎えていた。だが、その心の奥に


《抗性輪環(こうせいリンカイ):千変の環(メタ・アーク)》の“気配”が、確かに芽吹いていたのを感じた


朝日がさすベットの上で目覚めてみれば思う


振り返ってみれば、よく耐えられたと思う。
 最初の三日は、死ぬほど辛かった。火と氷と毒。三属性連続の肉体的侵蝕に、正直なところ何度も意識が飛びかけた


 けれど、四日目の幻術がある意味“功を奏した”。
 精神をえぐる属性とはいえ、直接的な痛みがないぶん、わずかに体力の回復を許してくれた


あの小さな“ゆとり”がなければ、たぶん俺は七日目あたりで倒れていたと思うそこからは、歯を食いしばるようにして時間をやり過ごした


 雷に痙攣させられ、精神に輪郭を曖昧にされ、音に神経を削られ、風に振り回され、土に押し潰されるように


 自分がどこまで“自分”でいられるのかを試され続けた、九日間だった


俺はゆっくりと息を吐き、ふらつく足でその場にしゃがみ込んだ


 汗と疲労で全身が重い。だが、胸の奥は、不思議なほど澄んでいた


 成し遂げた
 誰もやらなかったルートを、誰も選ばなかった試練を


 ──自分の力で超えて、手に入れた

その事実があまりにも嬉しかった


新しい一日が始まる


 だが、その朝を迎える俺は、もう昨日までの自分とは違っていた


 この先、何が待っているかは分からない
 けれど──


「……もう、何が来ても怖くない」


 そう思えたことが、何よりも強さの証明だと思った

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