夢花火
FUDENOJO
夢花火
潮風が僕を横目に吹き抜けた。
波のさざめきの間髪に、僕の自転車がキコキコと車輪を唸らせた。そろそろメンテナンスのころであろうか。潮風の吹く方、そこへ目をやると決まって見えるものがある。
廃墟群。そう呼ばれる建物の群れだ。荒んだコンクリートが虚ろにひしめき合い、何をするでもなく、ただそこに立っている。僕の高校の通学路、潮風の通る海岸線の道路を海を隔てた先にそれはある。視認できる部分はほんの一部分だけで、実は奥に広大な風景が広がっているそうだ。そこに現れたのはいつか、なぜ立っているのか、誰も知らない。先生が言うには、かつてそこに人が多く住んでいたらしい。かつてと言えども、数百年も昔だとか、そのぐらい昔なのだが。住んでいた人はどうしたかと言えば、その昔にいなくなってしまったらしい。大戦があったとか、疫病が流行ったとか、そう言ったことが原因で人がいなくなってしまったと言う説もあるらしいが、結局真実は誰も知らないのがオチだった。廃墟群の前には規制線が張られているが、興味本位で入る者が後を絶たないらしい。そういう輩は、入るのがお約束だ。かく言う僕も、同類であるが。夏一色の空のもと、僕は自転車を走らせる。廃墟群に入るため。
ここで僕が何故廃墟群に来たのかと説明しておこう。時間は昨日まで遡る。夏の真っ盛りの教室で、僕は淡々と段ボール工作に勤しんでいた。と言うのも、夏休み後に控えた文化祭の準備のためである。だが来るはずだったクラスメートの助っ人の人影はなく、ただ黙々と作業する羽目になった。体調不良が原因らしいが若干首をかしげる内容であった。日光が照り付ける教室で黙々と作業をしていた。教卓にはこの前の英語のプリントと誰かの忘れ物らしき花火大会のお知らせの紙が置かれていた。英語のプリントはクリスマス休戦を扱っているものだった。題材としては良いが季節外れではなかろうか。そんなことを考えながら僕は作業していた。そもそも、この作業にも何か意味があるのだろうか。そこへひょっこり現れた人物が一人。学校で稀に見かけることがある、新聞部の部員の女子だ。あだ名はしだれ。髪の毛がしだれ髪のような形だからとか、由来はそんなとこらしい。新聞部は文字通り新聞製作が主な活動だが、実態はというと流行りのオカルト研究。部員数は少なくひっそり活動しているそうだが、実際何をやっているかはあまり知らない。そんな彼女が唐突に来訪してきた。理由は定かではない。ただひょっこり現れて、僕の方を見てこう言った。
「暇?」
直球極まりない一言に僕は唖然とした。が、なんとか言葉を飲み込んで「暇だ」と返答した。ただ、この時点で僕は次なる衝撃の一言への準備が整っていなかった。
「そう。・・・君さ、花火、興味ある?」
この一言に僕は文字通り腰を抜かしてしまった。何のお誘いだこれは。花火はきれいで好きだが、あまりにも唐突すぎて困惑していた。
「花火・・・って、普通の?」
思わず僕はそう訊いてしまった。
「そう。打ちあがるやつ。ちょっと一風変わった不思議なのだけど。」
彼女の言葉を聞いた瞬間、察しがついた。僕に声をかけた理由も。僕はオカルトには興味はあまりなかったがゼロとは言えなかった。それを見越して声をかけたのだろう。
「・・・オカルト関係?」
僕の質問に彼女は少し首を傾げたのちうなずいた。
「まぁ・・・そうなるのかな。」
彼女はいつもながらのぼそぼそとした声で語り始めた。
「廃墟群で時折花火が打ち上るんだってさ。誰が打ち上げてるのかはわからない、幻みたいな花火。毎日一発以上は必ず打ち上がって、時間は日没と同時。まだ私は見たことはないけど、花火の音を聞いたとか、そんな話が続々と集まってる。だからそれを確かめたい。」
静かな熱意が一言一句に含まれていた。誰もいない場所で打ちあがる花火。そんなものがあるのだろうか。それに、最も引っかかる点が一つあった。
「つまり・・・一緒に廃墟群の中に入ろう、そういう事だろ?」
「そうなっちゃうね。」
やはりそうだ。そもそも廃墟群は広大。花火が打ちあがったとしても遠方から見るのは難しい。廃墟群に入らねばそれを観察することなど不可能だ。僕はしばらく悩んだ。早々に断ってしまえばいいものを、若干の好奇心と花火への興味が、Noの一言を喉元から出してくれなかったのだ。僕は文字通り頭を抱えながら返答を考え、ついに決心した。
「行くよ。ただし、危険だったりしたらすぐに帰る。」
「それで良いよ。日没は17:00頃。集合時間は16:00で。一本橋の前で。」
これがざっとの経緯である。
僕は自転車を止め、廃墟群につながる一本橋の前で時間を確認した。一本橋と言えば僕含め町の人は全員ここだと判る。が、ここでミスに気づいた。場所ではなく時間を、それも盛大に間違えていたことに気づいたのだ。待ち合わせの16:00と言われたのに、腕時計で確認してみれば現在時刻は15:00ではないか。早く着きすぎた。気が急いていた、とでもいうのか。僕は仕方なく橋の上で待ちぼうけする羽目になった。下を流れる川と、橋の横の土手に咲く花々を見て、ただ時間を潰した。
どれくらい経ったころだろうか、橋の下から何やら物音が聞こえ始めた。金属を打ち付けるような微妙な音が聞こえ始めたのだ。妖怪でも住んでいるのだろうか。いや、こんな昼間から活動する妖怪がいるだろうか。僕は川へ降りる階段を見つけるや否や、そこを降りてわざわざ確認しに行った。いったい何をしているのか、それが気になって仕方なかったのだ。が、下に行っても何もいなかった。あったといえば手作りのキュウリの馬とナスの牛の置物だけ。僕は日付を確認する。そう言えばお盆はもうすぐか。変な音がするものだと思い戻ろうとしたその時だった。そう離れていない廃墟群の水路近く、そこを何やら金属を引きずっている人影が見えた。間違いなく金属音はあいつが出している。あれが妖怪かと僕は唾をのみ息を殺して観察した。ただ、妖怪にしては人型すぎるような気もした。なら幽霊の類か?それにしてはこんな真っ昼間から何をしているのだろうか。
気づけば僕の足は一歩ずつそちらへ向かっていた。内なる童というか、心の中で小さな子供が暴れまわっている。どうしても確かめたかったのだ。とうに捨てた感情と思っていたものが、今になって溢れ出していた。一歩また一歩と僕の足は動く。歩調は秒数と比例しどんどん早くなっていった。それに呼応するように、向こうの歩調もどことなく早くなっているような気がした。そんなことがあるだろうか。気づけば僕は廃墟群の中に入っていった。だがもう足を止めることはできない。水路跡を無我夢中で走り、追い付こうと必死になっていた。しかし向こうの方が数段足が速く、一歩踏み出すたびに二歩三歩と間合いが開いていった。行く手を阻むコンクリート片もジャンプ一つで易々と越えている。一体何者なのだ。幽霊とも妖怪とも似つかない何か。あれは何だ?
僕がようやく冷静に物を考えられるようになったのは、すでに廃墟群の奥深くに着いた時だった。
コンクリートが風を唸らせ、ここは異境の地であるとその音で語った。その不気味な音は、まるで怪物の住処を思わせるものだった。鉄くずのようなもの大小まばらに散らばっているため、怪物がいても何もおかしいところはなかった。もうあの正体不明の人影は見当たらなかった。僕は後ろを振り返る。町はもう建造物の群れで見えなくなっていた。僕は歩調を早め奥へ奥へと進んでいった。実を言うと僕は廃墟群に訪れたのはこれが初めてではなかった。高校生になってからは入ったことはなかったが、それ以前は何度も度胸試し感覚で入ったことがあった。だから廃墟群の内部のことを知らないわけではなかった。尚、今回来た場所は初めてだった。そのため右も左もわからない。後ろに下がれば帰ることが当然できるわけだが、それはあまりにも惜しかった。
ふと辺りを見渡すと、なにやら光っている場所を見つけた。コンクリート製の高層建造物のせいで影の多いこの一帯で、唯一そこだけ日光で満ちていたのだ。そして、何やら人工的に光るものが視界に映った。金属光沢というものだろうか、とにかく光り輝くモノがその中央に鎮座していた。どこか綺麗でどこか奇妙なあの物体に僕は近づこうか否か迷った。好奇心はあった。だがこれ以上深入りするわけには。大きな波の音が思考に雑音を入れ、うるさくてたまらなかった。
気づけば僕は、その物体の前に立っていた。日光に満ちたその場所はまるでオアシスのよう。その空間だけ、他の廃墟群とは一線を画していたのだ。何がそう感じさせるのか、僕にはわからなかった。遠くから見えた中央に鎮座していた人工物は、等身大以上の大きさがあり、内部には歯車状のモノがいくつも見えた。一目見てこれは機械だと瞬時に理解した。が、誰が何のために作ったものかは判らなかった。大部分が錆びついているので、ここに置かれてからかなりの時間が経っているのだろう。興味本位で触れようとしたその時だった。
「おやおや。よくぞここまで。」
背後から人の声がした。僕の脊髄が震え上がるのを直に感じ取った。僕は恐る恐る背後を振り返った。
そこにいたのは、茶色混じりの天然パーマをなびかせる、一人の女の子だった。年は同じくらい、いや一つ上ぐらいだろうか。ボロボロになった白衣のようなものを身にまとい、手には先ほど引きずっていた金属の塊のようなものを持っていた。頭にはゴーグルをしている。純粋な機械いじり好きのような印象を受けた。が、この人は一体何なのか。ここで何をしているのか。もし幽霊なら、かなり変わったものだ。僕は神妙に見つめた。
「ん?なんだその顔・・・もしかして幽霊の類と思ってる?」
その人の勘は冴えている。それを今この瞬間実感した。非常に気まずい雰囲気が流れる、かと思いきや、数秒後その人は大爆笑していた。僕は唖然とした。
「昼間から活動する幽霊なんて聞いたことがない。つまり幽霊を見つけたと思って興奮して私を追ってきたわけかい?それなら君は昼に動く幽霊と同じぐらい変わっているね。」
その人は饒舌にそう言った。僕は呆然としながらその人の話を聞いていた。何なんだこの人は。少なくとも、思い浮かべていたその人の像とは、まるっきり乖離していた。
「私は星見。なんでもいいよ呼び方は。」
「あ・・・どうも。」
その人、星見は僕に煤まみれの手を出して握手を求めてきた。僕は恐る恐る手を握って握手した。星見の手は日差しの温かさとはかけ離れた冷たさだった。低体温症の人なのだろうか。僕の方も自己紹介をしようとしたが、それをする暇もなく星見は僕に頼みごとをしてきた。
「君に手伝ってほしいことがある。こいつの修理だ。」
「修理?」
「そうだ。」
星見が指をさした先には例の人工物があった。これを直そうとしているのだろうか。だから直す用の金属部品を引きずっていたのかと妙に自己解釈してしまった。ただ、直せば機械のように動くと仮定して、これは一体何なのか。僕は直球に質問した。
「・・・あの、これって・・・?」
「あぁ。そうだそれを言い忘れていた。こいつは花火を打ち上げるマシンだ。」
その言葉を聞くや否や、僕の脳内の事象のパズルが次々とはまっていた。しだれから聞いた廃墟群の花火の話。その花火を打ち上げていたのはこのマシンだったのだ。僕は思いかけず一気に核心に近づいたのだった。
「と言ってもこのマシンが打ち上げる花火は実物じゃない。デジタルなんだ。かつてこの廃墟群に住んでいた人々が作ったらしい。彼らも花火が好きだったんだろうな。私が発見した時には今よりもっと悪い状態だった。一人でコツコツ頑張って修繕してここまでたどり着くことができた。一日一発ぐらいは打ち上げられるくらい直したんだが、さらに修理すればもっと盛大な花火を打ち上げることができる。私はその花火を一度でいいから見てみたいんだ。」
星見は夢を語った。その口調は生き生きとしており、情熱が一言一句に溢れていた。僕は時計を確認する。まだ集合時刻までに時間がある。しだれと合流するまで僕は修理に勤しもう。16:00になったら彼女に真実を伝えてあげよう。そのあと一緒に3人で修繕するのも悪くない。そう考えた。
「あ、そうだ。君、さては連れがいるね?」
どこまで勘が良いんだ。僕は開いた口が塞がらなかった。もはや称賛に値するほどのものである。
「その人は廃墟群に誘うほどの度胸のある人だ。その子を驚かさないかい?このマシンをきっと気に入るはずさ。」
星見は策士のような笑みを浮かべながら浮足立った様子で作業に取り掛かる準備を整えた。僕にスパナを渡し、今まで彼女が運んでいた金属の塊を指さした。
「そうと決まれば善は急げだ。その鉄の塊を分解してくれ。バラせばそいつから歯車やらなにやら色々出てくる。それを修理に使う。とりあえずやってみてくれ。」
星見は僕にそう指示した。
僕は機械いじりなど学校の工作の時間以外やったことがない。だが、ここは勘も駆使してやりきろう。そう考えて僕は作業に取り掛かった。
金属の塊には10個ほどのナットがついている。これを外せば金属の歯車が大量に出てくるらしい。僕はこれを水道の蛇口をひねる感覚でスパナで回した。最初の2、3回転は力がいるが、それを乗り切れば水を得た魚のようにナットが利口に回ってくれる。そうなれば外れるまで回転させるだけだ。ナットを一本外し終えると僕は完璧にコツをつかんだ。あとは流し作業のようにナットを外していき、最後の一本を外していくと金属の板のようなものが一気に外れ、中からいくつもの歯車が露出した。
「ほほぅ。手際が良いね。じゃあこれ。」
星見はドライバーを地面に転がし、僕に使えと言った。ドライバーを手に取ると、持ち手の半透明の赤い部分が太陽光に当たって宝石のように輝いていた。これで歯車をでばらすのである。僕は歯車の軸を固定するねじを力いっぱい回した。腕が震えるほどの力でやっとねじは回りだし、大量の汗を流してようやくねじを一本外すことに成功した。だが軸はまだ外れる様子がない。そんな様子を見かねたのか、星見が僕の元へ来て手伝ってくれた。
「君でもお手上げな様子だね。」
星見は僕にそう言うと、僕と同じく力いっぱいねじをドライバーで回し始めた。すると驚くほどねじが軽快に回った。本人曰くコツがあるのだというが、教えてもらえど僕は全くうまくいかなかった。僕が苦戦していると、星見はタオルを取り出し僕の額の汗を拭いてくれた。突然のボディタッチだったので僕は頭が真っ白になった。が、星見はそれが狙いだったようで、僕の様子を見るや否やさらに笑みを浮かべた。からかいそのものの笑い方だ。僕の中の感情は混乱状態だった。不満というか恥ずかしいというか、頬が赤くなるのが体温で感じ取れた。
その後は流れ作業で、僕が歯車や部品を外しては星見に渡し、星見がそれを使いあの機械を直すの繰り返しだった。星見曰く二人でやると作業がやはり速いらしい。歯車をすべて外し終わったところで装置は完成間近となった。
「さーて、あとはこれかね。」
星見はそう言うと、少し離れたところにたたずむ鉄のロボットのような残骸の元まで案内した。かなりの大きさで、僕の身長の二倍ほどはあった。人型を模しており、経年劣化で五体満足とは言い難かったが綺麗に原形をとどめていた。星見はこれを解体するというのか。不可能ではないが骨が折れそうだ。
「こいつの心臓部にコンピューターが備わっている。すでにプレートのねじは外して内部からすぐに取り出せるんだが・・・見てもらえればわかる。」
星見は少し神妙な顔でプレートを外した。この瞬間、星見の言っていることをすべて理解した。内部には大量の歯車と配線がジャングルのように絡まっていたのだ。奥にコンピューターのようなものが見えるが取り出すには確かに骨が折れそうだ。それよりも厄介な障壁となっていたものがあった。銃の弾丸を帯状に連ねた物体だった。これがなぜか、このロボットの内部に大量にあったのだ。こんな物騒なものがどうして。急な胸騒ぎが身体を伝った。
「これ・・・・」
「そうだ。弾丸だよ。私も実物を見たのは初めてだった。廃墟群には破壊の痕跡がいくらかある。仮説だが、こいつが破壊の主ではないかと、そう思っている。」
星見の言葉ののち、幾分かの静寂が流れた。吐息が鮮明に聞こえるほど静かだった。周囲を見渡すと、建物には皆、老朽化とは別の破壊の痕のようなものがあった。焦げたような痕がある建物すらあった。
「ただこいつが悪いわけじゃない。恐らく廃墟群で戦争があった。こいつらはただ誰かの命令で戦っただけ。廃墟群はやがて住めなくなり、人はいなくなったんだ。・・・私はそう仮定している。」
星見はそう言った。その眼は近くを見ているのに、遠くを見据えるようなそんな眼だった。
「そしてもう一つ仮定していることがある。私がここに来たのはもう何年も前だ。初めて来たとき、ここの異様さに圧倒された。君もそうだろう?」
星見は僕の顔を見てそう言った。僕はつられるように頷いた。
「君も私も覚えた違和感の正体。それは、ここが綺麗なことだ。」
波しぶきが辺りに散った。ここは海に面する上に海抜が低かった。波しぶきの水滴に周りの風景が映る。そうだ。星見がすべて言語化してくれた。ここだけオアシスのような、箱庭のユートピアのような、そんな感覚をもたらしたのは、破壊の痕があれど、この場所が原形を保った綺麗な状態だったことにあったのだ。
「これは私の勝手な妄想だが、皆花火が好きだったのではなかろうか。だからここでは争えなかった。ロボットも誰もが、皆が花火に見惚れた。クリスマス休戦の話、君も知っているだろう?そんな出来事が、ここでもあったんじゃないか?」
星見はそう語った。僕はある話を思い出した。花火はただ綺麗な観賞用ではなく、慰霊や弔いの想いが込められていると。ロボットもその当時いたであろう人々も、花火を通し弔っていたのではないか。そして今、その弔いのバトンを渡されたのは、僕たちではないか。
「私は弔ってやりたいんだ。過去の人もそうだし、このロボットたちも。ロボットは人間と違い土に還れない。だからあのマシンの一部にしてやって、循環させてやりたいんだ。私なりの弔いだ。」
星見はそう言った。工具を取り出し、僕に渡す。
「あのマシンを直してまた動くようにしよう。それがロボットたちの、本懐を少しでも果たせると思うから。」
「うん。」
星見の工具を受け取り、僕は強く頷いた。別々に動いていた歯車が、同時に動き始めたような気がした。
ここからが本番だった。ペンチを使い配線を固定し、コンピューターまで手を伸ばせるようにかき分けた。まるで藻の中をかき分け何かを取り出すかのようだった。僕がかき分け星見がその空いた隙間に手を突っ込んで作業した。日光に照らされ、内部も高温に達していた。かなり過酷な作業だったが僕と星見が諦めるはずもなく、コンピューターを固定しているねじまでドライバーを突っ込むことに成功した。星見が僕の方に手を差し出すと、僕は流れるように彼女にレンチを渡した。彼女の目線と一連の作業の経験から、無意識のうちに最適解の工具を渡していたのだ。これには星見もびっくりしたようすで、ただどこか嬉しそうにありがとうと僕に言った。レンチとドライバーの二刀流で星見は作業を進め、幾分か経ったのちについにコンピューターを外すことに成功した。が、ここで新たな障壁が生まれた。コンピューターを引っ張り出そうにも引っ張り出せなかったのだ。僕も星見と同じようにコンピューターに手を突っ込み、二人でまるで剣を引き抜くようにコンピューターを引っ張った。が、問題はコンピューターのその重量で、まるで文鎮を何十本と束ねた物体を動かさんとしているかのようだ。だがその感触から、1センチずつだろうか、この小さくも超重量のあるこの物体がゆっくりと動き始めたことがわかった。指が折れるかと思うぐらいの負担がかかっていたが、ここで退くわけにはいかないと僕の心が言い続けていた。
思い返せば、花火が見れるとて僕に何があるというのだ。そもそもなぜ星見を追いかけた。時間の無駄ではないかと思うことがいくつもある。だが、それでも僕はその選択肢を選んだ。それが、僕にとって最適解だったから。そうだと言うなら、ここで退く、諦める、その理由が見つからない。ここまで来たんだ。山頂が見えたら、あとは登るだけではないか。
数十秒後、僕と星見は空を見上げていた。背中には激痛が走っていた。地面には四角いコンピューターが倒れた状態だった。格闘の末、二人でコンピューターを引っ張り出したのだ。だが、二人のとてつもない合力の威力はすさまじく、引っ張り出したその力で後方へ勢いよくしりもちをついてしまったのだ。星見の方を見ると、彼女はただ無邪気に笑っていた。僕もつられて、笑ってしまった。何がどう可笑しいというわけでもなく、ただ二人で笑っていた。
「あぁ・・・疲れたな。」
星見は僕の方を見た。僕の身体は、言葉に自然と頷いた。彼女の笑顔が、どこかまぶしかった。
「さて、最後の作業だ。」
星見は起き上がり、再びドライバーを手に取った。僕も起き上がり、ラストスパートの作業を開始した。残っている部品の取り付けとコンピューターの接続。あとはこれだけだった。僕は星見の指示をいくつも受け、それに応じパーツを渡したり部品を分解したりした。気づけば僕は時間を忘れるほど作業に没頭していた。時計を見ればもうすぐ約束の時刻ではないか。だが、そんなことを気にする心配はなかった。
「出来た。」
星見はそう言うと、興奮した様子で童のように目を輝かせ、装置のボタンを操作し始めた。ついに装置が完成したのだ。待ち合わせの時間までまだ10分ほどある。それまでには装置の修理完了は目前だ。よく見れば装置から黒煙のようなものが上がっている。が、これが正常な状態らしい。彼女が操作をするたび、装置がうなりを上げていく。僕はただ見守るしかなかった。一挙手一投足が釘付けなった。
「・・・掛け声は?」
「え?」
星見の言葉に僕はあっけにとられた。
「たまや」
彼女は間髪入れずにそう言った。その次の瞬間だった。
とてつもない轟音が辺り一面を震わした。その音や否や大気だけでなく身体すらも大きく震わせるほどのエネルギーがあった。巨大な火球が空高くへ昇ると、宙で静止し、そして大きな花となり流星群のような火花を散らして彼方へ消えていった。僕は息をするのも忘れて、その光景を見ていた。
「こりゃ想像以上だな。」
「うん・・・」
誇らしそうな口調でしゃべる星見の顔は、満面の笑みだった。僕は喜びよりも嬉しさよりも、その音その光景何もかもに圧倒されていた。
「カメラ、持っておくべきだったな。」
星見が笑顔ながらも哀しさを交えたような表情を浮かべた。
「カメラ?」
僕が聞き返した。
「今までスマホ一台あればカメラなぞいらないと思っていた。が、今スマホはあいにく持ってないし、これをスマホで写すにはあまりにも勿体ない。一眼レフをあれだけ欲しがっていたあいつの気持ちがようやくわかったよ。」
星見はそう言った。星見の言う通り、あの花火は一眼レフのような立派なものでないと、撮るのが勿体ないと言うものだった。いや、肉眼でないと、あの花火の華麗な様はしっかりとは映らない。脳裏に焼き付けなければ、きっと後悔するだろう。
「そろそろか。」
星見が僕の手をいきなりつかんだ。どこかへ連れて行く気か、と思ったが僕の腕時計を見たいだけだったらしい。星見の手はやはり冷たかった。
「君に逢えてよかったよ。」
次なる花火を打ち上げようとしているのか、装置のうなりが再び強くなってきた。それと共に波の音も大きくなってきた。16:00前後は波が高まる時間帯だ。だが波は大きな白波を立てるほど激しかかった。
そして瞬きをした次の刹那、その波は高く昇り、僕を包み込んだ。星見の姿は、そこで見失ってしまった。
僕の目は、遥か遠くまで広がる青い天井を見つめていた。どことなく僕の身体は濡れている。口の中には塩の味が広がっていた。廃墟群の建物の群れを風が通り抜け唸る音が響き渡った。意識がまだはっきりしない。僕は一体どうしていたのだ。寝ていたとでもいうのか?まだ浮世の気分でいると、得も言われぬぬくもりが頭から背中にかけてじんわりと広がるのがわかった。僕の視界がはっきりとした途端、僕は驚いて飛び起きてしまった。
「目が覚めた?」
かなり前に聞いた声。声の主と僕はまじまじと見つめ合ってしまった。彼女だ。間違いなく、彼女だった。そうだ。しだれだ。僕はしだれの膝の上で寝ていたのだ。
「・・・どうしてここに?」
僕は混乱しながら質問した。僕は時計を確認する。集合の時刻から5分経っていた。
「どうするもこうするも、私は集合時刻の5時間も前からここにいたのだよ。廃墟群探索が楽しくてね。驚いた?」
茶髪の天然パーマをなびかせ、彼女はそう話した。僕は呆然とし、もはや驚きもしなかった。それよりも、しだれのその姿にどこか見覚えがあった。それもほんの少し前の記憶がそう言っていた。波の音が再び響いた。その瞬間僕は思い出した。そうだ。僕は星見とここで。だが、星見の姿は見当たらず、ただ錆びついた装置が中央に変わらず鎮座するのみだった。あの装置は本物。だが星見は?僕はしどろもどろのまま立ち上がった。唐突に花火の音が聞こえた。大きく身体を揺さぶられるようなあの音だ。だが花火らしいものは打ち上がっておらず、空高く上がっていたのはひょろひょろとした光の線だけだった。
「頭を強く打っていたみたいだね。波に足を取られたんじゃない?ここは波が高いし。」
しだれはそう言った。気づくと僕の身体は濡れていた。それと同時に頭がどうしようもなく痛いことに気が付いた。僕は波に足をさらわれ、頭を強打したというのか。僕は半分納得できない状態であったが、渋々事実を受け入れた。
「それにしても・・・これに巡り合えるとは、ね。」
しだれは感慨深いようにそう言った。しだれはポーチから何かを取り出した。その刹那、僕は脳内のピースが全部合わさったのを感じ取った。彼女が手に取ったのは、一眼カメラ。パシャリと一枚撮る彼女に、僕は考えるより先に口から言葉を出していた。
「あのっ。・・・星見って人を君は」
「知ってるよ。」
僕としだれの間を風が吹き抜ける。波の音と風の音だけが、時間の流れを伝えていた。あとはすべて、時間が止まったかのようだった。
「星見に会った?」
しだれはそう言った。僕は静かに頷く。
「・・・そっか。」
しだれは僕を見てすべてを察したかのように、顔を少しうつむかせると再び顔を上げ話し始めた。
「星見は私のお姉ちゃん。機械いじりが好きで、頭脳明晰スポーツ万能。ちょっと変わってること以外は、絵に描いたような欠点なしのすごい人。」
しだれはそう語った。彼女のその手が少し震えていること、僕はそれに気づいた。
「廃墟群に頻繁に出入りしては、がらくたを漁って、それで変な機械を作って見せてくれた。廃墟群の花火の話を聞いて、もしかしたらお姉ちゃんが作ったものかもしれない。そう思ったの。まさか花火の正体がこれとは思わなかったけど。まぁこれもれっきとした花火か・・・。」
しだれは装置に触れてそのほこりを払った。僕は彼女の方へ歩み寄った。彼女の一挙手一投足から、すべてを察した。
「去年の夏だった。先天性の心疾患でね。ちょうどあの一本橋のところで倒れてるのが見つかったの。病院に運ばれたんだけど、それっきり。何度か入院してたこともあったから、いつか何かあるかもしれないって覚悟はしてた。だから私はそんなに悲しくなかった。お姉ちゃん向こうで元気にしてるかな、って。それだけだった。」
そろそろお盆が近い。僕と星見が会ったのは、もしかすると必然だったのかもしれない。彼女なりの未練があったのか、少なくとも僕に出来ることは全部やれたと思う。あと出来る事と言えば何か。僕は考えた。そして、たどり着いた。
「ねぇ。花火見てみない?でっかく咲くやつ。」
僕はそう言った。
「花火・・・今?」
しだれは口を開けたまま、ぽっかり棒立ち状態になった。さすがに唐突すぎただろうか。
数分の時が流れる。時間が止まったかのようだった。何の音もせず、凪の時間。次の一言をしだれが発するまで、いきなりスイッチがオフになったかのように、時間は止まっていた。
「見れるの?大きな花火」
「多分。このマシンは昔からある。星見はこれを直して、僕に大きな華のような花火を見せてくれた。今度は僕が、これを動かす。」
その一言に、僕は確かに応えた。
「見たい。花火。」
「まかせて。」
僕としだれのこの会話は、確かに止まりかけた時間を、再び動かしたのだった。スイッチが入った、そんな瞬間だった。
僕は星見がやっていた通り装置のふたを開けた。装置のギアはきれいに整備されている。ただ操作ボタンらしきものを押しても動く様子がない。よく見てみると、ギアがうまくかみ合わず回っていないようだ。僕はさっそくドライバーを探し作業に取り掛かろうとした。
「これ使う?」
しだれはカバンから何かを取り出し、僕に渡した。ドライバーだ。星見が渡してくれた、あの赤い宝石のような柄をしたドライバー。僕は手に取るとドライバーでねじを回し、ギアの調節に入った。
「使いやすいでしょ。お姉ちゃん自分で選んで買ったいいドライバーなんだって。」
「お姉ちゃんには感謝しないと、だね。」
僕は無意識のうちにしだれに少し微笑んだことを、数秒経って自覚した。それにしだれが応え、微笑んだことも。
ギアをかみ合わせ、一部のパーツは鉄の塊から再び取り出し、星見がしていたことすべてを見様見真似で行った。しだれも手伝ってくれた。軽快な作業ぶりに僕は至極感心してしまった。やはり妹なだけはある。一つ一つ直されていく様は、まるでパズルのようだった。装置の電源を入れ、あとは壊れていそうな部分を直すのみだった。
気づけば地平線はオレンジ色に燃え上がり、空はディープブルーを帯びてきた。もう日没の時間帯か。僕はドライバーを置き、ボタン操作に入った。大量のボタンとレバーを一つずつ操作し、額を流れる汗もそのままに、作業に没頭した。二人でやれることは全部やった。あとは神頼みだ。
「いけっ」
僕は思わず掛け声を言って赤いボタンを押した。これが恐らく起動ボタン。押すや否や、星見がやった時と同じ、エンジンの唸りが一帯に響いた。その音はまるで産声のようだった。僕もしだれもその声に圧倒された。
「ねぇ。掛け声は何がいい?」
僕はしだれに訊いた。しだれは僕と違い即答した。
「たまや、かな。」
「それでいこうか。」
エンジンの唸りがさらに大きくなる。星見は見えているだろうか。聞こえているだろうか。確か君は花火はロボットたちの弔いだと言っていたね。それならこれは、僕からの君へのメッセージだ。
あの時僕の手を取ってくれてありがとう。どうかお元気で。
「たまや」
「たまや」
赤い閃光が線状に昇り、空高くへ舞うと一凛の巨大な花を咲かせ、そして散った。その刹那は音となり、周囲に響きそして消えた。僕もしだれも、花火にただ全身で見惚れるのみだった。次なる花火は間髪入れずに打ち上がり、そちらは大小さまざまな小さな花を空いっぱいに咲かせ、そして消えていった。何度も何度も花火は打ち上がり、すべて違う花を咲かせ、そして消えていった。まるで幻想のような、夢のような花火が、刹那の間に一輪また一輪と色鮮やかに咲き、空を埋め尽くしていくのだった。
「こっち向いて」
しだれが僕に向かってそう言った。彼女の手にはカメラが握られている。僕はどうポーズしていいかわからなかったが、とりあえず自分の思うポーズをした。花火が開花したその刹那シャッターは切られ、その一刻は写真に刻まれた。
「ねぇ僕も撮っていいかな。」
僕は思い切ってそう言った。しだれは笑顔でカメラを僕に渡し、可憐なポーズをして僕のシャッターを待った。数秒の間が空き、花火が打ちあがるその瞬間に僕は全神経を向けた。花火が開花したその刹那を、僕はシャッターを切って写真に焼き付けた。
花火を背に僕としだれは撮った写真を確認した。花火も人間も、その場から切り抜いたようにきれいに映っていた。僕が撮ったしだれの写真も、感心するほどに美しかった。
「あれっ」
「えっ」
僕としだれは声を上げてびっくりした。二人で写真を見ていると、いきなりシャッターボタンを押していないにも関わらず写真が撮影されたのだ。恐る恐る写真を見ると、そこにはこのカメラでは撮っていない、撮れるはずのない僕としだれが花火を見る様が映っていた。まるでオカルト、ポルターガイストと言うべきか。だが、その主はすぐにわかった。
「ここ見て。」
「あっ」
しだれは花火の装置の横を指さした。僕としだれともう一人、茶髪の天然パーマをなびかせた少女が映っていた。白衣をまとい、その顔と言えば、遠目で分かりづらかったが確かに微笑んでいたのだった。得も言われぬ感情、胸の奥から熱い何かを感じた。花火はきっと、彼女に届いたであろう。しだれがさりげなく目元をぬぐったのを見て、僕も思わず目頭をぬぐった。
まるで儚き夢のような、どこか浮世離れした花火が、空に咲き乱れていた。僕らはその花火に思いをはせ、この花火の夢が終わるまでずっと、眺めるのであった。
花火がフィナーレを迎え、最後の菊の大きな花火としだれやなぎが打ち上ると、装置は止まり、花火の終わりを告げた。僕としだれは、花火の装置の中にドライバーを一本置いた。いつか誰かがこの花火を見たくなったとき、このドライバーで装置を直し、その花火を見てほしいから。日が落ちれば暗くなるのも早く、廃墟群から出るころには、外は夕日の残滓を残してあとは暗闇そのものであった。しだれは僕に自転車に乗せてくれと頼み、僕はそれに応える運びとなった。2人で菊の咲き乱れる場所で手を合わせると、自転車に乗ろうとした。僕の自転車のかごの上には、菊の花が2本、そしてなぜかギアシャフトのようなものが一つ、上に乗っかっていた。あたりを見渡せど、その主は見当たらなかった。しだれを後ろに乗せ走り出すと、以前とは比べ物にならないほど、自転車は軽快に滑り出した。機械いじりが好きな星見からのお礼であろうか。ただしギアボックスだけはどうにもわからなかった。しかし僕には一つ見当がついた。いつかしだれと一緒に花を手向けに行こう。星見と、花火の心臓となってくれた、あのロボットに。廃墟群を背に、僕は自転車をこぐ。波しぶきは、どこか僕としだれを見送るような、そんな音を響かせるのだった。
近頃、廃墟群にまつわるある噂がささやかれている。ある時間ある場所に行くと花火が打ち上るというのだ。しかしその真実を知る者はまだいない。
僕としだれと、星見を除いては。
夢花火 FUDENOJO @monokaki-gamer
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