第7話 禍津守の秘密_3
その夜、拓真は不思議な夢を見た。
黒い霧の中を歩く麻衣。彼女の周りには白い布が舞い、彼女の目は鏡のように光っていた。拓真は彼女に向かって叫んでいたが、声は届かない。麻衣はどんどん遠ざかっていき、やがて霧の中に消えていった。
次に現れたのは、別の女性だった。麻衣に雰囲気はよく似ているが、髪は短く、紅い。そして大人のようだった。その女性も、白い布を手に持っていた。彼女は拓真に向かって何かを言っているようだったが、言葉は聞こえなかった。その代わり、拓真の右目に鋭い痛みが走った。光が眩しく、彼は目を閉じた。
そして夢の中に、コトハの姿が現れた。彼女は不気味な笑みを浮かべながら、拓真を見つめていた。
「人間は面白いわね……」
その声が、拓真の耳に残った。
目を覚ますと、拓真の右こめかみがズキズキと痛んでいた。「目」の力が勝手に活性化しようとしているようだった。彼は深く息を吐き、右腕のミサンガを強く握りしめて意識を落ち着かせた。
枕元の時計を見ると、まだ明け方の4時だった。しかし、もう眠れそうにない。彼は起き上がり、机に向かった。ノートを開き、思いつくままに情報を書き出し始めた。
「魔」── 黒い霧のような存在。人の負の感情に反応する。普通の人間には見えない。
「神降ろし」── 魔を祓うための儀式。白い布を使い、自分の体に神を降ろす。代償として自我が薄れていく危険がある。
「麻衣」── 神降ろしの儀式を行う少女。「神の器」と呼ばれる存在。先代は「詠」という人物で、自我を失ったらしい。
「晴人と鈴音」──「麻衣」の仲間。「麻衣」と同じ集団に居て、「麻衣」を守ろうとしている。
「目の力」── 人の本質(靄)が見える自分の能力。二年前から始まった。魔が見える力とも関係がある?
「コトハ」── 赤いワンピースの少女。実は魔の可能性が高い。なぜ自分に近づいたのか?
拓真はこれらのキーワードを繋ぐ線を引きながら、全体像を把握しようとした。そして彼の持つ「目」についても、どうしてもこのこととは無関係だとは思えなかった。
ただ、過去の記憶をいくら呼び起こしてみても、最後にあの旧神社に行った時のことは思い出せなかった。
***
翌日、拓真は約束の時間より少し早めにパークホテルに到着した。
ロビーのソファーに腰掛け、周囲を見回した。彼は真実を知りたかった。自分の力、麻衣のこと、そして二年前の記憶について。一日かけて疑問点を整理したノートをめくり、頭の中で復習する。
「こんにちは。早いわね」
振り返ると、鈴音が立っていた。彼女の表情は柔らかく、微笑んでいた。
「こんにちは」
「晴人は?」
拓真は尋ねた。
「少し遅れるわ」
鈴音は拓真の向かいの席に座った。
「麻衣の様子を見ているの。あれから少し良くなったけれど、まだ弱ってるからいろいろと準備をしてるわ」
「そう……ですか」
「彼は麻衣を守るためなら何でもする人だから。あなたが彼女に危害を与えるとは思わないけれど、彼は心配性だから」
『麻衣!』
と怒号を挙げながら詰め寄ってきた先日のショッピングモール、そして旧神社の晴人を思い出し、拓真は苦笑いを浮かべた。
「それで、何か思い出した?」
鈴音が話題を変えた。
「短髪の女性……ですか。いたかもしれませんし、いなかったかもしれません。でも、黒髪の長髪の女性はいたかも……、いや、これももしかしたら勘違いかもしれません」
拓真は言い淀みながら正直に伝えた。結局、何も進展はなかった。あれから、もう一度記憶を辿り、書き出してみたものの、どれも曖昧なままだった。
「そう……」
鈴音は落胆したような表情で俯いた。
「すみません……」
「いいのよ。あなたのせいじゃないわ。それに、無理に思い出させることが必ずしも良いとは限らないもの」
「……?」
拓真は一度開きかけた口を閉じ、不思議そうな表情をした。
「いえ、なんでもないわ。気にしないで」
鈴音は優しく微笑んだ。その表情には、どこか諦めのような寂しさが浮かんでいた。
「まるで秘密結社みたいですね」
鈴音は小さく笑った。
「そう言われることもあるわ。でも、私たちがしていることは、この世界の均衡を保つための必要な務めなの」
「均衡?」
「昨日、2年前って言っていたわよね?」
拓真は首を縦に振った。
「私と晴人、そして詠は2年前にもこの街に来たことがあるわ」
ぽつりぽつりと思い出すように、鈴音は語りだした。
「二年前の冬、この町では異常な魔の発生が続いていたわ。通常、魔は散発的に現れるものなんだけど、あの冬は異常だった。まるで何かに操られているかのように、集中的に現れたの」
鈴音は当時を思い出すように目を閉じて、大きく息を吐き出した。
「詠は彼女は何度も神降ろしを繰り返し、多くの魔を祓ったわ」
鈴音は続けた。
「詠は本当に才能ある神の器だった。でも、いくら才能があるといっても、神を何度も降ろすことで、彼女の自我は徐々に薄れていったわ」
拓真は息を呑んだ。彼の頭の中に、断片的な記憶が蘇ってきた。短い黒髪の少女。白い布を持ち、光に包まれた姿。
「そして、ある日」
鈴音の声が低くなった。
「詠は特に強大な魔と対峙した。昨日あなたがあそこで見たものよりもはるかに強大な自我を持つ魔。彼女はすべての力を振り絞って魔を祓ったんだけど、その結果……」
少しだけ間を置いて、鈴音は続けた。
「私たちの前で彼女は消えた。私たちの目の前で……まるで幻だったかのように」
「そんなことが……」
鈴音は辛そうに頷いた。
「人間外の力に触れすぎた結果、詠はどこかへ消えてしまった。今でも彼女がどこにいるのか、私たちには分からない」
話を聞きながら、ずっと拓真のこめかみはチリチリと痛むような感覚に襲われていた。
「異界と呼んでいるけど、実際は存在が希薄になって私たちが認知できていないだけなのかもしれない。今も彼女はどこかで生きているのかも……」
鈴音の目にはうっすら涙さえ浮かんでいた。その様子に、嘘や冗談は一切感じられない。これが事実であるということを物語っていた。
「もし、魔が見える君なら何か見てないかなって思って――――」
「俺、もしかしたらその詠さんっていう人のこと見たことがあるかもしれません」
「本当⁉」
鈴音は前のめりになった。
「どこで見たの?いつ頃の話?」
「確証はないんですけど……」
そう言って拓真は夢で見た記憶を呼び起こした。先ほどから曖昧だった部分、ぼんやりとした視界の中に見えた黒い影のようなもの。それは間違いなく今まで見たことがないもので、そして、なぜか懐かしい感じがした。
「短髪で、髪は……赤味がかった黒色で……冬なのに軽装で……」
「間違いないわ!詠だわ!」
鈴音の顔に笑みが浮かんだ。
「もし、もし、どこかで詠を見かけたら、必ず私に連絡して!」
鈴音は興奮した様子で、拓真の手を握った。その手を握る力の強さから、彼女の情熱と期待が伝わってきた。連絡先を交換し、鈴音から詠という人物の写真が送られてきた。
なんだかこういったことをしている人がこういった電子機器を使っていることが少しだけ面白かった。
「でも……やっぱり麻衣ももしかしたらその詠さんのようになってしまうかもしれないんですよね」
「そうかもしれないわね。でもそれが私たち、君の言い方をするなら『秘密結社』の役目よ。それにそうならないように私と晴人がいるわ」
「――――」
何かを言おうとして口を開きかけた時、ロビーの入り口に晴人の姿が見えた。
「本当に来たんだな」
相変わらず無愛想だが、幸い拓真に向ける敵意や警戒心は薄れていたように見えた。
「麻衣に会わせてほしい」
拓真は真剣な眼差しで言った。晴人と鈴音は再び顔を見合わせ、晴人がゆっくりと頷いた。
「いいだろう。ただ、少しだけだ」
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