第16話 動き出す歯車
自室に入った瞬間、鼓動が聞こえるほど強く、早いリズムを刻みだす。
考えたら親父や姉貴以外からの電話なんて勧誘以外ほとんどしたことがない。
演劇のことだとわかってはいても、普段通り話せるか不安が込み上げてくる。
「もしもし、セリフの件だったな」
「そうだけど、真千田君てお姉さんがいるんだね」
「姉貴のことはいいから」
俺が嫌がるのを楽しんでるのか、星咲はクスクス笑ってばかりだな。
今日は厄日とでも思っておくか。
キャスター付きの椅子に腰掛け、オレンジ色に光るデジタル時計に目を向けると、十九時になったところだった。
「きっと困ってるだろうなって思ってたんだけど、もしかして迷惑だった?」
「迷惑だなんてことはない。実際セリフは何も思い浮かばないからな」
「その割には普段と何もかわらないね」
「セリフが浮かばないだけで今焦っても仕方ないしな」
焦りはなくとも漠然とした不安だけが胸につっかえているといったほうが正確だろう。
これが当日になれば緊張に変わっていくのかもしれない。
「私は緊張してるんだけどなぁ。こうして真千田君と電話してるからかな」
「俺と電話したくらいで緊張なんてしないだろ。冗談はさておき、電話をしてきたってことはセリフに関してアドバイスをくれるんだろう?」
「直接セリフに関してはないけど、アドバイスにはなると思うんだよね」
「それは心強いな。やっぱりヒロイン役がどういうアプローチをかけてくるかわからないと、野獣は動きようがないから何もセリフを固定できないんだよ」
野獣は武術でいうところのいわば後の先で、相手の動き次第のところがある。
こちらは基本動かず、相手のアプローチに対してどう動くかという臨機応変さが求められる役だ。
「その前に真千田君は彼女いるの? いないなら私と付き合ってくれない?」
星咲の声からは冗談のような軽さは感じられない。
至って真面目な雰囲気がスマホ越しにも伝わってくる。
少し頭が混乱しそうだけど、ここは真剣に答えておいたほうがいいだろう。
「どういうつもりか知らないけど、俺は星咲のことをまだよく知らないんだが。星咲も俺のことを知らないだろ」
「でもどういう人かは知ってるつもりだし。それに付き合ってからでも知ることは可能でしょ?」
「ありがたいけど、そこはやっぱりもう少し時間をかけたいところだな。付き合ってから幻滅されても困る」
「そんなことないって。それに時間をかけてたら他の子に取られちゃうかもしれないし」
「俺はそんなにモテるような男じゃないから心配いらないぞ」
おかしい……どうしてこんな話を続けているんだ?
そもそも星咲がこんなことを言い出すこと自体不自然すぎる。
「真千田君は自分の魅力に気づいてないんだよ。そうじゃなかったら、私以外にも娘役をやろうとはしなかったはずだし」
「なあ星咲、これは演劇になんの関係があるんだ?」
「あっ、やっぱり気付いた? 野獣にもこうやってアプローチしていこうと思ってて、真千田君が突然告白されても対応できるかなって」
「で、合格だったのか?」
「今の返事なら野獣になったつもりでやるだけでいけるんじゃない? 何度かアタックさせてもらえるみたいだし、そこで野獣の心に変化が出れてくればいいと思うんだけど」
そういうことなら素の状態でもいけそうだ。
「でも俺が全然違う返事だったらダメだったろ」
「真千田君なら大丈夫だろうな~って」
「だったらもし俺が告白を受け入れてたらどうするつもりだったんだよ」
「え~それ聞いちゃう? そのまま付き合っちゃうのもよかったかも」
言い終わったあとで笑いを堪えているような、嬉しそうな感じがスマホ越しに伝わってくる。
どこまでいっても俺をからかうことをやめないな。
「あまり男の心を弄ぶ行為は感心できないな。俺は平気だけど、こういうので傷つく奴もいるんだぞ」
「ごめんなさい。全っっ然弄ぶつもりなんてなかったんだって! ホント傷つけたなら謝るから。ほらっ、その気がないならこんな話するわけないし……」
相当焦っているとみえる。
言い訳が最初のやりとりに戻っているだけなんだが、星咲本人は気づいてないっぽい。
それが面白すぎて笑いを堪えられない。
「ちょっと、どうして笑うのよ」
「星咲が焦ってるのが面白すぎてな——すまん」
「じゃあお互い様ってことでいいよね?」
「そうだな。これでお互い様だ」
星咲のおかげで野獣のセリフは都度対応できそうだ。
ならこちらも星咲に土産を渡してやる必要があるな。
たぶんこの演目において核となる部分、野獣が置かれている状況について前もって統一しておけば演劇が成功で終わる確率が高いはず。
「野獣が心を閉ざした理由だけど、今ので思いついたことがあるんだけどいいか?」
「聞きたい! 真千田君が考えた理由ってどういうの? きっと納得できる理由なんだろうね」
そんなに期待されるとハードルが上がって話しづらくなるんだが。
魔女の手から街を救った野獣が、人々から恐れられるだけでそこまで心を閉ざすのは少し説得力に欠ける。
そこに相応の理由がついてこそ娘役の動きも核心を突くものになるはずだ。
そうでなければ野獣が心を開くというハッピーエンドからは程遠い内容になり、話に厚みをもたせられなくなる。
「街を支配していた魔女を討伐し、その魔女の呪いによって野獣の姿になった主人公。恐ろしく醜い野獣になった主人公を人々は畏れ、あからさまに距離を置いた。その中で唯一距離を置かなかったのが婚約者。野獣はそれだけで救われていたんだが、結局彼女もまた野獣の姿になった男の見た目を憂い、陰で別の男を作って騙していたんだ。その婚約者がある日突然主人公の下からいなくなってしまったという話でどうだ? 心の拠り所だった者まで見た目だけで主人公を捨てたことで、主人公は人々を信じないどころか絶望や恨みにも似た感情を持ってしまったという設定だ」
「メッチャ重いね。私はもっと主人公が自ら心を閉ざした方向で行くのかと思ってたけど、野獣の純粋な愛情が壊れた感じなんだね。これはヒロイン役も本気にならないと上手くいきそうにないかな」
ちょっと理由が重すぎたか。
でもそれくらいじゃないと簡単に心を開いてしまうことにもなりかねない。
俺の性格で人間を拒み続けると考えれば、これくらいの理由はほしくなる。
「でもいいんじゃない? みんなには私から伝えておくから、そっちの方向で独白の部分も考えていいと思うよ」
「——ありがたくこの設定で進めさせてもらうよ」
人々が憎い、でも愛したい、葛藤の中で自分という存在を曖昧なものにしてしまった野獣。
どうしてまだ生きているのか、わかってはいても目を背け続けてきた話。
俺が演じられる野獣があるとすればそういうものな気がする。
「練習はしたほうがいい?」
「大まかな流れだけ裏方と合わせて、あとはぶっつけ本番でいこう。そっちのほうが生きた演技ができそうだ」
「了解! 今日は忙しい時に電話してごめんね。次は暇な時間に電話するから、じゃあね」
しれっと次も電話してくることを宣言して切ったな。
まあ気分は悪くないし別に構わないが。
「ヨ~タ~ご飯まだ~?」
リビングからのものと思われる姉貴の声がここまで響いてきた。
そういや夕飯の準備中だったな。
「終わったから今から行くよ」
しつこく詮索してきたら一品減らしてやろう。
大人しく待ってるようなら気合を入れて作ってやるか。
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