終章「拝啓、今は亡きお母様」

鬼退治

 登校してみると、上履きが無くなっていた。


「…………」


 来客用のスリッパを借りてぺたんぺたんと、いつも以上に平たい音を聞きながらえっこらえっこら階段を上っていく。


 いつもの時間に登校したはずなのに、教室は妙にざわついていた。嫌な気配を感じながら扉を開けると、五、六人くらいの視線が一斉に僕に突き刺さる。


 女生徒がたむろして楽しくお喋りに興じていたようだった。げんなりして目をそらそうとした時、中心に、一人だけ派手に髪を染め上げた生徒と、一際美しい黒髪の生徒を見つけた。


 無論それは、更上と、心見。


 上手くいったのか。

 安堵しつつ、自分の席に目をやる。


 花が飾られていた。


「────」


 気付いた瞬間、どっと背後で笑い声が上がった。今までせき止めていた物が一気に溢れ出したような、例えるならダムが決壊したような笑いだった。


 振り返ってみると、更上と心見の取り巻きが二人を僕から隠すように立っていた。その取り巻きの女生徒は、嫌な笑みを浮かべながら、見せびらかすように何かを掲げている。


 靴だった。靴だった物だった。それは最早原型を留めてはいなかった。ボロボロすぎて気付くのが遅れたけれど、よく見ればそれは僕の上履きだった。

 ズタズタに引き裂かれ、足を保護する機能を失ったそれを靴と呼ぶべきか否か迷っていると、女生徒はそれを華麗にゴミ箱にシュートしてみせた。


 そしてまた、どっと笑う。


「ああ、そうか」


 これがイジメか。

 まあ母親には言えなくとも、友人には言えることもあるか。いや、或いは僕がやったみたいに、適当な理由をでっちあげたのかもしれないな。なんにしろ、更上も馬鹿じゃないんだからこれくらいは予想しておくべきだった。


「おい久遠」


 椅子に座る僕を、取り巻きが見下ろす。はて、この娘の名前はなんだったかな……内心で首を傾げていると、唐突に平手打ちをかまされた。ご丁寧にガーゼの貼ってある右頬である。めちゃくちゃ痛い。


「っ……」


 平手打ちをした彼女は、そのまま僕の胸ぐらを掴んで、ドスの利いた低い声で言った。


「誰かに言ったら承知しないから」


 ああ、なるほど。随分大胆だと思ったけれど、確かに自分より立場が下の奴に姿を隠すこともないか。脅せば済むことだもんな。


 ふと、心見や更上とした桃太郎の話を思い出す。

 鬼も人も犬も雉も猿も霊異で、だから鬼は容易たやすく退治されてしまう。

 僕はそれを聞いた時、納得して、納得しなかった。


 鬼がやられる理由は分かったけれど、それから一つ、分からなくなった。


 誰も彼もが霊異なら、だったら鬼は、なんで退治されなきゃならなかったんだろう。何が理由で、彼は迫害されたんだろう。悪かったから、だろうか。鬼だから彼は、物を盗んだり人を傷つけたりしたんだろうか。それとも物を盗んだり人を傷つけたりしたから、彼は鬼になったんだろうか。


 どちらにしろ僕はこう思う。

 人と犬と雉と猿が仲良しだったから、鬼は退治された。鬼という仲間でないものを退治するから、彼らは一致団結したのだと。


「言わないよ」


 彼女は何か気味悪いものでも見たかのように、露骨に瞳を揺らした。


「……相変わらず、何考えてるか分からない奴」


 吐き捨てて、名も知らぬクラスメートさんは、乱暴に僕を放した。

 彼女達は更上と心見の元に戻って、何も無かったかのように談笑を始める。


 これ以上何かされては堪らない。欠伸をしながら教室を出る。屋上にでも行くかな。


「何考えてるか分からない……ね」


 それはごめんよ。もし僕が普通だったら、笑っていたと思うんだけど。


 良かったね、心見。友達、出来たじゃないか。

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