覆される前提

 なんだかバツが悪くて、誤魔化しのために口に放り込んだ料理は、やっぱり冷えていて、大層不味かった。


「僕の役割はただそういう『モノ』の存在の確認と、データの収集。君達に話したのは、データに正確性が求められるから。確かに危険だと判ずればそれなりの処置をさせてもらうことも有るけれど、何度も言うように、君達には何もしないよ。君達にはなんの問題もない。人では無い『ナニカ』なんて仰々しく言ってはみたが、君達は間違いなく人間だよ」


 そのつもりは無かったが、それこそ嘘だった。


 「玉響神社」がどれだけ由緒正しいかは知らないが、血が薄まり過ぎている。水より薄い。むしろウラミちゃんに力があるのが不思議なくらいだ。多分心見家の霊能力の由来は「サトリ」ではなく、術師として培った人間的技術なのだろう。


「だから呪。君のせいで、ウラミちゃんが危険に晒されたなんて事実はないよ」


 「安心して」 なんて口が裂けても言えないけれど、それでもこの言葉で、彼女は安堵したようだった。怯えも恐怖も、この期に及んで他人の為。心見呪という人間は、出自なんかに目を向けずとも、十二分にオカルトだ。


「話は終わり」


 知りたい事は、もう知れた。


「ほら、食事を続けよう。他はともかく、鍋が冷めるなんて事態だけは避けようじゃないか」


 バレないように口の中で息をつく。いつウラミちゃんが飛び掛ってくるかと気が気ではなかった。心見が抑えてくれて、実の所本気で助かった。


 ウラミちゃんと真正面から戦いになれば、僕は負ける。多分。


 派手なパフォーマンスと口八丁で誤魔化してはみたが、僕自身に目立った戦闘能力はないし、経験もない。女子中学生と男子高校生の身体能力差でなんとかやれるかもしれないけれど、真正の術師……つまるところ霊能力者は身体能力を向上させるすべを持っている。祓い屋として活動する彼女と、霊異の存在を知っているだけの僕では全くものが違うのだ。


 傷を治した符も僕が用意したものじゃないし、残りも少ない。厳密に言えば符ですらないらしいけれど。曰く「三枚の御札・レプリカ」 ……それそのまま昔話に登場する願い事を叶える三枚の御札、それを人工的に作り出したもの、らしい。


 僕の身を守るためと渡して貰ったものの癖に、無料じゃないんだよなこれ。おまけにべらぼうに高い。一セット三枚でのみ購入可能で、僕のアパートの家賃の三倍以上する。もうちょっとまけてくれ。女子中学生に勝たせてくれ。


 喉が渇いてグラスに手を伸ばすけど、そういえばさっき倒れたんだった。中身がない。


 「お茶を貰えるかな?」 と、僕は、安心しているのか、放心しているのか、或いは未だに恐怖が抜けていないのか、僕には判断のつかないウラミちゃんにグラスを差し出した。


 今日は随分と話したな。まあ、これ以上は特に話す必要も無いだろうと、淡々と冷え切った料理を食べ続ける。


「……ねえ久遠くん?」

「うん?」

「君、もしかしてその霊異のデータ収集のために、私と親しくしていたのか?」


 僕は黙ってお茶を飲み干した。

 ここで「違う」と即答できない自分の欠陥に内心で嗤って、実際どうなんだろうと考えた。

 正直、心見の話を聞いた時点で霊異絡みだろうと疑いを持ったのは確かだった──そうして考えて、考え込んで、すぐにやめた。


 そうして出た結論はどうせ嘘に決まっているし、どう答えるのが正解かなんて誰にだって分かる。それにその口にすべき言葉が、本当だという可能性を残しておいた方が、救いが有るだろうから。


「違うよ」


 僕は言った。言うべきことを、嘘か本当か分からないまま。


「君と僕の関係は変わらない。これから先も僕は君の挨拶に挨拶を返すし、下らない話に花を咲かせる。確かに『サトリ』の調査という目的は遂げたけれど……それは本当のところ目的なんかじゃない寄り道だし、だから君との時間は、手段じゃない」

「うん、そっか」


 心見は泣きそうな顔で微笑んだ。

 感じるべきは罪悪感だったのかもしれないけど、それでも僕は「良かった」と思った。


「嫌な事を言ってしまった。ウラミちゃんも、不安にさせたね。ごめんよ。僕はいつも、人との付き合い方を間違える」


 間違いついでにもう一つ。もう一つ、間違いを。


「最後に聞きたい。タタリちゃんをああして閉じ込めているのは、何のため?」


 力のある彼女を神様として祀り上げて……つまりは、ふうじるのではなくほうじて、神社全体の……心見一家の力とするためか。それとも。


「タタリのためだ」


 心見は即答した。誤魔化しも韜晦とうかいもない、真っ直ぐな瞳だった。


「タタリを守る為だよ」

「それだけ聞ければ十分だ」


 何からかなんて、聞くまでもなかった。


「だったら、一つアドバイスを」


 少女心からじゃなく、老婆心から。これが妹思いの君達に、僕ができる最低限にして最大限だ。


「今度この家に、僕の師匠が来る。言い訳になるけれど、僕が何かしたからじゃない。僕がこの家の秘密を暴いたからじゃない。あの人は勝手に、いつの間にやらこの家の秘密を解き明かして、或いは殺し尽くして、君達を見定めにやってくるだろう。でも大丈夫。さっき言った通り君達はどこまでいっても人間だから。人間には優しい人さ。特に可愛い女の子にはね──でも絶対に、タタリちゃんには会わせるな」


 シンと空気が張り詰めた。僕が何を言っているかすぐに分かったからだろう。僕がタタリちゃんをどう見ているかが、分かったからだろう。

 君達は間違いなく人間だ──この「君達」に、タタリちゃんは含まれていない。


「じゃあそろそろお暇するよ」


 手を合わせて立ち上がる。


「美味しかったよ。こんなに暖かい食事は、久し振りだった」


 見送りの言葉は無かった。





 首を短くして詰め襟に深く顔を埋める。マフラーでも着ければ良かったと、やや季節はずれの思考をしてポケットに手を入れると、何か固いものを引っ掻いた。スマホだ。画面をつけると、白く着色された息が照らされた。時刻は二十一時を回ったところ。


 少し歩いて、神社前のバス停の時刻表を見る。とっくのとうに最終便は発車していて、どれだけ近道をしても追いつけそうになかった。


 元より分かっていたことだったから溜め息も出なかった。まあ、考え事をするのに徒歩という移動手段は悪くない。


 不良な僕には、このまま真っ直ぐ家に帰るという選択肢はなかった。


 目的地は墓地。ケルベロスと人骨が現れ、冥界の門と成り果てた、奧間住民の行き着く先。心見姉妹がかかずらう、煩わしい、オカルトの跋扈するミステリーゾーン。

 僕の予想が正しければ、今夜が山場。そして恐らく、タイムリミット。


 僕は何も無意味に心見姉妹を虐めていたわけじゃない。二人が認めた以上、サトリの話はまるきり本当で、僕が霊異を調査する役割を負っていることも嘘じゃない。


 しかし本当に知りたかったのは結局のところ「墓荒し」の真相で、それがオカルトによるものか人の悪意によるものかを探る為の最後のピース。


 嘘によって暴かれた、心見の嘘。いやさ、嘘ならぬ勘違い。即ち。


 

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