屋上での会話

「ふ」


 心見がくすくすと笑った。彼女の本心とは裏腹な、大人しいお嬢様然とした見た目に即した、口元に手を当てた上品な笑い方だった。僕の醜態がツボにはまってしまったらしい。


 ……落ち着かなければならないのは僕も同じか。


 深く呼吸する。溜息の側面が無い深呼吸なんて初めてしたかもしれない。負の感情の混じらない呼吸すらも初めてだったかもしれない。


「一体いつから僕はこんなに良い人っぽくなったやら」


 独りごちる。

 落ち着いてくると気分が落ち込む。いつも通りに。


 そうだ、弁えろ久遠無雲。お前はそんな風には生きられない。


「それで、その後どうだった?」

「ああ、ケルベロスとかの話かい? どうもこうも無いよ」

「どうもこうも無い」

「もちろん解決したわけではないよ。正確には、解決したわけではないと思うよ。発生が深夜だからね、昨晩何かがあったとて、連絡があるのは今日以降だろう」

「そうか」


 悠長なことだ。人骨云々はともかくとして、ケルベロスの方は明確な攻撃力があるように見受けられたが……少なくとも昨晩の時点で、迷惑も何も考えず、体裁も何も整えず、体面も何もかなぐり捨てて深夜に泣き付いて来なかったということは、本当に何も無かったか、或いは急ぐほどの脅威では無かった、ということだろうか。


「ウラミの力を信じていないわけでは無いけれど、魂鎮めでどうにかなるような問題では無いだろうね。昨日私達が話していた通り冥界の門が開いているのなら。本人的にも手応えがないらしい」

「両親はなんて?」

「ウラミ……と、私と久遠くんに一任するってさ」

「待って、なぜ僕も入っているんだよ」

「君が解決に乗り出したから?」


 そもそも両親に僕のことを話したのか。


「仲良くなれたのが嬉しくて……」


 上目遣いで「違う?」などと問われては、否定しづらかった。僕は良い人間ではないけれど、積極的に誰かをいじめて喜ぶサディストでもなかった。


「ふむ」


 恐らくはウラミちゃんよりも力の強い霊能力者であろう両親が何も言わないのなら、それほど今回の件は不味いものというわけでもないのだろうか。それともウラミちゃんが僕の想像よりもよっぽど強い力を持っているのだろうか。


「ああ、それはウラミが強いんだよ。両親は当然ウラミより霊能力者として成熟しているけれど、大規模な怪異に立ち向かう際には外部からも協力者を呼んでいる。単独でその類を祓う力はウラミの方が上だ」

「ウラミちゃん、凄いんだな」


 うーむ。我が妹が誇らしい。


「あと両親は久遠くんに至極期待していたみたいだよ。『私達よりもよほど人間を見るのに長けている』ってさ」

「心を読める一家にそれを言われる程じゃないよ」


 身体が重い。重力じゃなくて重圧で。グラヴィティじゃなくてプレッシャーで。  


「あ、もうこんな時間か」


 心見の言葉に腕時計を見ると、確かにそろそろ昼休みが終わる頃。彼女は僕のが菓子パンに口をつけていないのを目ざとく見つけて、心配そうな顔で見上げてきた。


「これあんまり好きじゃないんだよね」


 自分で買っておいてなんだが、好きで買ったわけじゃなくて懐と相談した結果こうなっているから、栄養補給以上の意味を持っていない代物で、ほとんど動かずに過ごしていた僕には無用の長物だった。


「じゃあ、はい」


 心見は少し残ったお弁当を僕の口に放り込んだ。目を白黒させている僕を気にすることなく、次々とおかずを詰めて、「お腹いっぱいだから」 なんて笑う。


「どう?」

「信じられないくらい美味しい」

「ふふ、ウラミに言っておくよ」


 丁寧に弁当箱をしまって、心見は去っていった。


「お腹いっぱいなんて……嘘つけよ」 


 ハンバーガー三つとその他をぺろりと平らげるような子が、弁当一つで満足するか。

 貸しというか、弱味ができたような気分だった。そもそも菓子パンが消費できないという問題は解決していない。


 溜息を吐いた瞬間、かちゃりと音がした。


「あん? 久遠?」


 顔を上げればそこに更上がいた。太陽の下だと、彼女のブリーチされた髪は殊更に眩しい。


 彼女は眉間に皺を寄せ、スタスタと意志の強そうな足取りでこちらにやってくる。かしゃん、と大きめな音を立てて、僕のようにフェンスにもたれて座った。自然、隣り合うようになる。


「こんな所で何してんの?」

「いや、こっちの台詞だけれど……ご飯は?」

「とっくに食べ終わったよ」


 取り巻き、もとい友達の姿は見られない。こんな昼休み終了間際に屋上まで来た理由は、


「煙草でも吸いにきたのかい」

「……悪い?」


 図星か。

 取り巻きも連れずに来たのは、そういうわけね。


 奧間みたいな狭い界隈でも、普通に煙草って買えちゃうんだな。或いは別の方法で手に入れたか。


「いや別に。法的に言えばそりゃあ悪いんだろうけど、個人的に思うことは特にない。自分の事なんだから、好きにすれば良いさ。副流煙がどうとか言うほど、健康に気を遣っている人間でもないしね」

「はは。久遠、お前結構悪い奴な」 


 いたずらっ子のように笑いながら、更上はスカートのポケットから手を出した。どうやら吸うのは止めたらしい。


 まあ、どちらでも良いのは本当だけれど、少なくとも倫理的には吸わない方が良いに決まってる。


「共犯な」

「……おいおい、君、誰にも言っていないような事を僕の前でやろうとしたのか?」

「良いじゃん別に。お前友達いねえし、誰も信じねえだろ。知ってる? この世で最も深い関係は、共犯者なんだって」


 いえーいと拳を向けてくる更上に力無く応じる。


 しかし共犯だから親密というのは、突発的にやってしまった罪悪を偶然目撃していた大して親しくもない奴に「おっ、俺達親友だよな!?」と言っている感じで、よろしくないな。


「心見と何話してたん?」

「映画の話。内緒だよ」

「あっは! 秘密の共有、共犯者な!」


 愉快そうに笑いながら、更上は立ち上がった。


「用事なくなったし戻るわ。久遠も遅れんなよ」

「うん」


 ひらひらと手を振った。

 再び誰もいなくなった屋上で、ごろりと寝転ぶ。

 菓子パンを食べる気力も湧かず、また、今日は随分と心地の良い陽気で、僕は程よく眠かった。授業もまともに受けていないのに。


「……ふむ」


 午後の授業の欠席が決定した。

 無遅刻ではあるが、僕は欠席も早退も、欠課も多いのだった。


「主にサボタージュで」


 独りごちる。


「全く、どっちが不良なんだか」


 これもまた、独り言だった。

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