墓荒し
巫女と妹とその姉
人間、足りていない物は様々あって、それを埋めていくのが人生の醍醐味、というか楽しみというものなのだろう。寛容さだとか希望だとか幸福だとか曖昧なものに始まって、細分化すると物質になっていくそれら人生の目的は大体お金に行き着いてしまうから、人間社会というのは実に効率良くできていると思う。
高校生にして早くも一人暮らしを営む僕に必要なのも、つまるところは欠けているのも大体はお金で、地価がびっくりするほどに安いこの
おまけに学校まで遠いと来た。選んだのは自分なれど、毎朝一時間は歩かなきゃ学校に辿り着かないというのはどういう了見だ。
という感じでつらつらと言い訳を並び立てて学校とは逆方向に足を伸ばして今日も今日とてお寺に隣接した墓地で散歩をする僕だった。つまるところはサボタージュ。高校生ではあっても健全な高校生とは名乗らないあたりがミソ。
目的地というか、散歩の折り返し地点はいつも奧間町民の多くが眠る寺院墓地の端。やんごとなき事情により久遠家の墓に入る事を許されなかった母は、こうして最期の時を迎えた奧間に独り静かに眠っている。
「サボりの口実にされたら母さんは怒るかな……そんな人じゃないか」
母を亡くして半年足らず。教員にサボりの理由を追求された時に「墓参りをしている」と言うのは中々に効果的だった。
実際のところは学校に行くのは面倒くさいし、家に篭っているのも性に合わないし(サボっている感が強すぎてソワソワする)、という、なんともしょうもない理由なのだが、こうして綺麗に掃除して手を合わせに来ているのだから全くの嘘というわけでもない。嘘を信じさせるコツは虚実を織り交ぜることと言うが、全く実にその通りだ。
ここの住職さんは田舎だからか(偏見か)僕みたいな不良にも寛大な人で、堂々と詰襟で平日の朝からこんな所にいる僕を咎めてきたりはしない。時折色々と話しかけては来るが、説法を聞かせるのは僧侶の仕事の一貫なのだろう。
「まあ別に、人生に絶望しているわけでも勉強が苦手って訳でもないんだけどね」
独りごちる。
さて、今日はどうやって時間を潰そうかな。改めて学校に行くような豪胆さも誠実さも僕は持ち合わせていないし、先立つものも無いから遊び呆けることもできないし……と、思案しながらなんとはなしに墓地中央の大きな
巫女だ。
見間違えるわけもない白と緋の特徴的な装束を纏った少女が木の根本で踊っている。ゆったりと、だけれど鋭く、何かを祈るように。
最近流行りの動画配信の類かと思ったけれど、撮影機器は見当たらないし、何よりその表情があまりに真剣だった。
真っ直ぐな黒髪を雅に纏め、薄い色の瞳を精一杯に開いて、あどけなさの残る頬を固めて唇を引き絞り、玉のような汗を浮かばせている。あれが遊びの類ではないことは誰の目にも明らかだ。間違いなく本物の巫女だろう。
しかし、はて。ここは神社ではなく寺院だったはずだけれど。神仏習合極まれりということかな?
重ねて、はて。見るに僕よりも年若いけれど、そうなると彼女は高校一年生、ないしは中学生となるわけだ。学校はどうしたんだろうか。
「……僕が言えたことじゃないか」
察するに僕のような能動的サボりではなく、必然性に駆られたそれのようだ。芸能人というのは仕事でよく休んだりすると聞くし、きっと彼女もそうなのだろう。巫女と芸能人を並べ立てられるかはともかく……あ。もしかして本物の巫女じゃなくてローカルのアイドルだったりするのかな? 可愛いし伝統的だし、年配の方々にも人気が出そうだ。「フレッシュ巫女☆ナントカちゃん」ってところでどうだろう。
「ん?」
それか或いは暇を持て余した僕の願望の表れとか……果たして巫女さん趣味なんかあったかと、自分の性癖を掘り返していると、いつの間にやら「フレッシュ巫女☆ナントカちゃん」が目の前まできていた。
桃色に色付いた頬と、小さな唇を浅い呼吸で震わせながら、生来のものだろう眠たげな瞳で僕を見上げている。近くで見ると尚幼い。僕の身長は平均程度、それで胸元くらいまでしかないんだから、多分高校生じゃあ無いな。
「えっと、何か用かな」
「あなた、良くないもの?」
「うっ」
首を痛めそうだと思って屈んだ瞬間、額を引っぱたかれた。威力はなかったが油断をしていた僕を怯ませるには十分な一撃。
勢いのままにごろりと転がる最中、視界に入ったのはよく晴れた青空と不思議そうな顔の少女。それらは影になってすぐに見えなくなった。
「……お札?」
僕には眩しすぎる太陽を遮っているのは、前髪じゃなくて紙切れのようだった。見ればそれには有り難い文言が書かれている。さっきは叩かれたのではなくて、これを貼り付けられたらしい。
「あれ、人間」
「それを疑われたのは久しぶりだな」
「こ、こら、ウラミ! 何やってるんだ!」
キョトンとした顔で首を傾げていた巫女ちゃんは、突如として聞こえてきた声にハッとすると、緩慢に腰を折り畳んだ。
「ごめんなさい」
「うん、大丈夫だよ」
知らないおじさんか何かにやられたならいざ知らず、可愛らしい巫女ちゃんのやることだ、そう目くじらを立てるようなことではあるまい。
僕としてはそういうスタンスだったのだが、先程の声の主はそうもいかないらしい。
振り返るとセーラー服の女の子が背まで伸びた黒髪を尾のように振りながら駆けてくるところ。
近づいてくるに連れてその容貌が分かってくる。肌は白く、手足は長い。女子にしては背が高い方だろう、全体的に至極均整の取れた身体だ。足も速い。長い睫毛の下の瞳は大きいが、黒縁の眼鏡の向こう側にあった。
多分、この子の姉だろう。美人姉妹だ。何とは言わないが、良いと思うよ、そういうの。
「ご、ごめんなさい! 普段は良い子なのに……」
僕達の目の前までやってきた彼女はそのまま勢い良く頭を下げた。置いていかれた髪がふわっと広がる。
「ちゃんと謝ったか? ウラミ」
「うん」
「大丈夫、大丈夫。可愛らしい巫女ちゃんに引っぱたかれるなんて良い経験をしたよ。今日の僕はツイてる」
「え?」
ヤバい、滑ったか。
昨今、こういうナンパな台詞はご法度になっている。冗談として捉えて貰わないとあっという間に前科がつく、世知辛い世の中だ。
不思議そうに、或いは怪訝そうに僕を見つめるセーラー服の少女は、ややあってから、
「……久遠くん?」
「うん? 確かに僕は
「どこかでって、君ね」
苦笑しながら彼女はスカートの片裾を摘んでみせた。健全な、いやさ、不健全な男子高校生たる僕の視線は否応なしに吸い寄せられ、そして気が付く。
「ああ。同じ高校に通っているんだ」
「君、相変わらず他人に興味が無いんだな……うん。君と学び舎を同じくする、更にはクラスまで同じくする、
「分かる?」と、問われては簡単に「知るか」とも言い辛い。
いや、実のところ顔と名前は記憶の中のそれと一致しているのだ。この容姿だ、彼女はそれなりに目立つ。
しかしこれをそうと言っていいものやら、僕の頼りない記憶では確信が持てない。
「心見さん、クラスでの様子と違ってえらく喋るね。君の声を聞くのは授業以外じゃ初めてだ」
「うっ」
良かった、合っていたらしい。
そう、心見呪──彼女は良く言えば物静か、悪く言えばコミュニケーションに難がある子だ。
俯く仕草が異様に多く、ぽそりぽそりと授業で答え、妙に護りたくなるような、じれったい雰囲気を振り撒く少女、それがぼくの中の彼女のイメージ。
「な、なあに。猫被りというやつだよ。この見た目だと大人しそうだのなんだのと勝手なイメージをつけられがちでね。思春期特有の彼等の妄想による期待を裏切るまいと努力しているのさ。亡い女を想うと書いて、妄想と読むのだよ久遠くん」
「ふうん、大変だね」
「冷たっ」
気のない返事。いや、無いのは興味か。
元々薄ぼんやりとしていたイメージだ。いくら崩壊しようがこねくり回して直してやればいい。粘土細工と相違ない。
「ふっ、あはは」
「なんだい巫女ちゃん。僕達の漫才が面白かったかい」
「ううん。強がるお姉ちゃんが滑稽で」
「滑稽」
姉に言うことじゃないだろ。
「ただ人見知りなだけの癖にね。本当は寂しがり屋のお喋り好きなの。家族以外にこんなに話すお姉ちゃん、ウラミも初めて見た」
「う、ウラミ! 余計なこと言うな!」
「ふふ。ねえ、お兄ちゃん。心見は私の名前でもあるから、お姉ちゃんのことは
なんだ? 今、一部の男子の夢が叶った気がする。
「ウラミちゃん、もう一度僕の事を呼んでごらん」
「お兄ちゃん?」
「うわあ」
僕って妹萌えだったんだ。凄いや、見知らぬ美少女巫女ちゃんだったこの子が急に護るべき対象に思えてきた。
今は亡きお母様。僕に妹ができました。
「ところで我が妹のお姉ちゃん」
「私の妹なんだけど!?」
「ところで
「う、は、はい。呪です」
変なところで照れる子だな。
「君達、どうしてこんな所に? 今日は普通に登校日だよ。まさかサボってコスプレ撮影会って訳でも無いんだろ?」
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