ライフハック: 「ないこと」こそ、幸せです

伽墨

意識の低い幸福論

 幸せとは何か──そう聞かれると、多くの人は「ある」ものを数えると思います。

お金がある。才能がある。優れた容姿がある。時間がある。家族がある。

カクヨムで言えば、PVがある。読者がある。★がある。ランキング上位の作品がある。などなど。


 けれど最近、私はこう思うようになりました。「ない」に目を向けるほうが、ずっと楽に幸せを見つけられるのではないかと。


 たとえば今、この文章を書いている私は満員電車の中にいません。汗だくのおじさんに挟まれてもいません。SNSで炎上してもいませんし、見知らぬ誰かに陰口を書かれてもいません。これだけで、かなり平和な一日だと思います。

 「ある」幸せは希少で、手に入れるのが大変です。けれど「ない」幸せは、探せばいくらでも見つかります。例えば今日は、隕石が頭に落ちてこなかった。それだけでもありがたいことです。


 しかし現代人は、「ない」よりも「ある」に目を向けがちです。特にSNSの世界では、「ある」ことこそが価値だと信じられています。

 いいねがある。フォロワーがある。インプレッションがある。映える写真がある。影響力がある。

 一見するとそれらは幸福の証拠のように思えますが、実際には呪いになることもあります。


 いいねがあると、その数を減らすまいと投稿内容が縛られます。

フォロワーがあると、炎上しないように言葉を選ばざるを得ません。

インプレッションがあると、たくさんの誰かに見られている、と緊張してしまいます。

映える写真があると、もっと映えを追求しなければ、と焦りが生まれます。

影響力があると、その力の使い方について、慎重にならざるを得ません。

 「ある」は「もっとあるべきだ」というプレッシャーと隣り合わせなのです。


 そしてSNSの多くの投稿は、「ない」不安を埋めるための演出でもあります。

 リア充の写真があるのは、「孤独ではない」と証明したいから。

高級ランチの写真があるのは、「貧しくない」と思われたいから。

 自己紹介に“何者か”らしき肩書きがあるのは、「無名ではない」と信じたいからです。


 もちろん、ここまで書いておいて何なのですが、この幸福論への痛烈な一撃となる批判がどのようなものなのか、私はわかっています。

 それは、とどのつまり「ない」を肯定することは、究極の酸っぱい葡萄なのではないか?というものです。──欲しいけれど手に入らない葡萄を、「あれはきっと酸っぱい」と見なすキツネの、あの寓話です。

本当はフォロワーが欲しいのに、「炎上しない自由がある」と言っているだけ。

本当は映える写真を撮りたいのに、「時間を奪われない余裕がある」と言っているだけ。

 確かに、「ない」幸福論とは、単なる持たざるものの負け惜しみに聞こえるかもしれません。


 けれど、この負け惜しみには大いなる恵みがあります。

 承認されないことは、承認の奴隷にならないということ。

見られないことは、見られる恐怖に縛られないということ。

 SNSは「つながる」場所であると同時に、「監視される」場所でもあります。ならば、あえて目立たずにいることは、一つの自由の形でもあります。


 私は最近、SNSで「ほぼなにも投稿しない」という投稿をしています。

何も書かず、ただ空白のままの下書きが、10件。

あるいは「今日も特に何もありませんでした」とだけ書く。

もしくは、ちょっとした思いつきがあった日に「カクヨムに小説をアップしました。読んでいただけますと幸いです」と書くとか。

 反応は、ほとんどありません。いや、ゼロです。

でもそのゼロが心地いいのです。数字を気にする必要も、誰かの目を意識する必要もないからです。


 「ある」を積み上げるより、「ない」を見つけて喜ぶほうが、精神的なコストは圧倒的に低くで済みます。

恋人がいない=失恋の痛みもない。

仕事がない=朝の満員電車に乗らなくていい。

才能がない=天才としての期待や嫉妬を背負わなくていい。

 この「ない」の羅列は、負け惜しみと幸福の境界線を行き来します。


 結局、私たちは「ある」世界と「ない」世界の両方に生きています。

 SNSは「ある」を可視化し、競わせ、比べさせる装置です。

 けれど画面の外には、「ない」からこそ守られている時間や感情があります。

それに気づくことは、上を見上げても、下を見下げてもきりがない現代社会で生き延びるための、ちょっとした知恵だと思います。


 今日も私のSNSには何も起きませんでした。

 誰からもフォローされず、誰からもいいねされず、誰からもコメントされませんでした。

 でもそれは、誰のものでもない、私だけの静かな午後でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ライフハック: 「ないこと」こそ、幸せです 伽墨 @omoitsukiwokakuyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ