第8話:戸籍が告げる禁忌
冷たい風が頬を刺す。
朝の鎌倉駅前は観光客もまばらで、吐く息が白く空に溶けていった。
私はコートの襟を立て、駅から市役所へ向かう坂道を早足で歩く。
前夜、母の遺品の中から見つけた古いメモには、確かに「鎌倉市 本籍」と記されていた。
──本当に、ここに答えがあるのだろうか。
胸の奥で波の音にも似たざわめきが広がる。
窓口で申請用紙に記入し、身分証を差し出す。
係員が事務的に手続きを進める間、私は冷たい床を足先で踏みしめ、鼓動の速さを抑えようとした。
やがて渡された薄い封筒を、待ちきれずに開く。
そこに記された母の旧戸籍──。
婚姻欄に、はっきりと「高槻 正一」の名があった。
視界が揺れる。
見知らぬはずの名前が、なぜか胸の奥を鋭く締めつけた。
さらに読み進めると、離婚の記録とともに、出生欄に一人の男子の名が記されていた。
──聖司。
間違いない。
あの夜、私を抱いた男の名。
父と母が離婚した後、聖司は父・高槻のもとで、私は母とともに別々に育ったことが、そこには記されていた。
市役所を出ると、冬の風が頬を刺す。
潮の香りがほんのり混じるのは、海がそう遠くないせいだろう。
冷たいはずなのに、頭の中は熱を帯びたように混乱していた。
いても立ってもいられず、駅前のベンチに腰を下ろす。
バッグからスマホを取り出し、先日、不在着信があった番号を呼び出す。
コールの後、聞き覚えのある落ち着いた声が返ってきた。
「……はい」
──彼の元妻だ。
カフェで会ったときの声と同じだった。
「……あの、話したいことがあります」
少し息を整えてから続ける。
「できれば……仏壇に手を合わせたいんです」
一瞬の沈黙。
やがて、低く落ち着いた声が返ってきた。
「……今日でも、いいですよ」
胸の奥で、ドクンと鼓動が速まる。
私は立ち上がり、冷たい風を切るように歩き出した。
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