第11話 一面記事

 翌日の昼。後片付けを終えた後、桃子と琴子は、溜まり場の隅でいつものように、読み書きの勉強をしていた。そこに岡見が入ってきた。

「あら、熱心ね。いい事だわ」

 そう言いながら、三人分のお茶を入れようとしていた。

「あの、私がやります」

 桃子が立ち上がると、岡見はそれを制した。

「そっちに集中していなさい。早く良い女中になってもらいたいからね」

 そう言いながら、湯飲みに冷めた茶を入れていく。

「ああ、ダメだ。頭が痛くなってきた」

 桃子が両手で頭を押さえる。

「それじゃあ、休憩にしよう」

 お盆を持った岡見が、二人の湯飲みを差し出す。二人は頭を下げ、飲んでいく。そこに、戸を叩く音がした。桃子が出ると、そこには、あの女が立っていた。

「遅くなりまして……」

 そこにいたのは、出前で来ていた女だった。桃子の顔を見ると、ニヤリと笑った。

「まだいたのね。ここに入って、何日目?」

「集金でしょ。払ったらすぐに出て行って」

 桃子は引き出しを開けると、お金が入っている封筒を手に取った。端の方に、店の名前が書いてある。

「八百屋だよね。はい」

 女の胸元に、押し付けるように渡し、強引に戸を閉じようとした。

「いいじゃない。友達でしょ。もうちょっと話そうよ」

「話す事はない」

「昨日、陸軍が来ていたでしょ。なんの用事?」

 桃子は鼻で笑った。

「本当に八百屋で勤めているの?」

「陸軍を見たのは偶然。で、水野武統と何を話し合ったのよ」

「そろそろ男の人、呼ぶよ」

「そう言えば、あなたこの前まで出前で働いていなかった?」

 岡見の問いに女は、

「八百屋で働いていた人が、腰を痛めてしまったそうで。出前と八百屋のご主人たちが、仲良くて、相談したら、私が貸し出される事になりました」

「そう。それは大変ね」

「まだ慣れてなくて」

 並べ終えると、額からにじみ出た汗をぬぐった。

「少し休んでいけば。桃子、この人にお茶を出してあげて」

「……はい」

 少し低い声で桃子は言った。

「すみません。少しだけ」

 そそくさと椅子に座る女。



「そう言えば、名前を聞いていなかったけど」

「蘭と言います」

 同時に桃子は、乱暴に蘭の前に客用の湯飲みを置いた。

「ありがとう……桃子」

「そう言えば、同じ出身なのよね?」

 興味ありげに聞く琴子に対し、桃子はそっけなく、

「同じ学校でした。二人とも、生徒会長になりたくて。負けん気が強くて最終的に殴り合いました」

 琴子はお茶を吹き出す。

「ケンカをする程の仲です」

「それで、蘭さんは今、職を転々としているのね」

「はい」

「結婚はしているの?」

「いえ。未婚です」

「ここに未婚者が四人もいるのね。今時珍しいわ」

「働いている方が、幸せに思えます。自分で稼いで暮らすのも、悪くないですよ」

 と、蘭は言った。

「蘭さんも、家庭を持たずに仕事一筋でいくの?」

「私はそう決めています。いつかは自分で会社を起こして、社長になりたいですね。今のように、フラフラとしている暇はないですが」

「しっかりした夢を持っているじゃない」

「すみません、長居をしてしまいました。また」

 蘭は裏口に行こうとした。その時、桃子が慌てて立ち上がる。

「待って、まだ渡してないから」

 引き出しの中から封筒を出すと、蘭に渡した。不思議そうにもらう蘭。

「えっ……これって」

「集金に決まっているじゃない」

「ああ、ありがとう」

 そう言って、蘭は出て行った。



 その二日後、小雨が降る中、朝早く起きた桃子は、小走りで朝刊を取りにいった。箱を開き、一番上に置いてある新聞紙を広げる。一面を見てみると、大きな文字で、


「浅草旅館銃撃件。水野商事が深く関与か」


 と書かれてある。桃子はその場で読み始めた。


 〇月○日。午後十一頃。浅草の観音裏にある、旅館から男達の怒声が聞こえてきた。「てめぇら、何をしたのか、わかっているのか!」「大姐さんは二階だ!」「弾を持ってこい!」大姐さんと呼ばれたのは、女性である。この大姐が人質になった。理由は不明である。相手の人数も、今のところ、調査中。相手は二階の窓や廊下から、中に入ってこようとする組員たちを、片っ端から銃で撃っていた。組員達はそれでも、決死の覚悟で旅館の中に入り、大姐の救出に勤めている。

 この時、近隣住民達は、数時間前から店じまいをしていた。夜から商売が始まるこの地域だが、その日だけは誰も一歩も外に出ていない。

 遊びに来た客も、水野組が難癖をつけて、追い返したそうだ。

 さらに、警察の出動もなかった。言わば、警察公認の銃撃戦が数時間ほど行われていたようだ。

 発砲音が止んだのが、日付が変わって午前二時。この時、旅館の前に一台の車が止まった。中から出てきたのが、現水野商事の社長、水野武統。車から降りると、そのまま旅館の中に入っていった。それから十分後。人を抱き抱え、車に入っていったのである。さらに驚いたのが、その後ろに、猟銃を持った女性がいた。旅館の中にいた事は間違いない。その女性も、車の中に乗った。そして車は動きだし、水野の自宅へと向かっていったと思われる。

 その日の朝から、旅館は取り壊し作業が始まり、事件とされる証拠は、なくされてしまったようだ。大姐はどうなったのか。旅館に立てこもった人達と、水野との関係は? 旅館から出てきた女性は誰なのか。追って記事を書いていく。



 読み終えて畳むと、他の新聞にも目を通す。だが、この内容を書かれてあるのは、ここだけだった。

「そう……」

 桃子は、新聞を一番上に置き、館へと戻っていった。

 朝食の途中で、男の一人が部屋に入ってきた。岡見に耳打ちをする。

「えっ。今すぐに?」

「はい」

「わかった。じゃあ用意して。みんなはいつも通りの仕事をしてちょうだい」

 岡見はそう言い残して部屋を出て行く。小声で話し合う男達。

「ねえ、どうしたのよ」

「後で話す」

 食器を片付け、洗濯ものを干している時、桃子がそっと琴子に近づくと、今朝の新聞の内容を簡単に説明した。

「そう、バレたんだ。この後、どうなるの?」

「多分、水野武統は新聞に袋叩きにあう。良い餌があるからね。元鈴木商店の男で、しかも軍と繋がっている。他の新聞が黙ってはいないよ」

「でも、今までは黙っていたでしょ。もう、無理なの」

「無理。世間が騒いだら、お終い」

 突然、男の声が聞こえた。

「すみません、○○新聞の者ですが。水野武統さんに会わせてください」

 そう言いながら、平気で敷地内に入ってきた。追い払ったのは、岡見だった。

「お帰りください。あなたに会う理由はありません」

「いえ、ありますんで。中にいさせてもらいますよ」

「お帰りください」

 道を塞ぐ岡見。後ろから、強面の男達がやってきた。その姿を見て、すぐに引き返す記者。正門の方を見てみると、他にも数社の記者がいるようだった。

「面倒くさいな」

「こういう事になるのね」

 二人はすぐに洗濯物をしまい、すぐに館の中に入る。二階の溜場で洗濯物を畳むと、女性の声が聞こえた。

「ごめんください」

「あの声ってさ、蘭さんでしょ」

 琴子が言った。二人は溜まり場の裏口に行く。

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