第9話 水野とラジオ
翌朝、いつものように朝食を終えると、岡見はいつにも増して、緊張した雰囲気を出していた。
「今日の午後、陸軍の方が来られるから。粗相のないように。特に琴子。あんたは躾がなっていないから、あまり表にはでないように」
「あい」
「はい、でしょ」
「……はい」
二人は武統の部屋の掃除を終え、階段の手すりを雑巾で拭いていく。
「あと三十分で、大事なお客さまが来るから、準備するから」
「どんな人が来きますか?」
「大きな会社の人達ね。決して粗相のないようにね」
そこから、お茶の用意が始まった。
「いい、熱いお茶はダメ。年配の人が多いからね。今日は紅茶でいくわ。一番偉い人が好きだから」
「そう言うのも、覚えなくてはいけないのですね」
「そうよ」
お菓子の準備も終えた時だった。男性が戸を叩き、
「姉さん、そろそろ来ます」
岡見さんを先頭に一階の玄関へと向かった。少し経つと、車が横付けされていく。男達がドアを開け、深々とお辞儀をしていった。
「尾上さま、お疲れ様です」
車から降りてきた初老の人は、玄関へと向かう。
「頭を下げな」
岡見に言われた通り、二人は深く頭を下げる。
「ようこそ、おいでくださいました」
奥の方から、男性の声が聞こえた。すぐに水野武統だとわかった。だが、顔を下げた状態なので、ハッキリと姿が見えない状態だった。
「こちらの客間をご用意しておりますので、どうぞ」
客人たちは靴を脱ぎ、上がって来る。全員が客間に入った時、初めて顔を上げた。結局は、水野武統の姿は見られなかった。丸いテーブルを囲むように、武統を入れた、四人の男達が座っていた。
「靴を揃えて。それが終わったら、お茶を出すから」
「はい」
溜場に行き、お茶とお菓子が乗ったカートを、岡見が押していく。客間のドアを開ける。
「そこで立っていなさい」
岡見に言われ、ドアの所に立っている。水野武統の背中しか見えなかった。
「それにしても水野さん。新聞に公告をじゃんじゃん出しているね」
「うちの子たちを知ってもらう為ですね」
「やはり、鈴木商店の経験を生かしておられるのですか?」
スーツ姿の中年男性が聞いた。
「正直な話、そうですね。あの時の叩かれようは、すごかったですから。確かに、当時の鈴木商店は、儲けに儲けた。でも、正攻法で儲けたのです。そしたら、新聞記者たちに目を付けられましてね。こんなに派手に儲けているとはけしからん。きっと裏があるはずだと」
「それに、後藤先生への、政治資金もあったからでしょう。主に大阪朝日新聞が、激しかったですものね」
「そんな時に米騒動です。騒動が大きくなった辺りで、いきなり鈴木商店が標的にされましたからね。米を買いまくって、海外に売っているのではないかと。まあ、昔話はこれでおしまいです。お茶が冷えてしまう前にどうぞ」
岡見がお茶とお菓子を、テーブルの上に乗せていく。一礼をして、桃子達と一緒に下がっていった。
「この後は、ここで待機」
ドアの近くに、椅子が置いてあった。そこに座り、待機をする。話合いが行われた。
「水野さんはラジオに関して、とても勉強されているようですな」
ふと、部屋の中の声が漏れている。桃子はそっと聞き耳を立てた。
「ええ。ラジオは、新聞と違って、情報の伝達が早くて広いです」
「我々も、新聞よりも絶大な効果があると思う。そして、新聞もそれに気が付いてしまった。あいつらは、ラジオを掌握しようとしている。それでだな、私たちでラジオ協会を作ろうと思う。これに参加してくれるかい?」
「ぜひ」
「ありがとう。国は震災後になって、ラジオの重要性に気がついたみたいだ。それ以前は消極的だった。だが今は、重い腰を上げ始めている。だが、ラジオを新聞と同じように扱うのか、まだわからないようだ。今のうちに私たちが基盤をしっかりと作っておけば、なんとかなるかもしれない。水野の会社は、主に芸能関係でしたよね」
「そうですね。ラジオでできる事と言えば、音楽。後は声だけで演劇ができますね。今考えているのは、日本の歴史。古典文学の朗読。後は、若者の恋愛や仕事の相談と言った所でしょう」
「そうそう。君が加わってくれれば心強い」
「ありがとうございます」
その後も、ラジオについて話し合っていた。終わったのが、一時間後だった。
「お邪魔したね。また」
「ありがとうございました」
水野は玄関までお送りをした。その間、桃子と琴子は頭を下げていた。水野はそのまま、近くの男に耳打ちをすると、玄関を出て行く。
「じゃあ、片付けましょうか」
二人でお茶や菓子などを片付けていく。
「ねえ桃子。文字が読めたらさ。少しは人生変わる?」
「少しわね。文字が読めたら、本が読めるし、書いてある事もわかるようになるし、考え方が広がるよ」
「広がる?」
「本を読むとさ。考え方が一つじゃない事がわかるのよ。小説を読むと、他人の人生を見ているようで、自分の人生では味わえない事も、小説だと味わえる」
「難しい……新聞にも、そういうのが書かれてあるの?」
「ない」
桃子はキッパリと言った。
「じゃあ、何が書かれてあるの?」
「新聞には、男が読む記事と、女が読む記事に分かれてある。女が読む記事は、女中訓のような記事。それと、化け込み」
「化け込み?」
「商人とかメイドとかに化けて、金持ちとか客の醜い部分を、面白おかしく書くのよ」
「なにそれ、面白そう」
「あんな記事を読む人間なんて、クズよ」
桃子は鼻で笑いながら言った。
「なんか新聞にでも、恨みがあるの?」
「……ないわよ。さっさと仕事、終わらせましょ」
掃除を終えると、二人はすぐに玄関へと向かった。岡見が立っている。岡見の横に二人は並ぶと、車が数台やって来きた。男達が後部座席のドアを開けていく。岡見が深くお辞儀をした。桃子も琴子も同じ動作をした。
胸にいくつもの勲章を付けた陸軍の将校たちが、玄関に入って来る。
「ようこそ、おいでくださいました」
「話は手短に。この前の事で、海軍とも色々あるから」
桃子はここでも、武統の顔を見る事ができなかった。
「お荷物を、お持ちいたします」
岡見の声がした。桃子はお辞儀をしたまま、チラリと横を見ると、将校が持っている手提げかばんを持っている。桃子と琴子も、顔を上げる。だが、どう行動したらいいのかわからず、二人は見合わせる。
「私の後に付いてきなさい」
岡見が困っている二人に言った。二人は岡見の後に付いて行く。
「ほう、新しい女中が入ったのか」
少し前を歩く将校が、岡見に言った。
「はい。最近入ってきたばかりで。今は躾の最中でございます」
「ここも、そろそろ手狭だろ。もっと大きな屋敷に移って、客人をもてなすのか」
「それは、武統さまが考えておられる事かと」
一行は二階へ上がり、書斎へ。
「女中部屋に用意してある、お茶と菓子を持ってきて」
二人は南館へと向かい、カートにお茶と菓子を置き、再び書斎へと向かう。書斎の前にある次の間で若い兵士が立っていた。
「ここから先は、岡見さんだけだ」
「二人は、廊下にある椅子に座っていなさい」
岡見がカートを受け取り、書斎へと入っていく。
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