第22話 ルーアン

 語り マリー・アスラマハーバリ・イシュタル (ノエル・ダルク)


ルーアンに着くと聖アンデレ号には急ぎの仕事が待っていました。荷物を降ろしたらイングランドの偉い人や傷病の兵隊さんを乗せて海峡を渡ることになったのです。そして帰りは元気な兵隊さんと戦争に使う物資を積んでパリに戻るそうです。


ぼくとネリーねえちゃんは岸から離れる聖アンデレ号を大きな声で見送りました。


「ありがとお~、聖アンデレ号のみなさ~ん」


ぼくもねえちゃんも泣きました。わずか10日の船旅でしたが貴重な経験をしました。


「あたしたち、みんなのこと、聖アンデレ号のこと、一生忘れないよ~」


ネリーねえちゃんは霊体となってしまいましたが、普通に生きていたら村内に嫁ぎ、生涯ずっと村から出ずにいたはずです。感慨もひときわと思います。

すると聖アンデレ号から、


「ノエル~、 立派な領主さまになるんだぞ~」


ぼくは涙が引込み、返事に困りました。でもねえちゃんは平気です。


「あたしがついているから大丈夫~」


て、とっても元気に返していました。

ほんと、聖アンデレ号の皆さん、ごめんなさい。


さてルーアンです。パリへはセーヌ河で往来できて、狭い海峡を渡ればロンドンにも行けます。古くから栄えた街で、昔はイングランド王家の領地であり、立派な大聖堂があってイングランド王家のお墓もあります。しかしイングランド軍はゆかりあるこの街で大規模な略奪と虐殺を行いました。いまは戦略拠点として賑わっていますが、遺恨を呑んだ亡霊が至るところに見え隠れしていて、街かどにはイングランド兵が立つ、要塞の街なのです。

そんなルーアンでぼくたちはジャネットお姉ちゃんを探さなければなりません。ネリーねえちゃんは市場で情報を集めることにして、ぼくはすずめになって直接城塞を探すことにしました。大変ですがひとつひとつの窓や狭間をのぞいてまわります。そしていくつかある塔のひとつ、小さな子供でも潜れそうもない明かり窓をのぞいて見ると、薄暗い中、居ました。


ジャネットお姉ちゃんは長いスカートをはいて女の子の姿でいます。

でも手枷が付けられ、足には鎖、敷物もない床に伏しています。ぼくはもちろん中に飛びこみました。そしてすずめからノエルの姿に変身しようとしました。が、なぜか変身できないのです。何度も何度も試みましたが人の姿に戻りません。なんでこんな時に戻れないのか訳がわからず慌てふためきました。そしてお姉ちゃんはすずめがぼくだとは気づきませんので、目の前で踊るように跳びまわる闖入者に喜びました。短かった髪はずいぶんと長くなったのですが、可愛い顔は真新しいあざで痛々しくもあります。


「すずめさん、ひとりぼっちのわたしと遊んでちょうだいな」


(ノエルだよ!気づいて!ノエルだよ!)


ぼくはお姉ちゃんにまとわりついて激しく飛び回りました。しかしぼくとは分かってもらえず、代わりにたくさんの笑顔と笑い声をくれました。ぼくは差し出す手に乗ってみます。お姉ちゃんはますます笑顔です。でもぼくはすずめ姿で泣きしました。



「とうとう狂いやがったか・・・」


牢番が小窓からのぞきます。カタンという閂(かんぬき)をはずす音とともに部屋に入ってきました。ジャネットお姉ちゃんは急変します。追い詰められた猫のようにおびえ、敵意をむきだしにしました。


「すずめと遊んでやがる」


お姉ちゃんはぼくを慌てて隠します。


「笑い声が石の壁に響く、うるせんだよ!」


牢番はお姉ちゃんを平手打ちにしました。お姉ちゃんは短い悲鳴を上げて倒れました。

ぼくは怒り、牢番の顔に体当たり。爪で引っ掻き、くちばしで突っつきます。いきりたった牢番は棒を振り回し、ぼくを追いかけます。するとお姉ちゃんは牢番の足を抱え、ぼくを窓へと逃がすチャンスをくれました。でもお姉ちゃんは牢番に足蹴にされてしまいます。窓は板で塞がれ、ぼくは閉め出されてしまいました。そして中から激しい怒鳴り声が聞こえたのです。


「なめた真似を!またかわいがってやってもいんだぞ」


暴力の音と悲鳴。そしてお姉ちゃんの震える声。


「侮辱するのなら舌を噛みます。猿ぐつわをするなら壁に頭を打ちつけます」


続く怒声と暴力の音。すべてを裂くようなジャネットお姉ちゃんの悲鳴。

大事な時にすずめから戻れないぼく、大切なお姉ちゃんを助けられない無力なぼく。ぼくは塞いだ板に何度も体当たりしました。しかし破れるわけもなく、お姉ちゃんのだんだん細くなる悲鳴を聞くだけでした。


「へっ。魔女がどう死のうがかまわねえさ。すきにしろ」


扉に閂が架かる音がしたあとはお姉ちゃんのすすり泣きだけが聞こえました。



ぼくはこのような地獄にお姉ちゃんを置き続けられません。急いでネリーねえちゃんと合流しました。すると力は復活、ノエルの姿に戻れました。街を囲む城壁の内側には、ぼくの力を封じる結界が張られているようです。とにかく急がなければなりません。

合流したネリーねえちゃんの腕をとると駆け足で城門をくぐりました。ねえちゃんは駆け足のなか、息を切らしながらも教えてくれます。


「ノエル、ラ・ピュセルは最初の裁判で、死罪を免れたんだけど、また男の格好をしたって、また裁判になっちゃて、そいで反省がないって、明日の朝、火あぶりにされちゃうってよ!」


「なんで男の格好すると火あぶりになるの」


ぼくには解りません。解るのは急がなければならないことだけです。

ねえちゃんは乱れる息の中いらついて言いました。


「神様が決めた女を、勝手にやめちゃうからだよ!」


「なんで好きでもない男の恰好をしたんだ」

ぼくは泣き声になっています。


するとねえちゃんは急停止、人気のない裏路地でした。


「ノエルの馬鹿!牢屋の中で男の服をどうやって手に入れたん。どうして自分から着たん!すこし考えればわかるでしょ!男も女も身包み剥がされればその場にある服を着るんだよ」


ネリーねえちゃんはそう言うと、地面に向いてヒクヒク泣きはじめました。そして先程の牢番の話を思い出しました。


そうか、牢番たちはお姉ちゃんの服を奪って乱暴し、代わりに男の服を残していったのか。


ぼくは知りました。イングランドのやつらはジャネットお姉ちゃんをどんな手段を使っても殺したいと。それからは悔しくて悔しくて・・悔し涙でなにも見えません。手足は怒りで震え、革袋からやっとのことで呼子を取りだし、口へ運びました。そして乱れる息で吹きました。


「ズン!」

またあの大きな振動とともにケルちゃんが出現してくれました。ぼくは・・・

いえ、あの時のわたしはとても自分に素直だったと思います。


「ケルちゃん、わたしの願いを聞いて・・ひとつは塔にいるジャネットお姉ちゃんを救ってほしいの・・もうひとつはこの街のイングランド人と牢番たち、間違った裁判をした聖職者をすべて殺してちょうだい・・」


ネリーおねえちゃんがいつものぼくと違うことに気づきました。

おねえちゃんは慌てて割り込み、わたしの両肩を揺さぶりました。


「おかしいよ、あんた見習いでもお使いでしょ!」


「いいえ、おかしくなんかないわ。さあケルちゃん、殺ってちょうだい」


ケルちゃんは消えました。ケルちゃんは悪人どもを一人残らずやっつけてくれるはずです。


「ノエル、ノエル、しっかりして!」


ネリーおねえちゃんがいっそう強く肩を揺さぶりました。

わたしは樫の小枝をとるとヒッタイトの黄金棍棒に変化させました。


「ノエル、あんた・・女の子になってるよ・・」


長い髪。小さくも丸いからだに丘のある胸。わたしはノエルから薄衣のイシュタルの娘と変わっています。クスリと笑います。

おねえちゃんは驚いて一歩下がりました。


「ノエル!ノエル!やめて!怖いよ!ノエル!」


黄金の棍棒がバチバチと放電します。

おねえちゃんは腰が抜け、尻もちをつきました。

わたしは妖しく笑う邪悪なものへと変化し、破壊も殺戮もすべてを無慈悲に行うつもりで、猛烈な閃光を発した棍棒を高くかざしました。


「やつらに恐怖と死を。そしてルーアン、消えてなくなれ」


わたしは呪いを唱えたとたん、棒杭のように昏倒しました。

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