第24話 再びパリへ1
語り ネリー・ヴェネット (マリ・ド・ヴィッサン)
こいつの頭はジャンヌの最後を見てからいかれちまってる。あたしは突然狂ったように泣き笑いするノエルを、忌まわしい街から少しでも遠くへと思い、背負ってルーアンを出た。すると門外に男の子の服が "拾って下さい状態" でなぜか落ちてた。ノエルは変態したまま、破廉恥な衣を着た女のままだった。あたしは有りがたく服を拾ってノエルに着せた。
あたしも女ノエルも飲み食いしなくても大丈夫。だけど、こいつを一日背負って歩くとすごく疲れる。その上にあたしの肩は涙と鼻水よだれ、腰はお漏らしでぐしょぐしょ。村一番のかわいい乙女は変態の天使のために苦労して、運のなさを嘆いたぜ。
しかもちんけな野盗に囲まれた時にはもうさいてい。
「命惜しけりゃあるものみんな置いてきな、それからねえちゃんよう。青空の下、おれたちと楽しいことしようぜ」
こいつら馬鹿か。状況みてなんか感じないかい。
「この子はまもなく死ぬ!あたしも病気うつってる!それでもいんなら好きにしなね」
うそこいてやったら「ひぇー!」だって、ものほんの馬鹿だ。すごい勢いで逃げちゃった。で、暖かい南へ行こうとするけど必ずセーヌの河が邪魔をして、結局一か月以上もかかってまたパリに戻っちゃった。あほらし。
そんでパリの街に入りたいけど門番があたしたちをジロリ見てる。
ああどうしよう。女ノエルは相変わらずだし、こんな格好じゃ疫病と疑われて街には入れてくんないよ。(疫病=ペスト。大流行年は1+348の1348年、”ペスト(1)でみんな(3)しんじゃ(4)っぱ(8)” で憶えましょう)
あたしは回れ右して引き返した。さてはどこへ行けばいんだろ。ウロウロしてたら小っちゃなおうち発見。裏みるとあたし向きの可愛い服が軒先に干してあるじゃん。しめしめ、お馬鹿用の服もある。きっと哀れと思し召した神様が、またも手配してくれたのよ。あたしは石垣を乗り越え「右よし、左よし」と左右の安全を確認し、十字を切ってお借りした。着替えをしようと茂みに入った。小川もあるので水浴びして着替えた。
うーん、さわやか。そして間抜けなオンナオトコを裸にしたの。
じっくり見れば、へーっ、小さいけど形のいいパイパイしてるじゃん。凍えた時には、固くしたチンチンをあたしのお腹におっつけてたくせに、ちゃんと女の子になってる。あたしは汚れた股間をきれいにしてあげた。したらこいつ気持ちよさそうに「うふふっ」だって。頭きたからデコピンくれてやった。
さあ、お馬鹿と遊んでる閑はない。大至急洗濯よ。あたしは汚れた服を小川で洗って林で干した。そして乾いたらまた着替え、借りてきた服に銅貨を載せて、あった家にそっと返してきた。
でもね、やっぱりあたしたち行き場がない。身ぎれいにしてもノエルがこれじゃ絶対パリの街には入れない。門番は絶対入れてくれないよ。ああどうしよう。そんでもっていかれぽんちはヘラヘラしているだけじゃん。あたしはデコピンなんかじゃ許さん状態になってほっぺたつねった。するとなんと。
「ほえー。痛いよ、ねえちゃん」
変態してたノエルが男の子に戻った!
あたしは抱いてほうずりした。したらノエルはドギマギするだけ、いままでのことを覚えていないの、ほんと幸せもん。でも意識が戻ればこっちのもん。門へノエルを引っ張っていき、門番さんにコズ握らせてチャーミングにご挨拶、ルンルンで門をくぐったわ。
さて、いくら花の都パリでも昔は既製服を置いたブティックなんてないの。あたしは古着屋を探した。だって宿屋に泊まりたい。ふかふかでなくてもいいから洗い立てのシーツの上で眠りたい。そして安宿はいや。下品な年増と酔っ払いの巣窟は絶対にいやだ。あたしはノエルに金貨をつくらせて、古着屋でくたびれた服の代わりを探したの。ノエルの服は吊るしてあった左から三番目を選び、あたしのはとっかえひっかえして、身分に合って可愛さひきたつ服をふたつ選んだわ。(当時は身分によって服装の制限が厳しくありました)それから表通りに面した、ちゃんとした宿屋に入ったの。
「こんにちわ。迎えが来るまで何日か泊まらせて下さいな」
あたしは上品に帳場の主人に声を掛けたんさ。
主人はあたしたちをじろりと見ると、
「お嬢さん申し訳ないね、部屋はいっぱいでね」
このう、ウソこくな。使用人たち客がいなくて閑してるじゃん。
きっとあたしが可愛く清純なのでお金がないように見えるんだ。
「それは残念、次をあたりましょう」
あたしは宿屋の主人に背を向け、ノエルを優しく追いたてた。そしてノエルの革袋を逆さにした。袋の金貨があちこち散らばった。
「ノエル、お金落としたわよ」
半ぼけは訳もわからずのそのそ金貨を拾い始めたよ。
すると主人が慌てて、
「失礼、お嬢さん。二階に一部屋空いていたよ」
やっぱりお金の力は偉大だわ。
あたしたちは二階に案内されて、温かいパンとスープにありつき、パリッと乾いたシーツ、そして上等な毛布に包まること出来たの。ただしノエルは独りじゃいやだって、あたしの胸にはりついて寝た。
あたしは翌朝「おはようございます」と元気な挨拶をしてから、当座の宿賃として金貨を3枚帳場に置いた。主人はまして愛想よく見送ってくれた。
そして船着場に行ったの。聖アンデレ号が居ればみんなに挨拶とお礼がしたかった。また協力も欲しかったんさ。でも残念、聖アンデレ号はしばらくパリには戻らないって、いつ帰るかは未定とのこと。仕方がないのでこの日は服屋めぐりをした。市場を見物しておやつを買った。
何日か経つとノエルはだいぶまともになってきた。けど完全には戻ってない。口数も少ないまんま。市場や船着場、嫌だけどイングランド兵士の姿を見せれば昔を思い出すかと試してみた。けどいまいち。それでそんなこんなで日々は過ぎてしまった。
その日も広場に行ってみた。
あっ「熊いじめ」をしてるじゃない。熊いじめ、てのは繋いだ熊に獰猛な犬たちをけしかけ、熊をかみ殺させる見世物なの。今じゃありえないけど当時は人気のある見世物だったんさ。で、ノエルとあたしはこれを最前列で見物してたの。客はみんな興奮、あたしもしたよ。熊と犬のつりあがる赤い目と響く唸り声。囲む犬たちと闘うたびに増える熊の白い傷口、ほとばしる赤い血。熊と犬たちの死闘は見ごたえあるね。
そしたらノエルたら、わなわなと震え始めたの。ほんとに意気地なしねと思ったら、テクテク犬たちと熊の間に入り込み、
「だめだよ、だめだめ」と言って闘いを収めちゃった。そんで熊の繋ぎを外そうとすんのよ。
あたしは慌てたね。呆気に取られたみんなの中、ノエルの手を取って一目散に逃げたんさ。その日はそれでお終いにして宿屋に帰ったんよ。
「ノエル、あんなことしちゃだめ。みんな楽しく見てるんだから。こんどあんなことしたら、いちんち服屋に連れてまわるよ」
あたしは服屋さんめぐりが大好きなんだけど、ノエルはなぜかすごく嫌がるの。
「理由がなくても服屋には行くでしょ・・それより罪ない熊に犬たちをけしかけるなんて、やるのも見るのも悪魔の所業だよ」
ノエルの目が澄み、美しい涙をたたえているじゃないの。ああ、なんてこと。あたしは嬉しくてノエルを力強く抱きしめたんさ。
「ねえちゃん苦しい・・」
ノエルはあたしのラブアタックに降参すると、神妙な顔つきで部屋のなかをぐるぐると回り始めたの。そして言ったの、
「熊を助けに行こう」
このお馬鹿、まだ100パー正常じゃないの。
あたしはノエルに「お聞き」と命じてから、墓での出会い、船旅、ルーアンでの出来事、そしていま現在のこと話してあげたん。
そして最後に諭すように言ったの、
「ジャネットが天国で安らかでありますようにお祈りしましょ」
ノエル最初は目をパチクリしてたんだけど、最後はうっぷして泣いてたわ。そしてどんな慰めも耳を貸さなかった。
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