第8話 その時々の『寿限無』な件
私は紗音に素の状態の『寿限無』を語って聞かせた。素の状態とは独自のくすぐり=ギャグも入れていない、間も一定のリズム、あくまで淡々とした落語だ。ここに客席の雰囲気に合わせ間を入れたり、くすぐりを足したりしながら落語が肉付けされていく。
落語はその場その場の客層に合わせて形を変えていく。最初は素の状態から覚え、経験を重ねて自分なりの落語を練っていかなくてはならない。私もファンタジー落語なんてアレンジをやっているが落語の基礎があるからアレンジが活きるんだ。
先ほどの紗音の様にいきなり出来上がった完成品を真似しても本番ではウケないだろう。レベルが低いのに重い武器を使って扱いきれない様なものだ。まずはレベルに応じた武器=落語を身につけなくては。
「どう、紗音なら今ので覚えたでしょ?」
「……やってみる」
私が手本を見せた『寿限無』を一度で覚えてやってみせる紗音。学校寄席でやった色の付いたバージョンではなく今見せた素のバージョンの丸コピーだ。この子は昔から耳と記憶力がいい。だから呪文でもなんでも一度ですぐに覚えてしまう。それを自在に引き出し操る応用力が致命的に欠けていたが……。そういえば魔王の方のカノンはそれに長けていたなぁ。状況に応じてあらゆる魔法を繰り出してきて大苦戦した。
とにかく応用力のない紗音にはまずは基礎中の基礎を覚えてもらい成長してもらうしかない。それが本来の修行だしね。
「……どう? ユーシャ……シショウ」
「ああ、流石よく覚えてるね。セリフも完璧」
「これで昨日みたいに子供達が笑ってくれるの?」
「ん? 昨日私がやったみたいには無理だよ。昨日の私のは流石に10年以上の経験を積み重ねて肉付けされてるんだから。今見せたのはあくまで落語の素の状態。ここに何度も経験を重ねて落語を成長させていくの」
「んー……」
紗音はどこか不服そうだ。すぐに昨日の私みたいな落語がしたいのか。昔はもうちょっと聞き分けが良かったと思うけど子供の姿になって少しワガママになってるのかな。とはいえ落語は一から修行させなきゃ。ひょんな事から師弟関係になったけれどやるからにはちゃんと育てたい。と思っていたら紗音が何かを閃いたようにパァッと明るい顔をした。
「ねぇ、ユーシャ……シショウ。このジュゲムは次にいつやるのかしら?」
「んー、来週は3日間連続で学校寄席があるからそこでやろうかなと思ってるけど……」
「ステキ! 3日も! それ見に行っていいかしら?」
「ん? ああ、元々連れていくつもりだったから……」
「わー、じゃあそこでまた見せてね♪」
「ん、ああ。よく見ておいで」
「わーい♪」
私の言葉に紗音は嬉しそうに鼻歌を歌った。まぁ高座を何度も見て勉強するのはいいことだ。紗音もやる気になったのかな。
それから数日は紗音に繰り返し素の『寿限無』をリピートして稽古させた。完璧にセリフは覚えているけれどそれを身体に染み込ませる。
そうして翌週、3日連続の学校寄席行脚が始まった。まずはN区の小学校から。先日の学校と同じ様に体育館いっぱいに集められた子供達。先日と比べると少しお行儀がいいというか大人しそうな印象だ。こういう時は少し様子を探ってみるか……
『はい、これから皆さんには落語というものを聞いてもらいます。この中で落語を聞いたことある人はいますかー?』
私が質問を投げかけると子供達は顔を見合わせてザワつく。そして遠慮がちに少しづつ手が上がる。ノリのいい学校なら我先にと手を上げる子がいてそれにハーイハーイと続くものだ。今日はやっぱり控えめな子が多いな。こういう時は……。
『えー、皆さんにはそれぞれお名前があると思います。そこの君。お名前は?』
「え、ボク……? 田中たかしです」
『たかしくん。お隣の、右の子は?』
「私は……西村礼奈です……」
『礼奈さんね。この様にクラスの皆さんはそれぞれお名前が違いますね。私はこちらに書いてあります夕紗という名前です。ユーシャ。ゲームとかやるかな。RPGに出てくる勇者から名前付けられました。どちらかと言うとお姫様なのにねぇ』
私はすぐに落語には入らずに子供達に名前を聞き距離を詰めて、自身の名前をイジり空気を作った。少しづつクスクスといった笑いが増える。
「俺はけんしって名前だぜー」
空気がほぐれて距離が縮まったからか一人の男の子が言った。クラスのお調子ものなのかな。
『そうなんんだ。漢字は……健康の健に司ね。でも音だけ聞いたら戦う剣士みたい。一緒に魔王を退治に行こうか?』
言われて目をキョロキョロさせる健司くん。また笑いが大きくなる。まぁ元魔王が袖で見てるんだけどね。紗音は『寿限無』の勉強のためと食い入るように見ている。昔から勤勉な子だった。今日はまた先日とは少し違った『寿限無』を見せてあげるから。
『まずは寿限無なんていうのはどうだ?』
『なんですか? その寿限無っていうのは?』
『ことぶき、限り、なしと書いて……寿限無だな』
『……なるほどー』
少し違うと言っても言葉を大きく変えるわけではない。間を変えるんだ。
寿限無という言葉の前やリアクションの前に少し多めに間を取る。ほんのコンマ数秒伸ばす程度だが。その少しの間が変わる事によって反応が変わる。今回の場合は少し間を空けて聞いている子を引き付ける。そして重要なワードやリアクションを言って少しづつ落語に引き込むんだ。
『やぶらこうじの、ぶらこうじだな』
『え……ぶらぶらこうじ?』
クスクスと笑いが増えていく。やっぱり今日みたいな大人しい子達にはこのやり方ね。だいぶ子供達の気を引いたところで後半は……
『寿限無 寿限無 五劫のすり切れ 海砂利水魚の 水行末、雲来末、風来末 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助がトラちゃんの頭を殴ってコブを拵えったてのかい。ちょいっと待ってな。おい、婆さん。うちの寿限無 寿限無 五劫のすり切れ 海砂利水魚の 水行末、雲来末、風来末 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助がトラちゃんの……』
前半とは打って変わって後半はテンポ良く攻める。前半を丁寧にやって気を引きつけた分効果はてきめんだ。子供達は言い立ての度に笑い転げている。
『あんまり名前が長いからコブが引っ込んじゃった』
サゲを言ってお辞儀をし高座から降りる。舞台袖へ行くと紗音が目を丸くしていた。
「ステキ……。同じラクゴでもやり方で変わっていくのね」
「そう。お客さんは毎日変わる。その時々に合わせて臨機応変に間や語りを変えていかなくちゃいけないの。覚えは早くても不器用な紗音にできるかしら」
「ぶー、できるもん。ねぇ、明日も『寿限無』を聞かせて」
「お、やる気だねぇ。いいよ。明日はまた違う『寿限無』かもね」
次の日の小学校は大変にノリのいい小学校だった。最初からテンポよく展開しても付いてきたし大きな笑いがあった。
更に次の日は高校での学校寄席。高校生位になるとノリが悪い事も多いんだけど……
『これから皆さんには落語を聞いてもらいます』
「ウェーーーイ! 落語―」
ウェイ系でノリが良すぎた。こういう時はテンポも良くていいし遊びもできる。『寿限無』の中に若者(私も充分若者だが)にウケそうなワードを入れたりしてみた。
『なんだって? うちの寿限無 寿限無 五劫のすり切れ 海砂利水魚の 水行末、雲来末、風来末 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助の名前が長いってTikTokでバズってるって? おいおいうちの子はインフルエンザだな』
『それを言うならインフルエンサーだよ』
「フゥーおもしれー!」
上手く高校生にハマったようだ。3日間の学校寄席の最終日は大ウケで終わった。
「どうだった? 紗音」
「なんか……今日は凄かったわね」
帰り道、感想を聞くと小学生とは違う高校生のノリに紗音は圧倒された様だった。
「でも3日間見てわかったわ。その場その場で変わる雰囲気で同じラクゴでもアプローチを変えている。あっちの世界での戦闘と同じだわ。でもワタシは向こうでも不器用だったし……」
「確かにそうだったけど紗音の記憶力、勤勉さには助けられたわ。要はそれの使い所なの。何回も繰り返して、失敗して覚えていくしかない」
「んー……。ねぇユーシャ……シショウ。もっと他の人のジュゲムを。たくさんたくさん聞いてみたい」
紗音が目を輝かせて言った。本当は色々な落語を聞いてもらいたいけれどやる気なのはいい事だ。私は色々な演者の『寿限無』が収録されたビデオ、DVDを貸し与えた。それから紗音は何百もの『寿限無』を聞いて研究していた。あっちの世界でも一度凝ると呪文の研究に没頭していた。それを臨機応変に扱うのに苦戦していたけれど……。
さて、紗音がやる気になったところでそろそろ初高座にあげようと思う。最初は失敗するだろう。そこから学べばいい……と思っていたのだが……
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