第1話 批評という鏡――小林秀雄に学ぶ「自己を知る」技法への応援コメント
素晴らしい批評論でした。私は感動した作品にレビューを書く時、作者へのラブレターのような気持ちで書いています。本来的な「批評」というのはそうだったのかなぁと思いました。
ただ現在は『批判』の意味を含む「批評」と「評価」に分かれてしまって、前者のネガティブな意味を持つ言葉に置き換わってしまっているのかなと思います。
作者からの返信
感想をお寄せくださり、ありがとうございます。
「作者へのラブレター」という表現、とても素敵ですね。
まさに小林秀雄が言う「ほめるところには創造がある」という精神に通じるものを感じます。
おっしゃる通り、現代では「批評」という語がしばしば「批判」や「評価」と混同され、後者の意味だけが強く残ってしまっているように思います。
その結果、作品を深く理解しようとする営みが軽んじられてしまうのは、少し寂しいことですね。
だからこそ、このように作品への愛情を込めて言葉を紡ぐ方がいることは、とても心強く感じます。
編集済
第1話 批評という鏡――小林秀雄に学ぶ「自己を知る」技法への応援コメント
素晴らしい作品でした。僕の好きな小林秀雄論を分かりやすく説明しています。腑に落ちました。ただの人のあら捜しは、欠点のコレクションですものね。感想文だけでなく、創造文が、人を進歩させたのですね。共感します。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
小林秀雄の批評論を分かりやすく伝えたいと思って書いたので、その点を汲み取っていただけてとても嬉しいです。
おっしゃる通り、ただの欠点探しは創造の対極にあり、成長にはつながりませんよね。
批評は自己と他者の双方を見つめ直す営みであると私も信じています。
共感していただけて、本当に励みになりました。
これからもそんな視点を大切に書いていきたいと思います。
第1話 批評という鏡――小林秀雄に学ぶ「自己を知る」技法への応援コメント
突き抜けた真摯さの漂う内容でした。小林秀雄ご本人かな? と思うくらいには。
とても共感できるお話です。特に私のような自称感想書きには。
以前から私は、『批評』という字面が悪いのではないかしら? と、常々思っておりました。批の字がどうしても批判を連想させてしまうからです。寧ろ、『評論』の方が肯定的なニュアンスを持っているようにさえ感じてしまいます。実際のところ、『批評』という言葉に批判に偏った意味は無く、批判と評価双方を表す言葉らしいですね。
作品に対するコメントには、その人の人間性が如実に表れると思います。それこそ作品以上に。
創作した物語などは、言ってみれば作り話ですから、いくらでも加飾できるのですよね。書いている人の人間性など全く感じないほどに。しかし、コメントはそうは行きません、間違いなく出るんですよね自分が。いくら隠そうとしても確実に出ます、なんなら隠そうとしてることさえも分かります。
そう言う意味では、感想というのはこの上ない自己開示であり、それ自体が作品足り得るものでもあると思います。私自身、読まれない書き手ですので、せめて感想だけでもと思いつつ、作品を読ませていただいております。
長々と失礼いたしました。とても素晴らしいご意志の表明だと思います✨
作者からの返信
丁寧なコメントをありがとうございます。
「突き抜けた真摯さ」とまで仰っていただき、身に余るお言葉です。
「批評」という語がどうしても“批判”を想起させ、肯定的なニュアンスを持ちにくいという点、興味深く拝読しました。
辞書的には評価と批判の双方を含むはずなのに、その意味が伝わりにくくなっているのは確かだと思います。
私自身は、その辞書的な定義からさらに一歩踏み込み、小林秀雄が語ったような、自己をも映し出す創造的営みこそが批評の本質だと考えておりますが、その前段階としての「言葉のイメージのずれ」という問題も大きいのだと、改めて感じました。
また、コメントや感想に人間性が如実に現れるというお考えも、とても興味深いです。
虚構の物語よりも、作品に添えられた言葉の方が、その人自身を映す場合もある――確かにそうかもしれません。
改めまして、温かいお言葉をいただきありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
第1話 批評という鏡――小林秀雄に学ぶ「自己を知る」技法への応援コメント
卯柿魯安 様
はじめまして。
天音空と申します。
ご挨拶が遅れまして、大変申し訳ありません。
応援とレビューを頂きまして、本当にありがとうございます。
嬉しい限りでございます。
宜しければ、時々は小説を読みにいらして下さい。
卯柿魯安様のエピソードは、背中が伸びる思いです。
昔、某恩師より「批判からしか見えないものがある。批判がないと見えなくなるものがある」と学びました。つまり、物事を批判的に見る視点がないと、物事の事実を見抜き見極めることはできないと理解しております。それは、小林氏、卯柿魯安様の批判と共通する所があるのではないかと思います。
今後のご活躍を心より応援しております。 天音空
作者からの返信
天音空様、丁寧なご挨拶と温かいお言葉、ありがとうございます。
応援やレビューにつきましては、私が勝手に楽しんで書かせていただいただけですので、かえってお気遣い頂き恐縮です。ですが、そのお気持ちを頂けたこと、とても嬉しく思います。
「批判からしか見えないものがある」というお言葉、確かにその通りだと思います。
批判的視点は、物事を鋭く見極めるために不可欠な道具ですし、だからこそそれをどう扱うかが重要になるのだと、改めて感じました。
今後のご活動も楽しみにしております。また折を見て作品にお邪魔させていただきます。
編集済
第1話 批評という鏡――小林秀雄に学ぶ「自己を知る」技法への応援コメント
全てに共感はしますが、やはり、私は言語学的に論じたくなってしまいます。
世の中が語用論的に批評という言葉を使うのなら、新たな音韻を用いて古い批評を意味するものを、新しい単語へ付与、定義する意味論的な行いが、それによって、どちらも互いに("批評"という単語を語用的に用いる方々と批評という単語を意味論的に用いる両者)睨み合わずに過ごせるのかなと、鼻水を垂らしながら考えました……
作者からの返信
言語学的な視点からのご指摘、非常に興味深いです。
確かに『批評』という言葉の語用論的な変遷を考えると、新たな語彙や意味論の整理が必要になるかもしれませんね。
言葉の変化と共に意味を棲み分けがうまく進むことを願いたいものです。
最後に、鼻水を垂らしながらの思考、なんだか親近感が湧きます。ちなみに、私は歩きながら考えるタイプです。
第1話 批評という鏡――小林秀雄に学ぶ「自己を知る」技法への応援コメント
「批評の本質」を見事に言語化された作品だと思います。
混迷を極める現代社会において、「ことば」が本来の力と輝きを取り戻すためのヒントに溢れています!!
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
まさに「ことば」の力を見失いがちな今だからこそ、「批評」に限らず、その言葉の本質を問い直すことが大切だと思ってます。そう言っていただけると励みになりますし、これからも言葉の力を大事にした発信を続けたいと思っています。
また、本作だけでなく他の小説やエッセイについても応援くださり、ありがとうございました。本当に嬉しかったです。
第1話 批評という鏡――小林秀雄に学ぶ「自己を知る」技法への応援コメント
作家側から『批評』に関する創作論はよく見ますが、批評する側からの話は初めてで面白かったです。
『自分の感性、価値観、判断力、そして内面そのものを晒している』
まさにそのとおりだと思います。
自分の作品に書かれた批評コメントを読んで、『この人はそういう価値観なんだ』とか『若い人(経験が浅い)なのかな』と思う事がしばしばありました。そう言う場合はコメント返しにとても困りましたね。
悪質な批評は削除をしていますが、『批評』と『感想』の境目がわからず悩みます。
『この対応は変』『主人公が浅はかすぎる』などは、批評なのか感想なのか。
感想だとしても『そうですか』としか言えません。
そもそもカクヨムでは『応援コメント』であって『批評欄』でないんですよね。
『批評が欲しい』と頼まれたのならともかく、知らない人にいきなり批評されるのはね。不満の吐け口としても書いた向こう側に人が居る事をちゃんと意識してもらえたらと思います。
(あ、これは今回の創作論に対してではないです。変な批評家に対してです)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
カクヨムのコメント欄や応援コメントの場の使い方についてのご意見、確かにそういう問題もありますね。場にそぐわない形で批評めいた意見を書かれると、受け手が困るのもよくわかります。
ただ、今回のエッセイは、その運用ルールというより、「批評」という言葉の意味や本質について考えたものでした。
私は批判的なコメントそのものを否定しているわけではなく、むしろ感想や評論、肯定・否定を含め、多様な意見は必要だと思っています。
ただし「批評」と名乗る以上は、その営みの規則や精神に則るべきだ——というのが主旨です。
誤解されやすいテーマでもありますが、私が言いたかったのは「批判的コメントをやめてほしい」ではなく、「批評という言葉を正しく使い、その精神を大事にしてほしい」ということです。