仮面の箱庭
野原広
仮面の箱庭
「ねえ
「スガオニンゲン?何それ、知らない。」
「その名の通り、仮面をかぶってない人のことだよ!この間までは1区で見たって人が多かったみたいなんだけどね、最近2区にきてるみたいなの!帰り道に見かけたって子が多いみたいだから、凛音も気をつけたほうがいいよ!」
「その素顔人間に出会っちゃったら何かあるの?」
「よくぞ聞いてくれました!素顔人間に出会っちゃったらね、な、な、なあんと!仮面を取られちゃうんだってさ!素顔人間ってのはね、仮面師さんから仮面をもらえなくて、捨てられちゃった子の幽霊なんだって。だから自分の仮面が欲しくて、他の子の仮面を奪っちゃうんだって!怖いよね・・・」
高校生にもなってそんな噂信じるなんて。そんなの嘘に決まってる。でも言えない。私の仮面じゃ。
「怖いね・・私の帰り道、人があんまり通らないからなんか怖い!気をつける!」
「そうだよ凛音帰り1人じゃん!気をつけてね!」
そう言いながらまた他の子達に噂を広めにいく『おかめ』。
「ねえねえ、知ってる・・・?」
「きりーつ」
板書を綺麗に写して、先生の話を軽く頷きながら聞く。進まない時計、退屈な時間。休み時間だってまた興味のない話に愛想笑いをするだけ。みんなは飽きないのかな。
板書をとる合間合間でそんなことを考える。ふと窓の外を見ると空は薄暗く曇っていた。雨が降りそうだ。
「凛音バイバーイ!」
「うん、またね由美。」
雨が降ってくる前に早く帰らないと。私は急いだけど、大粒の雨が降り出した。家まではまだかかるのに・・・そういえば、この近くに神社があったっけ?そこで雨宿りしよう。少しずつ激しくなってくる雨の中、石段を駆け上がる。私が屋根の下に着いた時には制服の撥水加工が限界を迎えていた。うう・・スカートが足にまとわりついて気持ち悪い!
「いや〜。めっちゃ降ってるやん。ゲリラ豪雨ってやつ?」
振り向くと、神社の本殿から顔を出す女の子。
「・・・っ!?」
私は声が出なかった。
「あれ、雨宿り?めっちゃ濡れてるやん。タオルいる?」
「す・・・素顔人間!?」
由美が言ってた人って本当にいるの!?・・・って違う違う。たまたま仮面をつけ忘れた人に決まってる。
「スガオニンゲン?何それ。」
「仮面をかぶっていない人のことよ。最近この区域にいるって・・友達が。」
「あ〜多分私のことや?噂になる程人におうてへんと思ってたんやけどなあ。」
「ほ、本当にあなたが素顔人間?」
「ん〜知らんけど、多分そうちゃう?てか、中おいでよ。びしょびしょやし、寒いやろ?」
素顔人間、思ってたのと違う・・・。てか、この子何?怪しいか怪しくないかでいったら怪しいけど・・・。
「おいで!風邪ひいてまうやろ。」
女の子は私の腕を掴んで、本殿の中に引っ張り込んだ。
「ちょ、ちょっと!何するの!」
「何もせえへんよ。どうせ雨止むまでここにおるんやろ?せやったらここにおったほうがあったかいし、服も乾かせるで。髪の毛ふきや、ほらタオル。」
私は差し出されたタオルで全身を拭く。ここは小さな神社。近所の人なら存在は知ってるけど、参拝に来るような人はほとんどいない。どうやらこの子はこの神社の本殿の中に住んでいるみたいだった。逃げたほうがいいのかな・・?由美が言ってたみたいな幽霊じゃなさそうだけど。タオルも貸してくれたし、強引だけど、悪い人でもなさそうだし・・・。
「うちは
「私?・・・私は
私はタオルをカバンにかける。
「ああ。そんなんいいのに。ありがとうな。凛音は高校生?」
「そうよ。あなたも高校生?同じくらいに見えるけど。」
「せやな。うちも年齢でゆうたら高校生やで。17。高校は行ってへんけどな。凛音はいくつなん?」
「私は16。」
「誕生日は?」
「4月6日。」
「ほなうちの方が一個上やな。ちなみにうちは10月8日。」
暁は話し続けた。好きなこと、嫌いなもの。初めはすごく怪しかったけど、仮面と違ってコロコロと変わる顔は私にはないもので、引き込まれてしまった。
「凛音はうちの噂、学校で聞いたんやっけ?」
「素顔人間の噂はね。おかめが話してたから、嘘かと思ってた。」
「ほんまにおってびっくりやなあ。どお?素顔人間にあった感想は。」
「私の聞いてた噂と結構違ったから、驚いた。暁はなんでここにいるの?」
「家出みたいなもんかな?ちょっと親と喧嘩したんよ。」
「だからここにいるのね。仮面は?忘れてきたの?」
家を飛び出てきたから、うっかり仮面を忘れちゃったのかもしれない。
「あー・・仮面は、あるよ。」
「壊れちゃったとか?」
「ううん。めっちゃ無事。」
「仮面はつけないの?」
「うん。うち仮面嫌いやねん。自由に生きたいから。」
仮面が嫌いな人、私以外にもいたんだ!私は嬉しくて、驚いて。言葉が出なかった。すると、暁は扉を開ける。
「あ!雨止んだで!そろそろ暗なるし、はよ帰ったほうがええんちゃう?」
「えっ待って、私も・・」
「まあええからええから」
仮面が嫌いなの。そう言いたいけれど言えなかった。そう言おうとする私の口元を暁はそっと覆う。暁は素早く私の荷物をまとめると、私に手渡す。
「気いつけて帰るんやで!」
暁は私の帰る準備を完璧に終え、私は気づいたら本殿の外にいた。
「えっ、待ってってば。」
「ほなな。気いつけてな。」
暁は私の耳元でそっと囁き、そっと背中に手を置く。戸惑う私を置いて、暁はさっさと本殿に引っ込んでしまった。
「暁・・」
帰れってこと・・・だよね。私はカバンにかかったタオルを握りしめた。冷たい風が吹く。私は石段を降りた。
「あら凛音、遅かったわね。雨、大丈夫だった?」
「濡れたけど、雨宿りしてきたの。これ、明日返しに行くから、洗っておいてくれる?」
「わかったわ。洗面所に置いておいて。お風呂も入っちゃって。」
「うん。わかった。」
私は湯船に浸かりながら考える。私、暁に何か言っちゃったんだろうか。私と同じ考えの人、初めて見つけたのに。また会えるのかな・・。明日、タオルを返しに行った時、謝ってみよう。
「凛音、ちょっと手伝ってくれる?」
「わかった、今行くー。」
私は手の中の仮面を見つめ、つける。夜ご飯を食べても、テレビを見ても、私の心は沈んだままだった。
「暁、いる?」
放課後、私は神社に来た。昨日と同じように、ここにいてくれますように。私は祈りながら本殿の扉を開ける。
「暁、昨日はごめ・・・。」
暁はやっぱり幽霊だったの?そんなことあるわけがないのに、昨日までは少し散らかっていた本殿は綺麗に片付けられていて、昨日よりも広くなったように感じた。
「暁、暁ーー!!」
私は諦めきれなくて、色々な場所を探した。神社の周りの林の中。公園。裏路地。ゴミ箱の中。だんだん日が暮れて、暗くなっていく。もう帰らなきゃ。けれど私の足は家の方に進もうとしなかった。進みたくなかった。
「暁・・」
気がついたらすっかり日は暮れて、私は来たこともないような、2区の端の方まで来ていた。周りの家からは美味しそうな匂いが漂ってきて、道を歩いている人は1人も見当たらなかった。
「あ、雨・・」
雨粒が手に当たった瞬間、地面が暗くなる。また、暁に会いたい。私は歩き続けた。
そんなことでは諦められなかった。
「暁・・?」
小さな公園だった。植え込みに囲まれていて、真ん中に1つ遊具があるだけ。遊具の下に小さな窪みがあって、そこには見覚えのある鞄が見えた。
「暁・・・?暁!!!」
「りっ・・凛音!?なんでこんなとこに。」
遊具に駆け寄る私。すると暁は驚いたように出てきて、辺りを見渡す。私は私の仮面をとる。手が震えて、仮面が地面に落ちる。
「私も!私も仮面が嫌い!小面だからじゃないよ。私の本音だよ!」
目から何かが溢れ出す。雨とは違って、少し暖かくて、心が晴れた気がした。
「凛音・・。」
息がうまくできない。私は目を拭う。暁は私のことをそっと抱きしめてくれた。
「昨日はっ私っ、何か嫌なことっ聞いちゃったんだよね。ごめんっね。」
「違う。謝らなあかんのはうちやで。ごめん。いきなり帰したりして、今日もこんなに探させて。」
「いいのっまたっあえてよかったっ!」
「・・・ありがとう。」
暁は私の息が落ち着くまで、優しく背中を撫で続けてくれた。
「ありがと暁。もう大丈夫。」
少し冷静になって、恥ずかしくなる。私は少し暁から離れ、仮面を拾う。気がついたら雨は止んでいた。
「これ、昨日のタオル。ありがとう。」
「それ、また貸すわ。びっしゃびしゃやで。」
「・・ありがとう。」
暁はカバンの中から新しくタオルを取り出し、自分の頭を拭き始めた。私も全身を拭いた。けど、タオル一枚じゃ私たちの体はまだ濡れたままだった。
「ほんまにごめん。昨日も、今日も。」
「いいの!謝らないで。それに昨日は私のせいでしょ?」
「しっ!ごめんちょっと待って。」
暁は私の口にそっと指を当てる。そして辺りを見渡した。
「凛音、走るで!」
暁は遊具から飛び降り、鞄を掴む。私も急いで遊具を降りる。暁は私の手を掴んで走り出した。
「どうしたの?何かあった?」
「『鬼』や!巻き込んでごめん、昨日も鬼のせいなんやけど・・後で説明する!今はとりあえず逃げるで!」
鬼?何それ。私は暁に半ば引きずられるような形でついていく。暁、足速っ!!
「後ろ、何人ぐらいおるか見える?」
「後ろ?・・うわああああ!何!?」
私たちの後ろには、すごい勢いで追いかけてくる鬼の仮面を被った人たちが何人もいた。
「5人!5人ぐらいいる!」
「わかったありがとう!」
私も走るのに専念した。速くなった気はしないけど、こういうのは気持ちが大事。私達は手当たり次第に角を曲がり、細い道を抜け、進み続けた。私達は3区に入り、森に入る。さっきまで雨が降っていたから地面はぬかるんでいて走りにくかったけど、鬼たちは体が大きい分、木の隙間なんかは素早く通れないみたいで、次第に距離が開いていった。私達は洞窟を見つけたので、その中に隠れた。追いかけてきている鬼たちは見えなくなって、逃げ切ったみたいだった。
「いやあ危なかったなあ〜!」
「危ないどころじゃないでしょ!あの人たち、何?」
暁はカバンの中から慣れた手つきでブルーシートを取り出し、洞窟の中に敷いた。少し暗いけど、夜空は思ったより明るくて、暁の顔ははっきりと見えた。
「さっきのは鬼。仮面師の手下みたいなもん。」
「仮面師様の?なんで暁が追いかけられてるの?・・!もしかして、仮面をしてないから?」
私達は生まれた時に1つの仮面を仮面師様から与えられて、その仮面に与えられている役に沿って生きる。そして、その仮面の役から離れた行動をしたり、仮面をなくしてしまうと消えてしまう。鬼は、仮面をしない暁を追いかけているの?
「・・せやな。大体合ってる。1つはうちが仮面をせえへんから。もう1つは家出したうちを連れ戻すためやな。」
「仮面師様が、家出した暁を連れ戻すの?・・・!もしかして、暁の家って・・!」
「そう。うちのお母さんは仮面師。」
理解はできたけど、なんだか気持ちが追いつかなかった。驚いたけど、なんだかどうしていいかわからなかった。
「昨日、うちが凛音をいきなり帰らせたのも、今日みたいに鬼が近くにおったからやねん。鬼はうちを追いかけてくるのもやけど、仮面に反した行動をしたり、仮面をとったりしたらその人も捕まえられるから・・・。」
「だから昨日私が私も仮面を嫌いって言い出さないうちに返してくれたんだ。」
「強引やったよな。ほんまにごめん。でも、うち初めておんなじぐらいの歳の子と喋って。凛音と話すのめっちゃたのしかってん。やからうちのせいで巻き込みたくなかった。」
「ありがとう。守ろうとしてくれたんだね。」
そういうと、暁はじっとこっちを見つめた。私も見つめ返すけど、なんだか恥ずかしくなって、手に持っていた仮面を顔の前に出す。
「なんで隠すん?」
「・・っちょっと、恥ずかしい。」
暁は仮面を持つ私の手をそっと退けて、私の口の端に指をおく。そして優しく指を上げた。
「笑顔。笑うっていうねん。この顔のこと。」
私は暁に口の端を抑えられたまま黙って頷く。
「ええやん。」
暁は私の口から手を離した。
「暁も、今笑ってるの?」
「うん。笑ってる。たのしかったり、嬉しかったり、面白かったりするときはこの顔やねんで。」
「そうなんだ。じゃあ暁も、私も、今楽しいんだね。」
洞窟の中から2人で星を眺めた。すると暁のお腹がなったので、私が持っていたチョコを2人で分けた。洞窟の床は硬くて、冷たくて、いい環境とは言えなかったけど、暁と繋いだ手はすごく暖かくて、今までで1番よく眠れた気がした。
「あ。暁おきた?」
「ん。凛音、おはよう。」
私が起きて、しばらくすると暁が起きた。暁は朝に弱いみたい。私達は洞窟のそばに流れていた川で顔を洗った。
「凛音はさ、海って行ったこと、ある?」
「海?ないよ。聞いたことはあるけど。」
3区は自然がそのままになっている。。山や川、海。全部聞いたことはあるし、それぞれがどんなものかも知っているけど、本物を見たことはなかった。どの仮面にも、自然を楽しむ役は割り当てられてないから。
「うち、親と喧嘩したっていうのも家出の理由の1つなんやけど、もう1つがな、いろんなもの見てみたいと思ったからやねん。」
「暁は、海が見たいの?」
「うん。よかったら行ってみいひん?」
「いいよ!私も見てみたい。」
私と暁は荷物をまとめ、歩き始めた。森は結構険しくて、進むのに思ったよりも時間がかかった。でも時々川で水浴びをして休憩したり、生えていた果物を食べたりした。疲れたけどすごく楽しくて、私はほっぺが攣りそうなぐらい笑顔になった。
「これが、海・・・!」
「うわあ。すご・・!」
私と暁が海に着いた時には太陽はもう見えなくなりそうだった。打ち寄せる波の音は初めて聞くのになぜか懐かしい気がした。
「綺麗だね。見に来てよかった。」
「ほんまに。」
2人で砂浜に座って海を眺める。いつまでも眺めていられる。そう思った。
「ねえ、暁。暁は、笑顔をどこで知ったの?」
「・・凛音は、この壁の向こうに何があると思う?」
暁は海の向こうに高く高く立つ壁を指差して言った。私達の住んでいる世界は四方を壁に囲まれていて、向こう側を見ることはできない。というか、考えたことがなかった。この世界の外側には何が広がっているのかなんて。
「なんだろう。私、何もないんだと思う。無っていうのかな?」
「そっかあ。なるほど。」
そう言って暁は砂浜に四角形をかく。
「これが、うちらがおる場所。」
そして四角形を囲むようにして大きな円をかく。
「これが、うちらの外側にある世界。」
「・・・壁の外側には、違う世界があるの?」
「せやで。この壁のあっち側にはこの海よりもっともっと綺麗な海が広がってるし、仮面もつけんでええんやで。」
すごくワクワクする話だった。この壁の向こうに、別の世界があるだなんて。
「・・逃げようよ、この世界から。2人で!!」
この世界を出てしまえば、鬼も追いかけてこないだろうし、何より自由に生きることができる。
「それもいい・・けど、うちはこの世界を壊したい。この世界と外の世界を・・・繋げてみたい。」
「・・!すっごくいいと思うよ!私、手伝うよ。一緒にこの世界を変えようよ!」
「ええの?でも失敗したら凛音も、うちも・・」
「そんなのいいの!私、2人ならなんでもできる気がするよ!」
「凛音ぇ・・・!」
そう言って暁は私に抱きつく。勢いに負けて私達は砂浜に倒れ込んだ。
「凛音、ありがとう。うち、この世界を変える。」
「うん。一緒に頑張ろうね。」
砂浜に寝転んだまま私達は空を眺める。
『流れ星!』
星が少し流れて消えていく。私と暁はお互いに顔を見合わせて笑う。私達は海から少し離れて寝る場所を作る。いい夢が見られそうだ。
「うち、家に帰ろうと思う。」
「えっ!?帰っちゃうの?」
今日の朝、暁は目覚めるなりこんなことを言い出した。
「家出やめるってこととちゃうで。昨日うち、考えてん。この世界を変える方法。」
「ああびっくりしちゃった。どんな方法なの?」
暁は大きく伸びをして言う。
「『翁』の仮面を奪いにいく。」
「翁を!?」
『翁』の仮面。仮面師様の仮面のこと。この仮面を持つ人が仮面師様になる。基本的には代々受け継がれる物だって聞いたことがある。
「だから一旦家に帰るんだね。」
「そゆこと。今日の夜、特区に侵入する。警備とかは全然厳重じゃないけど、やっぱり捕まるリスクもある。それでも、一緒に来てくれる?」
「もちろん!私、どこまででも一緒に行くよ。」
「ありがとう。」
私達は4区に向かって歩き始めた。ここからは昨日みたいな深い森の中じゃなくて、比較的開かれたところを歩けるから、そんなに時間はかからずに4区まで行けるはずだ。
「待って暁、仮面しなきゃ。ここでまた鬼に見つかったら大変だよ。」
「おっと。忘れてた。」
私も暁も仮面を被る。仮面はなんだか久しぶりに感じて、世界がすごく狭く見えた。
「暁の仮面・・狐?初めてみた。」
暁がカバンの奥から取り出した仮面はすごく綺麗な物だった。
「すごく・・、綺麗な仮面だね。」
「ありがとう。でもなんか・・恥ずかしなってきたわ。あんま見んとって。」
そう言って仮面を手で覆う暁。私は仮面を覆う暁の手をそっと退ける。
「なんで隠すの?暁は暁なんだから。もっと見たいな。」
「も〜〜〜!!からかわんといてよ!!」
首をブンブンと横に振る暁。私は笑った。この間の仕返しだよ!しばらく歩くと農作業をする人たちが私達とすれ違うようになって、もっと歩いてようやく4区が見えてきたのだった。
「なんか思ってたよりも遠かった気いするわ。」
「ね。私も。」
私たちが4区に着いた時にはもうすでに太陽が見えなかった。
「じゃあ、こっち。」
暁が急に小声になって手招きをする。着いていくとそこは高い壁とビルの隙間で、暁は大きなゴミ袋をどかしていた。
「こっから入れんねん。」
そう言いながら暁がどかしたゴミ袋の後ろの壁には頑張ってやっと通れそうな小さな穴が空いていた。
「うちが先行く。ちょっと狭いけど、頑張って通って。」
そう言って暁は穴を潜り抜ける。
「凛音、おいで!」
私が穴を覗き込むと、穴の向こうからこっちを覗く暁の顔が見えた。私は穴を塞ぐためにゴミ袋を持って後ろ向きで穴に入る。
「よし、これでOK!もうちょっと、完全に暗くなるまでここで待と。」
「わかった。」
穴を抜けた先には植え込みがあって、私と暁は植え込みと壁の間の隙間に座る。私はこれから翁の面を奪いに行くと考えるだけでなんだか足が地面からふわふわと浮いてしまうような、なんだか自分を二人称視点で見ているような。そんな非現実的な気持ちになってしまった。心臓が胸を突き破って出てきちゃいそうで、でも頭は冷静で。そんな私の様子を察したのか、暁はそっと私の手を握ってくれた。
「いこか。」
暁がそう言ったのは、随分時間が経ってからのように思えた。
「うん。」
やるしかない。今どう動いているかわからないぐらい足の感覚がないけど、不思議と心臓の荒ぶりはおさまっていたし、今までにないぐらい頭がスッキリしていた。私と暁は植え込みの裏にカバンを置いていくことにした。
「初めはうちだけ出て行ってみる。凛音はちょっと離れたとこから見てて。もしやばそうやったら、助けて。」
「任せて!」
私達は雨樋を登ってベランダに上がる。
「ここの鍵、めっちゃゆるいねん。」
暁がガタガタと扉を揺らすと少しずつ開いていき、私達は侵入に成功した。白い大理石でできた家はすごく静かで、私達の足音だけが響いていた。
「凛音はここにいて。行ってくる。」
暁は私の手を離し、そっと歩いていく。オレンジ色の光はどうやらシャンデリアのようだ。シャンデリアの下は吹き抜けになっていて、私達の通っていた道からは1階部分が見下ろせるようになっていた。暁が階段を降りていく音が聞こえる。
「あら、帰ってきたのね。ちょこまかとにげてるって聞いたけど、気でも変わったの?」
仮面師様の声だ!私はそっと近づき、柱の影から1階を見下ろす。そこには階段の踊り場から1階を見下ろす暁と、女の人が立っていた。仮面は見えないけど・・・間違いない。仮面師様だ。
「あなたのことだから・・そうね、私から仮面を奪ってこの世界を変えよう〜なんて思ってるんじゃないの?」
お見通し!?暁も驚いたのか、足を止める。
「図星みたいね。どうしてそんなことをするの?そんな無駄なことを。」
「無駄やない!」
「あら、どうして?まああなたは知らないわよね。この世界で生まれ育ってるんだから。」
仮面師様が少しずつ暁の方に近寄る。
「余計な感情を表に出すから、争いが起こる。人に意志があるから、争いが起こる。多くを望むから、争いが起こる。この世界は争いを望まない人々、私達の祖先が作った争いのない完璧な世界。どうしてそれを崩そうと思うの?」
「幸せに・・なりたいから!」
「あら、争いのない世界は幸せな世界じゃないの?争いを知らないから、そんなことが言えるのよ。あなたは幸せなのよ。もう、十分に。」
「幸せやない!決められた道を歩いて、決められた行動をする。そんなん、幸せやない!もっと自由に、友達と話して、遊んで、好きなように笑いたい!あんたが決めた道を歩いてるうちらは全然楽しくない!」
仮面師様が動きを止める。
「楽しさだけで全てを決めないで。衣、食、住、全部揃ってる。家族もできる。友達もできる。争う必要もない。この世界は完璧よ!はあ、どうしてこんな考えになっちゃったのかしら。捕まえて!」
仮面師様が2回手を叩くと、どこからともなく鬼が現れて暁に向かって飛びかかる。助けなきゃ。私は辺りを見渡す。あれだ!!
“ガシャン!!!“
「何!?」
私は近くに置いてあった花瓶を思いっきり1階の地面に叩きつけた。仮面師様も、鬼たちも動きを止めて花瓶の方を見る。その隙に、暁は階段をかけ上がり、私に合流する。
「凛音ありがとう!」
「どういたしまして!暁、いつも仮面師様が放送をしてる場所ってどこ?私、作戦があるの。」
「こっち!」
暁について走っていく。後ろからは仮面師様の声と、鬼が私達を追いかけてくる足音が聞こえていた。
「暁、あのね、・・・・」
「・・・ええの?」
「もちろん!」
階段を駆け上がって、角を曲がる。曲がってすぐの部屋に飛び込む。すぐに扉を閉めて鬼たちをやり過ごす。
「これでスイッチは入ったはずやで。」
「カメラもうつってる?」
「バッチリや!」
「じゃあ作戦通りに。」
私は私たちが隠れている部屋のドアを開ける。辺りを探していた鬼たちが部屋を囲む。部屋を出たところで、鬼たちに取り押さえられる。
「あら、諦めたの?威勢が良かったのも最初だけね。」
そう言って近づいてくる仮面師様。
「いい、人間に感情なんていらないのよ。余計なの。この仮面の奥にしまっておくべきなのよ。」
仮面師様は私が開けたドアを勢いよく閉め、暁の仮面を撫でる。
「さっきはもう1人いたわね。どこに行ったの?」
「逃した!凛音は見逃したってよ!」
「・・まあいいわ。あなたがおとなしくなるならね。連れていきなさい。放送の後でどうするか決めることにするわ。」
鬼たちがうごき出す。仮面師様は放送室の扉を開ける。
「子供の見分けもつかへんの?うちはこっちや。」
「なあっ!暁?!」
仮面師様が扉を開けた瞬間、中から出てきた暁が翁の仮面を奪い取る。
「捕まえなさい!」
「凛音をはなして!」
鬼たちは私を押さえつけていた手を緩め、解放する。
「離すな!私の命令が聞けないの?」
「鬼は仮面師のゆうことを聞く。」
「仮面師は私よ!」
「い〜や、この仮面を持ってるうちが仮面師や。」
そう言って暁は小面の仮面を外す。暁は私の方を見てニッと笑った。
「うちはこの世界を変える。仮面なんかなくても平和な世界にしてみせる。」
「そんなこと、できるはずがないわっ!!」
そう言って暁にとびかかる暁のお母さん。暁はひらりとかわす。
「母を、連れてって。」
暁のお母さんはなすすべなく、鬼たちに押さえつけられる。
「凛音!大丈夫?痛いとこない?」
暁が駆け寄ってきてくれる。私を抱きしめる暁の腕は震えていた。
「私は大丈夫。それより仮面師様、しっかり説明しないと。」
そう言って私は放送室の方を指差す。マイクとカメラのスイッチは入れている。状況はわからないにしろ、この世界のほとんどの人たちがこの放送を見ているはずだ。
「せやな・・。」
暁は翁の仮面をつけて、カメラの前に向かう。
「うちは5代目仮面師、海野暁。」
暁は翁の仮面を外して両手で持ち、思いっきり膝に叩きつけた。仮面は真っ二つになる。
「こんな仮面、今すぐ捨てて。うちは仮面のない世界を作る。全員自由に生きられる世界を作る。ほら、あんたらも。」
暁はここに残っていた鬼たちの方を向き、仮面を外すように促す。鬼たちは最初は戸惑っていたけど、やがて仮面を外した。
「うちは、この世界の壁を壊す。」
静かな夜に、暁の凛とした声が響く。私はこれから世界がどうなっていくのか、とても楽しみになった。
暁が仮面師になってしばらくたった。
暁はあの日から忙しそうにしているけど、しょっちゅううちに遊びにくる。最近は世界を囲む壁を壊すため、調査をしているらしい。
私はあの日、特区まで迎えにきてくれたお母さんたちにとんでもなく怒られた。でも、少し嬉しかった。怒られたのは初めてだったから。
世界もあの日から少し変わった。仮面の着用義務がなくなって、仮面をつけるのも、外すのも自由になった。仮面をしていても役に縛られることはない。今でも仮面をつけている人は少しいるけど、仮面を外している人の方が多いかな。そして学校で表情について習うことになった。最近はあちこちでみんなの笑顔が見られる。暁のおかげだね。
暁のお母さんは今も特区にいるみたい。自由にすることはできないけど、少しずつ説得して、今の世界を認めてもらうって暁が息巻いてたな。
「お邪魔します!」
玄関のドアを開けて暁が入ってくる。
「暁!またきてくれたの?ご飯食べてく?」
「ほなもらおかな。」
「あら暁ちゃん。調査は順調?」
「順調です!壁を壊す日も決まりそうです!」
壁を壊す・・・外の世界とつながる日が来たんだ。ちょっとだけ不安はある。けど、
「凛音、一緒に外の世界の海、見に行ってくれる?」
暁となら、不安なんてなくなってしまう。差し出された手を取り、笑顔で頷く。
「もちろん!」
壁にかけた狐と小面の面も、少し笑ったような気がした。
仮面の箱庭 野原広 @hiro-nohara
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