第3話 海月葵
「ん……」
見慣れない天井、高さの違う枕、お日様の匂いがするベッド。
あぁ、そういえば合宿に来ているんだったか。低血圧がゆえに寝起きは頭が回らなくて困るね。
時計の針は19時40分を示していた。同期の桜子には20時に起きると伝えてある。二度寝……したら23時までは起きれなさそうだ。そうしたらあの仔犬みたいな同期はシュンとしてしまうだろう。
立ち上がってライトを付け、パソコンを起動する。こんな隙間時間は小さいゲームをやるに限る。
私は白鷺葵。インターネット上での名前は海月葵。1ヶ月前にデビューしたばかりの新人vtuberだ。
vtuberという存在は自分がなるまで未知の存在だった。とにかく私は部屋に籠るインドアな人間で、気がつけば昼夜が逆転し、運命のようにゲームにどっぷり浸かった。他人の活動を見る暇などなかったのだ。
1日は18時から20時ごろに始まり、トイレと簡素な食事以外はずっとゲーム三昧。やがて日が登ってきたら合図のように眠る。そんな生活だった。
中学・高校とまともに通うことができず、高校はなんとか通信で卒業。大学に進学することなくニートをしていた時、ゲームしながら稼げるという文言に踊って気がつけばvtuberになっていた。
人より少しゲームの才があるとはいえ、よく事務所も採用したものだ。
「焦りがあったとはいえ、よく詐欺に引っ掛からなかったものだね」
典型的な騙される人間だ。初対面の人にはクールだとかミステリアスだとか言われるけど、その実脳みそ空っぽなダメニートである。
「ん? 何かいい匂いが……」
私はミニゲームの手を止め、寝室から抜け出した。
廊下に漂う優しくて温かい香り。これはクリームシチューかな。
「桜子が作ったのか……?」
そんなバカな、vtuberになる人間は基本ダメ人間だとゲーマーたちが言ってたのに。合宿舎への道中にコンビニを見つけて「あぁ生きていけるな」と確信した私が惨めではないか。
階段を降りてリビングのドアを開ける。するとそこには甘美な景色が広がっていた。
「あっ、おはよう葵! 今グラタンを焼いているから待っててね」
「…………」
あっけに取られて舌を巻いた。
桜子は白いフリルのついたエプロンを楽しげに揺らしながら、ミトンでオーブンを開けて中の様子を確認していた。
冷静になった私はやっとの思いで言葉を紡ぐ。
「桜子は料理ができるのかい?」
私がそう質問すると、桜子は頬を髪色みたく桜色に染めた。
「で、できるというほどではないですよ? ただお料理は楽しいですし、好きなんです」
桜子は照れながら柔和に微笑んだ。
……眩しいなこの子は。デビューした時のサムネをチラッと見た時も思った。「あぁ、きっとこの子は生きている世界が違うんだな」と。だから同期なのに、一度も配信やアーカイブを見ることができなかった。
「さぁ葵は座って待っててください、すぐ持ってくるからね」
敬語が不器用に混じった言葉を使い、桜子は私を座らせた。
すでにテーブルにはサラダと野菜ジュースと思われるものが用意されており、ここにグラタンが加わるなら実家より豪華な夕食になりそうだ。
待つこと数分。ミトンを付けた桜子がグラタンを私の前に置いた。
チーズはカリカリのキツネ色に焦げており、香ばしい香りが鼻をなでる。シチュークリームは手作りだろうか、実家とは香りが違う。なんだかとても甘そうだ。
「いいのかい、私まで食べてしまって」
「もちろん! 葵のために作ったんだもん。料理苦手って言ってたからね」
「……君にそんなこと言っただろうか」
「え? 配信で言ってたでしょ?」
「……驚いたな」
きっとゲーム中に適当にコメントを拾って返答した、私自身覚えていない言葉だ。それを他人である桜子が覚えているなんて。
グラタンを3口ほど食べたところで、グラタンの味を感じられなくなった。私はどうにも喉の奥に何かつっかえるような気持ち悪さを感じ、桜子に頭を下げた。
「ごめん」
「えっ!? なんで葵が謝るの!?」
「私は君から逃げていたんだ。君と私では生きる世界が違うからと、同期であるのに壁を作っていた。君は私にずっと手を振っていてくれたというのに」
コメントの中には桜子について問うものもあった。
だけど私はそれを無視して、無いものとして扱った。デビューして1ヶ月だが、「不仲」を杞憂する者も中にはいた。
桜子は私に頭を上げるよう言った。
「私はvtuberが好き。アニメが好き。リスナーとわいわいオタクムーブするのが好き。だから先輩や葵の配信も見てたんだよ。vtuberは好きに生きてていいの。だから葵が私の配信を見ないのも自由。謝ることじゃないよ」
「…………」
眩しいな、やはり。
「でも、私は葵と仲良くなりたいんだ。葵が迷惑じゃなかったら、だけど……」
「それは……うん。私は君が思っているような人間じゃないけど……」
「えー? そうかな〜?」
「えっ?」
「ゲームが好きで、昼夜逆転しているニートで、クールって言われてるけどバブちゃんだよね」
「ば、バブちゃん?」
「ほぼ赤ちゃんって意味」
心外だ。しかし反論できない。
桜子は私の21年の人生を覗き見るように、私のことを語った。
「だから葵が素敵な人なのも可愛い人なのもちょっと抜けてるところも知ってるよ。できればだけど、今度は私を知って欲しい。私がvtuberになったのはね、先輩たちみたいに同期と仲良くしたかったんだ」
「同期と仲良く……か」
「うん! 学校の友達とも違って、昔からの親友とも違う。vtuberっていうネットの世界に生きながら、現実ともリンクした絆がある。それをリスナーさんに話すと、両方を推してくれている人が喜んでくれる。笑顔がね、どんどん広がっていくんだよ」
「それは、、、すごいね」
「あ、やっと笑ってくれた」
笑った? ……無意識だった。
でも桜子の春の陽光のような温かさに口元が緩んだのは事実だ。
「ねぇ葵、もし良かったらなんだけど……」
桜子はまた照れるような表情を見せた。
「この後、コラボ配信をしない? 1時間だけでいいの。ゲームする時間は奪わないから!」
「コ、コラボ配信!?」
「どうかな?」
桜子は上目遣いで青い瞳をウルウルとさせながら私に懇願した。
そ、そんな仔犬のような顔をされては断れない!
「わかった。いいよ。でも君の迷惑になるかもしれないけど……」
「そんなことないよ、葵と雑談するだけで私は楽しいし、リスナーさんも喜んでくれる! 間違いない!」
「そ、そっか」
桜子の不自然な敬語はいつの間にか消え
私もグラタンをいつのまにか完食していた。
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