第六章 密やかな契約

(強国ニッポン ―極右支配の未来―)


古びた地下喫茶店。

看板の電球は半分切れ、通りからは存在すら気づかれない。

防音ガラスの向こうで、街のざわめきが泡のように遠く弾けていた。


向かいに座る人物は、コートの襟を立て、帽子を深くかぶって顔を隠している。

湯気の立つカップを前にしても、一口もつけようとしなかった。


「……私を信じる理由は、まだないでしょうね」

低い声が、静かな水面に落ちる石のように響いた。


真帆はテーブルの下で拳を握りしめたまま問い返す。

「あなたは誰なんですか。選挙監視団なんて、もう存在しないはず」


「“公式”には、ね」

影の人物はわずかに口角を上げた。

「私たちは解散していません。姿を消しただけです。

 国誠党の監視下では、動くことすら罪になる」


ポケットから取り出されたのは、小さなチップ。

テーブルに置かれた瞬間、そこだけ空気が重くなった。


「これが、2030年以降の全国開票所の監視映像の断片です。

 あなたのデータと突き合わせれば――何が起きたかが分かる」


真帆は息を呑んだ。

だがすぐに疑念がこみ上げる。

「なぜ、そんな重要なものを私に?」


「あなただけしかいないからです」

その声が一瞬だけ熱を帯びた。

「あなたはまだ、“真実を見たい”と思っている。

 多くの人がそれを諦めた中で」


言葉が喉にひっかかる。

外では足音が近づき、そして通り過ぎた。


影の人物は立ち上がり、コートの裾を払う。

「今夜、旧中央図書館跡地に来てください。

 そこで、すべてを見せます」


カウンターで会計を済ませるその背中を、真帆は最後まで目で追った。

残されたカップからは、まだ湯気が立ちのぼっている―― 一口も減っていないまま。

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