第23話 お出かけしたい詩織さん



 夏休みが近づくにつれ、進路への漠然とした不安と、詩織さんへの熱い想いが、私の心の中で綱引きをしていた。


 先生の言葉は頭の片隅でまだ響いているけど、詩織さんの「ずっと一緒にいたい」という真っ直ぐな言葉が、私の進路を照らす唯一の光になりつつある。私の世界は、いつの間にか詩織さんの存在を中心に回り始めていた。


 日曜日の朝、いつものように7時にセットした目覚まし時計が鳴る前に、枕元に置いていたスマホが震えた。


 窓の外は、まだ朝の冷たさを残したままの薄い青色の光に満たされている。静けさの中、ただ振動するスマホの音が、私だけの秘密の合図のように感じられた。


『莉子ちゃん!おはよう!今日はさ、一緒にお出かけしない?』


 差出人は詩織さん。


「え……」


 その文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。まるで静かな湖面に大きな石が投げ込まれたかのように、胸の奥がざわめく。私は毎週日曜日に詩織さんの家に行くけど、休日に二人きりで私服で出かけるなんて、考えたこともなかった。まだ寝ぼけていた頭が一瞬で覚醒する。


 どう返信しようか迷っていると、すぐに追い打ちをかけるように次のメッセージが届いた。


『えっとね。夏休み前のお祝いってことで!実はね、ずっと行きたかった場所があるんだ〜』


「ずっと行きたかった場所」。その言葉が、私の好奇心と期待をさらに煽る。こんな風に、詩織さんの「特別」に誘われるなんて。


 私は急いで『いいですよ。じゃあ、10時に迎えに行きますね』とだけ返信した。


 すぐに『やったー!じゃあ、よろしくね!』と返ってきた。そのメッセージからは、詩織さんの弾んだ声が、この部屋にまで聞こえてくるようだった。その明るい「やったー!」に、私の頬も自然と緩む。


 顔を洗って、服を選ぶ。鏡に映る自分は、いつもより少しソワソワしているように見えた。今日はどこへ行くんだろう。いつも真面目な私にしては珍しい、なんとも言えない気持ちが胸を満たしている。


 服はどうしたらいいだろう?メイクは?そんな初めての感情と戦いながら準備を整え、私は10時ちょうどに隣の詩織さんの部屋のドアをノックした。


「詩織さーん、迎えに来ましたよー?」


 中からは返事がなく、代わりにバタバタと何かが倒れるような物音と、慌てたような声が聞こえてきた。


 数秒後、勢いよくドアが開いた。


「ごめん!莉子ちゃん!二度寝しちゃった!今すぐ準備するからちょっと待ってて!」


 パジャマ姿で、髪は寝癖で跳ね、顔に布団の跡がついた詩織さんが立っていた。せっかく自分から誘っておいて二度寝とは、まったく詩織さんらしい。ドアの向こうから漏れてくる部屋の空気は、少しだけ甘くて、温かい、詩織さんの匂いがした。


 だけど、その予想通りのだらしなさが、私の胸を温かくした。優等生として生きてきた私にとって、詩織さんの奔放さは、眩しく、そして微笑ましく思えるのだ。私にはない、太陽のような自由さ。


「はぁ。大丈夫ですよ。ゆっくりで」


 私がそう言うと、詩織さんは「えへへ」と照れたように笑って、再び部屋の中へ引っ込んだ。本当に詩織さんらしい。


 待つこと10分。ドアが再び開き、白いブラウスに、淡い青のスカート姿の詩織さんが立っていた。メイクは薄いけれど、その分、瞳がキラキラして見える。いつものバイトの時の服装や部屋着ではない、私服の詩織さん。その姿に、私は思わず息を飲んだ。


「お待たせ!どう?この服、変じゃない?」


「全然、変じゃないです。すごく可愛いです」


 言葉を選んでいる暇なんてなかった。「すごく可愛いです」その一言が、喉から勝手に出てきた。私の心の中の「特別」が、そのまま声になってしまった。


 顔が熱くなるのを感じた。こんな風に、素直に気持ちを伝えるなんて、普段の私からは想像もできない。詩織さんの前だと、いつも抑え込んでいる感情が簡単に溢れ出してしまう。


「そ、そっか。よかった。莉子ちゃんに褒められるなんて、なんか緊張しちゃうな……莉子ちゃんもスカートなんだ。可愛いね?」


 そう言って、詩織さんは私の着ている淡い黄色のチェックのスカートに視線を向けた。


「えっ……」


 不意を突かれて、私の顔も熱くなるのを感じた。詩織さんに「可愛い」と言われるなんて、予想していなかった。


「いつも……制服着てますけど……」


「制服とは違うじゃん。ほら、見て。私たち、ブラウスと淡い色のスカートで、なんだかちょっとお揃いみたいじゃない?」」


 詩織さんは、自分の青いスカートと私の黄色いスカートを指さして、嬉しそうに言った。その瞳は、朝の光を受けて本当にキラキラ輝いている。


(お揃い……!)


 そんな風に意識したことはなかったけれど、確かにテイストは似ている。私たちの間に、見えない特別な糸が結ばれたような気がして、胸がいっぱいになった。


「恥ずかしいこと……言わないでくださいよ……」


 私はスカートの裾をぎゅっと握りながら、消え入りそうな声で答えた。恥ずかしさで、詩織さんの目を見ることができない。


 すると、詩織さんはふわりと笑って、一歩私に近づいた。その距離に、心臓が再び跳ね上がる。


「じゃあ、行こっか。私たちのお出かけ!今日一日、よろしくね、莉子ちゃん」


「それで、詩織さん。今日はどこへ行くんですか?私、何も聞いてないですけど」


 そう尋ねると、詩織さんはニッといたずらっぽく笑った。太陽の光が、その笑顔に降り注ぐ。


「んふふ、秘密!」


「ええっ?秘密ですか?」


 アパートの階段を降り、外に出ると、日曜日の午前中のまったりとした空気が私たちを包んだ。どこへ行くのだろう、どんな一日になるのだろう、そんな期待で私の心臓は忙しく鳴り続けていた。

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