第22話 描く未来




 もうすぐ夏休み。私の高校生活も残り半分、誰もが進路について真剣に考え始める時期に入っていた。そんな日の放課後、私は担任の先生に進路のことで呼び出されていた。


 高校の進路指導室の扉をノックすると、中から担任の先生の優しい声が聞こえてきた。


「どうぞ」


 静かに扉を開けて中に入ると、先生はいつものようにこやかに私を迎えてくれた。机の上には、進路選択のための分厚い資料や大学のパンフレットが山積みになっている。


「早速だけど、天野さん。公務員志望だという話だったね?」


「はい」


 そう答えるものの、心の中はざわついていた。先生の言葉を真面目聞いているふりをしながらも、頭の中は先日のバイトの帰り道での詩織さんとの会話でいっぱいだった。


 詩織さんの言葉に安堵し、自分の気持ちに、初めてちゃんと向き合った。あの時感じた、胸の奥でじんわりと広がる温かい感情。それが、まだ私の心に温かい光を落としていた。


「天野さんなら、公務員もきっと立派にこなせますよ。成績も悪くないですし、真面目で責任感も強い。そういう仕事は天野さんにピッタリです」


 先生の言葉に、胸が締め付けられるような違和感を覚えた。


(本当にそうだろうか。私は、本当にこれがやりたいことなのだろうか)


 先生の言葉は、私にとって安心材料のはずだった。真面目で優等生。周りの期待に応えるための選択肢。公務員という道は、私にとって最も安全で、最も無難な選択肢だった。


 でも、それは本当に私が望むものなのか……


「……天野さん?」


 先生が不審そうに私の顔を覗き込む。


「あっ、はい」


「どうかしたかな?少し元気がないようだけど」


「いえ、大丈夫です。少し考え事をしていました」


 慌てて笑顔を作った。しかし、先生の言葉は私の心に、はっきりと響いていた。


「天野さんは、明確な夢がないから公務員という道を選んでいるのかもしれないね。でも、それも一つの立派な選択だよ。無理に夢を探す必要はないんだ。ただ……」


 先生は少し言葉を切り、私の目をまっすぐに見つめた。


「後悔しないように、自分の心と向き合って、一番納得できる道を選んでほしい。君の人生だからね」


 その言葉は、私の心に深く突き刺さった。まるで、先生に自分の本心をすべて見透かされているような気がした。


「はい……ありがとうございます」


 そう言って、進路指導室を後にした。


 夕暮れの校舎は、どこか寂しげだった。


(夢、か……)


 詩織さんの顔を思い浮かべた。Vtuberになるという明確な夢。その夢に向かって、いつも楽しそうに、そして一生懸命に頑張っている詩織さん。


 詩織さんは、私とは正反対だ。いつもふわふわしていて、どこかだらしなくて。でも、夢の話になるとその目はキラキラと輝き、まるで別人のように真剣になる。その姿に、私は何度も心を揺さぶられた。


「……私も、あんな風に、何かに熱中できたら」


 そう、誰にも聞こえないように、小さな声で呟いた。


 その日、バイト先で詩織さんに会った。いつものだらしない笑顔で私を迎える詩織さん。


「あ。莉子ちゃん、今日もよろしくね!」


 その声を聞いて、私は少しだけ心が軽くなった。


(よかった。いつも通りだ)


 レジの奥で、二人並んで品出しをしながら、詩織さんがぽつりと話しかけてきた。


「そういえばさ、ふと思ったんだけど、莉子ちゃんって高校3年生だよね?将来どうするの?」


 その言葉に、胸は再びざわついた。まさか、このタイミングで聞かれるとは思っていなかった。こんなドンピシャなタイミングとは……


「……どうって?」


 とぼけるように答える私。


「だって、莉子ちゃんって私と違ってすごく真面目でしょ?なんか、将来の目標とか、ちゃんとしてそうだな~って」


「……まだ、きちんと決めてないです」


 そう言って言葉を濁した。詩織さんに、公務員になりたいと、胸を張って言えるほどその道に熱意を持てなかった。そんな私を見て、詩織さんは少し寂しそうな表情を見せた。


「そっか……」


 どうして詩織さんが寂しそうな顔をするのだろうか。


「……私なんかの進路、詩織さんには関係ないですよね?なんでそんなに寂しそうな顔するんですか?」


 絞り出すようにそう言うと、詩織さんの目が、大きく見開かれた。


「え、莉子ちゃんが寂しそうな顔をしてたからだよ?莉子ちゃんが元気がないと、なんか私まで元気がなくなっちゃう」


 詩織さんはそこで少し言葉を切り、少し照れたように続けた。


「だってさ、莉子ちゃんがいると……なんか、私も毎日頑張ろうってなるんだもん。私ね……莉子ちゃんと、これからもずっと一緒にいたいな~って思ってるから」


 その真っ直ぐな瞳が、私の心を震わせる。私の心に、熱いものがこみ上げてくる。それは、先日感じた、どろりとした醜い熱とは違っていた。


(この気持ちは……)


 それは、友情とは違う。ましてや、プロデュース対象として見ているだけでは、説明がつかない感情だった。


「あ。もちろん時間がある限りね?ダメかな?」


 詩織さんの問いかけに、私は慌てて首を横に振った。


「ダメなわけ、ないです」


 そう言って、詩織さんから視線を逸らした。顔が熱くなる。今の自分の表情を、詩織さんに見られたくなかった。


「……そっか。よかった」


 そう言って、詩織さんは安心したように、いつものだらしない笑顔を浮かべた。その笑顔に私の心は再び揺れ動く。


 このまま、何も言わずに、この関係を続けていくべきだろうか。


 それとも……


 この胸の熱を、形にするべきなのだろうか。


 ​でも、詩織さんの言葉が、進路指導室で感じた漠然とした不安を一瞬で吹き飛ばしてくれた。私にはもう詩織さんの存在が必要になっている。


 公務員という安定した道ではなく、詩織さんがいるこの場所、詩織さんの夢を支えるという未来こそが、私が今、熱中できる唯一のことなのかもしれない。


 ​私の進路は、詩織さんという光が差す方向に、確かに傾き始めていた。

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