第11話 褒められたい詩織さん



 「いらっしゃい、莉子ちゃん!」


 日曜日の朝。約束の時間ぴったりに詩織さんの部屋のドアをノックすると、すぐに明るい声が返ってきた。ドアを開けてくれた詩織さんは、少しだけ顔を赤らめていて、なんだかソワソワしている。


 部屋の中を見ると、お世辞にも綺麗とは言えないけど、前回よりも片付いていて、床には物がほとんど転がっていなかった。


「えっと……昨日の夜、頑張って片付けてみたんだけど、どうかな?」


 詩織さんは、私の顔色を伺うように言った。その様子がなんだか愛おしくて、私は思わず笑みをこぼした。


「すごいじゃないですか、詩織さん。きちんと足の踏み場がありますよ。まぁ……テーブルの上は汚いですけど」


 私がそう言うと、詩織さんは「えへへ」と照れくさそうに笑った。その笑顔は、まるで子供が褒められたときのような、純粋な喜びにあふれていた。


 本当に……子供の面倒を見てるみたい。もしかしたら詩織さん、私のことをお母さんだと思ってたり?


「さ、莉子ちゃん。今日はどこから片付ける?」


「まずは、本棚の続きからにしましょうか。テーブルはご飯を食べるときに片付けられますし」


 私たちは、二人で本棚の整理を始めた。詩織さんは、バイトの時のように適当に本を並べることはなく、ちゃんと私に尋ねながら、丁寧に本を整理していく。


 詩織さんの横顔は、本と向き合う真剣な眼差しで、いつものだらしない姿からは想像もつかないほどだった。私はそんな詩織さんの横顔をじっと見つめる。そして、ふと、部屋に入った時に彼女が言った「頑張って片付けてみたんだけど、どうかな?」という言葉を思い出した。


(私に褒めてほしいから?私のため……?)


 そう思うと胸が温かくなる。嬉しさがこみ上げてきた。でも、この気持ちを素直に口にするのはなんだか恥ずかしかった。


「あの、詩織さん」


 本を整理していた詩織さんが、私の方に顔を向けた。


「ん?どうしたの?」


「……私に怒られるから片付けたんですか?」


 私の言葉に、詩織さんは目を丸くした。


「え?いやいや!違うよ!」


 詩織さんは、必死に首を横に振った。その顔は、まるで子供が誤解されたときのような、焦りかただ。


「莉子ちゃんが、せっかく来てくれるのに、このままじゃ申し訳ないかなって……それに、二人で一緒に片付けるんだから、少しでも協力しようかなって思っただけで……」


「片付けるのは当たり前です」


「はっはい……」


 少しだけ意地悪に言ってみた。でも、詩織さんが、私との約束をこんなにも大切にしてくれていることが、何よりも嬉しかった。


 だからこそ、もう少し詩織さんのことを知りたいと思って、この前バイトの休憩室で話していた詩織さんの「夢」について聞いてみたい。それが、今唯一の私と詩織さんの……共通項だから。


「あの、詩織さん」


「ん?どうしたの、莉子ちゃん?」


 詩織さんは、本を手に取ったまま、私の方を向いた。


 知りたい。知りたいけど、踏み込んではいけない気がする。詩織さんが必死に隠している、一番大切な秘密。それを、私はどこまで知っていいんだろう?そう思いながらも、私の口は詩織さんの夢を尋ねていた。


「この間、詩織さんが話してくれた夢のこと、もっと聞かせてくれませんか?バイトの休憩室で話していましたよね?「沢山の人を笑顔にするのが夢だ」って」


「あー……あれね。なんか、いきなり熱く語っちゃって、莉子ちゃん引いてなかった?」


「引いてませんよ。むしろ、だらしない詩織さんからは想像もつかないくらい、真剣でカッコ良かったです」


「え、かっ、カッコ良い!?」


 詩織さんは、突然の褒め言葉に目を丸くして、さらに顔を赤くした。


「……そっか。莉子ちゃんが、そんなに興味を持ってくれるなんて、思ってなかったから、ちょっとビックリしちゃった。私の夢はね、えーっと……」


「はい」


 詩織さんは、私のまっすぐな瞳に少し気まずそうに目を泳がせた。


「その夢なんだけど……私だけど……私じゃないみたいな?」


 詩織さんは言葉を選びながら、なんとか説明しようとしている。その様子が、どこか子供のようで愛おしかった。


「そして……ライブ?みたいなやつをやって、色々な人とお話とかをして、いっぱい観てもらって、すごく有名になることなんだけど……分かるかな?ごめんね、莉子ちゃん。なんか、うまく説明できなくて……」


 詩織さんの精一杯の誤魔化しは、聞いている私からすれば、もうほとんど答え合わせのようなものだ。いや、誰が聞いてもVtuberや配信者の活動内容そのものだ。でも、ここで『それってVtuber』ですか?とは言えない。だから私は知らないふりをした。詩織さんが、必死に守ろうとしている秘密を壊したくなかったから。


「よくわからないですね。詩織さん、ライブとかするんですか?」


「え?まだ、ぜーんぜん!これから頑張るんだから!」


 詩織さんは、私の言葉に少しだけ安心したように、再び明るい笑顔を見せた。


 私は詩織さんに何が出来るのだろう。


 どうやったら詩織さんを支えてあげられるんだろう。


 詩織さんは再び本棚に向き直って片付けを始める。私は、そんな彼女の背中を見つめながら、意を決して口を開いた。


「あの、詩織さん。……私がいないとすぐに部屋が元通りになっちゃうって、この前言ってましたよね?」


「え、あ、うん……」


「そういうだらしない生活じゃ、夢に集中できないと思います。それに、夕飯をお菓子やコンビニで済ませていては、健康を損ないます。ちゃんとご飯を食べて、体調を整えないと、いざという時に全力が出せません」


 私は、畳みかけるように理由を並べた。


「だから、私が詩織さんの生活を管理して、夢に集中できる環境を整えます。これは、詩織さんの夢を応援するための、必要不可欠な活動なんです」


 我ながら、少し理屈っぽい言い方だ。でも、この方が詩織さんには伝わりやすいと思ったから。


 臆病で不器用な私の精一杯の言葉。


「いやいや。そこまで迷惑かけられないよ。大丈夫だよ私も大人だよ?」


「迷惑なら、あの送別会の日にかけてます。今さらです。それに大丈夫なら部屋はあんなに汚くなりません。詩織さん自覚してください」


「はっはい……」


「私は詩織さんを立派な大人にする。これは『しお活』です。忘れましたか?」


 私の言葉に、詩織さんは少しだけ照れたように笑った。


「……忘れてないよ。ありがとう、莉子ちゃん。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな〜、これから日曜日が楽しみになっちゃうね?」


 詩織さんの言葉は、まるで私を小さな子供のように扱う、大人の包容力に満ちていた。私の意地っ張りな理屈を全て受け止め、その奥にある気持ちをきちんと分かってくれている。その優しさが、心の奥深くまで染み渡るように嬉しかった。


 悔しいけど、詩織さんはお姉さんで大人だ。


 ああ……


 私は詩織さんを支えたいなんて思っているけれど、本当は私の方が詩織さんに支えられているのかもしれない。その大きな優しさに触れるたびに、私の心に少しずつ風穴が開いていく。


「はい。楽しみにしてください」


 私は精一杯の笑顔で、そう答えた。


「完璧な優等生」の仮面を被っている私を、詩織さんは見守ってくれている。この温かさがあれば、いつかこの仮面を外せる日が来るのかもしれない。


 そう思わせてくれる詩織さんの存在が、今の私には何よりも大切だった。

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