第8話 半分本気の責任ってなんだろう
詩織さんとの奇妙な「日曜日の契約」が始まってから、数日が経った。あの日の夕方から、私の頭の中は詩織さんのことでいっぱいだった。
次の日曜日が来るのが待ち遠しくて仕方がない。詩織さんの部屋を綺麗にして、美味しいご飯を作ってあげる。そして、詩織さんの無防備な笑顔に会う。それが、今の私にとっての「しお活」であり、かけがえのない時間になっていた。
そして今日は、久しぶりにバイトの日だ。古書店「書架の森」。
店内には、古本の匂いと、静かな時間が流れている。詩織さんは、今日もいつものようにレジ横の文庫本を逆さまに並べていた。私は、その逆さまになった文庫本をこっそり直しながら、詩織さんのことを目で追っていた。
「莉子ちゃん、これ、この棚だっけ?」
詩織さんは、無邪気な笑顔で私に尋ねる。
「詩織さんそれは絵本です。違いますよ。それは児童書の棚です……」
私は、詩織さんの手から本を受け取り、正しい棚に置いた。詩織さんは、私の手際の良い作業を見て「さすがだなぁ、莉子ちゃんは」と感心したように呟いた。その言葉に、少しだけ嬉しくなる。
そして、補充の作業を進めて休憩にすることにする。偶然にも詩織さんと同じタイミングだった。
「ふぅ……」
詩織さんは、椅子に深く腰掛け大きく息を吐く。その瞳は、少しだけ疲れているように見えた。
「そういえば詩織さん、部屋はきちんと綺麗に保ってますか?」
私の言葉に、詩織さんは少しだけバツが悪そうな顔をした。
「えへへ……それがさ、なんか莉子ちゃんがいないと、すぐに元通りになっちゃって……」
「え。元通りって?」
私がさらに問いかけると、詩織さんは目をそらして、モジモジと答えた。
「ちょっとだけ、床に洋服が散らかっているというか……」
「洋服はカゴに入れてください。洗濯までしろとは言いませんから」
「はい……あっあと、テーブルなんだけど……食べたお菓子の残骸が大量に……」
その言葉に、私は思わずため息をついた。
「……子供じゃないんだから、きちんとご飯を食べてください」
「でっでも!ご飯をコンビニで買ったらゴミ出ちゃうでしょ?」
「ゴミはゴミ箱に捨ててください」
私の言葉に、詩織さんは「は、はい……」と、ますます小さくなった。まるで、手のかかる子供を諭しているような、そんな気分になる。しかし、そのやり取りが、私にはどうしようもなく愛おしかった。
(この人は本当に、私がいなければ何もできないんだ)
この前、見ていて分かったことがある。詩織さんは、言えばちゃんとやるということ。
私が「洋服はカゴに入れて」と言えばその通りにする。私が「ゴミはゴミ箱に捨てて」と言えばそうする。でも、私がいなければ、言わなければ、すぐに元に戻ってしまう。そのだらしなさが、私にとって放っておけない理由だった。
(私がいないと、本当にダメなんだ……)
詩織さんの言葉を聞いて、私の頭の中には、次の日曜日の計画が次々と浮かんでくる。
(今度は作り置きができるようなものを作ろうかな)
そうすれば、詩織さんも平日はちゃんとご飯が食べられるだろう。
(それに……詩織さんには炊飯器の使い方だけは教えよう。それならご飯は食べれる……お釜を洗うか微妙だけど。なら冷凍すれば良いか……)
詩織さんのために、私ができることはまだまだたくさんある。そう思うと、胸の奥が温かくなるのを感じた。休憩が終わり、私たちは立ち上がった。
「さてと、仕事再開だ~!」
詩織さんは、椅子から立ち上がると、伸びをしながら先に休憩室を出ていこうとする。そのテーブルには、当然のように、詩織さんが飲みかけていたペットボトルがそのまま置かれている。私は、小さくため息をつきながら、それを片付けようとした。
その時、詩織さんがドアノブに手をかけたまま、私の方を振り向いた。
「ねぇ、莉子ちゃん」
私の名前を呼ぶその声は、いつもより少し甘くて、私の心臓が大きく跳ねる。
「莉子ちゃんがいないと、私、本当にダメになっちゃうかも。だから……きちんと責任とってよね?」
詩織さんは、少し照れくさそうに、でも冗談交じりの明るい声でそう言った。その声が、私の耳元で囁かれたように聞こえて、全身の血が熱くなる。
『責任をとる』
その言葉が、私の心を強く貫いた。
「せっ責任って……」
私は、しどろもどろになりながら、必死に言葉を探す。
「ふふ、冗談だってば。でも……半分は本気かな」
詩織さんは、そうウインクしながら仕事に戻っていく。その笑顔は、いつものだらしない詩織さんとは違い、まるで、私をからかって楽しんでいるかのような、大人のお姉さんそのものだった。
その日のバイトが終わる頃には、私の心は、詩織さんへの特別な感情でいっぱいになっていた。
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