愛知編:第8話

 第二十八話




「そうそう、銃を構えるときは右足を軽く引いて、左足を前に出すんだ」


 見知らぬ男が、自分に向かって語りかけている。


「もう、シズカは女の子なんだから、あんまりそういうの興味ないでしょ?」


 隣にいた女性が、軽くたしなめるように言葉を投げる。男は少しバツの悪そうな顔を浮かべた。


「あたしはこういうの好きだよ! あたしもいつか自衛隊になって本物の銃、持ってみたい!」


 自分の口から、無邪気な声が飛び出す。


「そうかそうか、シズカも銃のロマンが分かるか!」


 男は嬉しそうに満面の笑みを浮かべると、こちらの頭をわしゃわしゃと撫でまわした。女性は呆れたようにため息を吐き、しかしその表情にはどこか穏やかな笑みが浮かんでいる。


「それじゃあ、もう一回構えてみて。そう、それでここ。セーフティを外すんだ」


 セーフティを外し、切り替えスイッチを単射、連射と順に動かしていく。


「そうだ。そして、しっかり構えて狙いをつける。息を吐き出しながら狙いを絞って――引き金を引く!」


 パスン、という空気の抜けるような音。BB弾が的に当たり、小さな穴をあけた。


「やったぁ! あたったよ!」


「シズカは才能があるな!」


 男は勢いよく自分を抱き上げた。


 




 目を覚ますと、壁にもたれかかって座っていた。あの情景は夢の中の出来事だったようだ。


「……夢っすか」


 夢に出てきた男女は、おそらく自分の両親だ。名前も顔も思い出せないが、それでも確信があった。


「あたしが銃の使い方を知ってたのは、親から教えられてたからなんすね」


 右手には、あの20式小銃が握られていた。記憶にはない父の存在に、自然と感謝の念が湧く。


「もし戦い方も知らない普通の女の子だったら、とっくに死んでたっすね」


 銃を抱えるように持ち上げた瞬間、左肩に違和感を覚える。そして思い出す。先の戦いで、犬と鰐をかけあわせたような怪物に肩を切り裂かれたのだった。


 慌てて肩に触れると、指先にはべったりと血が付く。急いでコートを脱いで傷口を確認するが、血に濡れているにも関わらず、皮膚に裂傷は見当たらない。


「間違いなく爪でバッサリ切られたっすよね? 血だって思いっきりついてるし……」


 不安に駆られながら消毒液で血を拭っていくが、そこには怪我どころか赤くなった痕すらない。


「……どうなってるんすか?」


 記憶喪失に加え、今度は自身の身体に対する違和感が襲ってくる。


「あたし、本当に人間なんすか……?」



 とはいえ、今さら悩んでいても状況が変わるわけではない。


 視線を窓に向けると、外では変わらず雨が降り続いていた。天候のせいか、時間が経ったせいか、あたりはすっかり暗くなっている。怪物と戦ったのは昼頃だったはずだが、それが遠い出来事に感じられた。


 このまま同じ場所にとどまるのは得策ではないと判断し、校舎内で別の安全な場所を探すことにする。まずは先の戦闘前に休んでいた教室へ向かい、そこに置き去りにしていた荷物を回収した。


 リュックを回収し、再び校舎内を進む。暗がりの中、ヘッドライトの明かりを頼りに階段を上っていくと、やがて三階の図書館へと辿り着いた。


 扉を静かに開き、内部の様子をうかがう。書棚が並ぶ静かな空間に生き物の気配は感じられない。慎重に歩を進めながら、周囲に潜んでいる可能性のある怪異を警戒しつつ確認していく。書架の影、倒れた机の向こう、天井――一通りの確認を終えた頃には、少なくともこの場所に脅威が存在しないことが確信に変わっていた。


 図書館の出入り口へ戻り、扉に鍵がかかるかを調べる。幸いにも施錠可能な構造であることを確認し、静かに鍵を回して内部に閉じこもる。


 雨音だけが遠くで鳴っていた。



 荷物を床に降ろし、ようやく一息つく。


 辺りを見渡せば、荒れた室内に転がる本棚や机が目に入る。長らく人の手が入っていないせいか、ほとんどの本は湿気と時間に蝕まれ、ページが歪み、活字も判読不能になっていた。


 かろうじて読めそうなものを手に取ってみるが、ほとんどが専門的すぎる内容か、今の自分には役に立ちそうにない本ばかりだった。


「……そう都合よくはいかないっすね」


 ため息混じりに呟くと、倒れた家具の中からまだ使えそうな机を一つ見つけ出し、そこで夕食の準備を始める。


 流石に全身の疲労が溜まっており、凝ったものを作る気にはなれなかった。そこでリュックからカップ麺を取り出す。今日は定番の醤油ヌードルだ。湯沸かし器を取り出し、水を注いで火を点ける。小さな音を立てながら、お湯がぐつぐつと沸騰していく。


「定番中の定番っすね」


 そう呟きながら、熱湯をカップに注ぎ、数分待ったのち、ずるずると麺を啜る。醤油の香りと温かさが、冷えた身体と張り詰めた神経をじんわりと解きほぐしていく。スープも残さず飲み干すと、空になった容器を丁寧に片付け、簡単に歯磨きを済ませる。


 装備の点検は、明日の朝に回すことに決めた。今日はもう、十分すぎるほどの一日だった。


 寝袋に潜り込み、暗い天井をぼんやりと見つめる。まぶたが徐々に重くなり、静かな雨音と図書館の静寂に包まれながら、意識はゆっくりと眠りへと沈んでいった。

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