第二話 お隣さん

倉賀野くらがのさーん。いるけぇ?」

訛りの強い声が玄関から聞こえて来る。夢美はびくりと肩をすくませた。聞き馴染みのない、訛りの強い言葉。知らない人の声。全てに夢美の神経は逆立った。千代は西瓜を台所に戻すと、玄関に向かう。張り付くようなスリッパの音だけを、夢美は静かに聞いていた。


「あんれまぁ、和恵かずえさん。仕事帰りなん?」


「いんや、たまたま通りがかったんで、倉賀野くらがのさんとこ来ただけだがね」

和恵かずえ連取つなとり 和恵かずえは、倉賀野家の隣人だ。すっかり暗くなった中、和恵は片手に懐中電灯を持ち、もう片方の手にはビニール袋いっぱいの野菜が入っている。被っている水色の手拭いの端で、和恵は汗を拭う。三十になったばかりの和恵は肌にハリがあり、引き締まっていた。赤褐色に焼けた腕で、和恵は軽々とビニール袋からキャベツを取り出す。


「この前、倉賀野さん西瓜くれただんべ? だからお返しにこのキャベツ、持って来たんよ」


「まぁたそんないいんよ。西瓜なんかウチでなっから取れるんからさ」


「いんや、このキャベツウチに置いても余らすだけだんべ。もらってくださいな」


和気藹々と話す二人を、夢美は居間から覗きこんだ。襖を僅かに開けて、夢美は二人を見る。千代は何度も会釈をしながら、和恵からキャベツを受け取っていた。玄関の床に置かれた蚊取り線香の煙が、二人の足にまとわりつく。


「あら、夢美ちゃん。東京から久しぶりに帰って来たんだんべか?」


間延びした訛りの強い口調に呼び止められ、夢美の襖を閉めようとする手が止まる。夢美は恐る恐る、襖の隙間から足を伸ばし、玄関に出てきた。見知らぬ大人達に囲まれ、夢美は息が詰まりそうになる。和恵は興味深々に夢美を見回す。袖から覗く白い肌を見られ、夢美は今にも窒息しそうだ。喉が閉まる感覚に、夢美は軽く吐き気を覚える。


「夢美ちゃん、東京に行ってもう何年になるだんべ?」


和恵から向けられた問いに、夢美は答えられないでいた。その場に硬直したまま、夢美の背中にベトつく汗が滲む。


「十年だんべな。夢美ちゃんまだ小いちゃかったからね」


「んだね。ウチの忠治ただはると一緒だもんな」

「忠治君ももう中学生かね。早いんねぇ」


答える事ができない夢美をよそに、千代と和恵は会話を弾ませる。白熱する二人の空間にたじろぎ、夢美はすり足で後退りした。その時、楽しげに話す和恵の背後から、赤銅色の足が覗く。筋肉質の足の持ち主は、夢美と同じくらいの歳の少年だった。しかめっ面の少年の顔が、うんざりしたように和恵を見上げる。母親に似た団子鼻を掻き、少年はタンクトップの襟で汗を拭く。どこかで遊んだ帰りなのか、履いている草履には雑草が纏わりつき、タンクトップは泥で汚れていた。夢美は無意識に、見慣れない少年をまじまじと見る。ふと、少年は夢美の視線に気づいたのか、丸い目を見開く。短く刈りそろえた硬い髪を掻き、少年は落ち着かないのか母親のエプロンの端を握りしめた。我が子の引っ張る力に押され、和恵は忠治を前に押し出す。


「ほら忠治、倉賀野さん家の夢美ちゃんだんべ」


母親に後押しされているにも関わらず、忠治は不機嫌そうに鼻をフンと鳴らし、不貞腐れる。口をへの字に曲げ、断固として話そうとしない。千代はそんな忠治を見慣れているのか、皺が刻まれた口角をゆっくり上げる。


「いらっしゃい忠治君」


千代の言葉に、忠治は視線を逸らし、無言で会釈する。千代が話しかけている間も、忠治は怪訝な視線を夢美に向けていた。明らかに不愉快げな視線に、夢美は胃が痛くなる。黙りこくった忠治を、和恵は軽くゲンコツした。 


「こらっ! ちゃんと挨拶しろ!」


和恵が鋭く叱りつける。先程の温厚な態度とは打って変わり、厳格な母親の一面が垣間見えた。叱られて渋々と、忠治は小声で挨拶する。ひどく低い声で、夢美はほとんど聞き取る事ができなかった。忠治は話している間、時折夢美に視線を移す。


「それにしても忠治君どんどんおっきくなってるだんべなぁ。今日も野球だんべか?」


「……うん」


親しげに話す千代を前にしても、忠治は無愛想に答える。面白くなさそうに、土間を踏み締め、口はへの字に曲がったままだ。夢美が忠治の顔を覗き込もうとすると、忠治は睨む。


「忠治、夢美ちゃんだべ。お前と同じ歳だから、仲良くするんだよ」


「…………」


忠治は何も言わず、和恵の後ろに隠れる。和恵はため息をつき、忠治の頭をぐりぐりした。千代は微笑ましげに、その様子を見ている。


「はっはっは。恥ずかしいのも無理ないべよ」


「ごめんね夢美ちゃん。忠治、ちょっと人見知りなんよ」


代わりに頭を下げる和恵。突然の事に、夢美はしどろもどろになっていた。何も言うことができず、夢美は立ち尽くしている。


「では倉賀野さん、ここらでおいとまします。西瓜、喜んでいただきますよ」


「いやいや、まだ余らしちゃってっから、また来てほしいだんべ」


和恵は両手に西瓜を抱えながら、外へと出ていく。その後を忠治はそそくさと付いて行った。忠治は家を出るまで、夢美の方を何度か振り向く。こちらを怪しむような視線に、夢美の首筋にはじっとり汗が滲んだ。

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